逃避行

 オレは氷燦名ひさなの説明をもう1度最初から反芻はんすうする。

「ふんふん。つまり、こういうことか? 城の裏手の木陰で休んでいたら、つい眠っちゃって夕方になっていて」

「うん」


「コーシはお城にいた子供たちと遊んでいて」

「そうそう」


「氷燦名はいつの間にか、城で働いていた魔族に囲まれていて」

「うんそうなの」


「で、どうしてこうなる?」

 城の廊下では、今も魔族たちが騎士たちと戦いを繰り広げている。


「話すと長いんだけどね……、あ、ちょっと待って。暗くなってきた。幸四郎こうしろう!」

 と、氷燦名は幸四郎の髪の毛をプチっと抜いた。


 幸四郎が涙目で抗議する。

「いってー!! ねーちゃん、それやるときは先に言えって言っただろ!」


「言ったじゃん、幸四郎って」

「言ってすぐぬいたらイミないだろ! ちゃんとおれが返事してからぬけよ!」

「はいはい、ごめんごめん」


 氷燦名が手にした髪の毛を幸四郎につきつけると、幸四郎がぷっと息を吹きかけた。途端、髪の毛は蛍光灯のような光を放ち始める。光り輝く髪の毛を氷燦名が透明な球体で覆い、天井近くに浮かべた。


「ほぉ~、便利だな」

「うん。それでね。──集まった魔族さんたちに、幸四郎が『父ちゃんを助けに行く!』って言って」


「あぁ~、なるほど」

「それでこうなった」


 マジか~。

 その光景がありありと浮かんで、オレは何も言えない。

「せっかく、奴隷たちを解放してもらえるって、約束してもらったのに……」


 すると、氷燦名が驚いた顔をした。

「え、パパ、魔族さんたちが奴隷にされてるって、知ってたの!?」


「……あのな、氷燦名はまだ習ってないかも知れないけど、150年前まで、世界中に奴隷がいたんだぞ?」


「じゃ、もしかして、私、すっごくパパの邪魔しちゃった……?」

 氷燦名の肩が小さく震える。


「まぁ、気にするな。どうせ、奴隷を解放してもらったところで、いいことばかりじゃない」

「どういうこと?」

 オレに頭をぽんぽん撫でられながら、氷燦名が聞き返す。


「多分、奴隷にされていた魔族には、経済的な基盤がない。──簡単に言うと、彼らが食べていけるだけの仕事が、魔族の国にはないんだと思う。それなのにいきなり4000人の奴隷が解放されたら、どうなると思う? 魔族同士で仕事の奪い合いが始まって国は荒れるし、結局、仕事を求めて、人間の国に安い労働力として使われることになるかも知れない」


 もっとも、魔族の仕事がどんなものか、オレは知らない。衣食住のうち、とにかく最優先で確保しなければならないのが食だ。例えば、マヒナの吸精きゅうせいだが、あれは食欲からくる行動なのだろうか?

 人間はドラゴンからもらった葡萄ぶどうで農耕を始めたらしいが、魔族に農耕の概念はあるのだろうか。もしかしたら、狩猟や牧畜のようなもので、生計を立てているのかもしれない。

 どの場合でも、すべてのもといとなるのは土地だ。果たして、魔族の国に4000人が食べていけるだけの土地があるのか──。


「あのね、パパ。マヒナちゃんが『魔族には元々お金という考え方が無かった』とか、『必需品を独占されて、それを買うためにぎりぎりの仕事で働かされてる』って言ってたよ」


「ふぅむ。なら、4000人の新たな仲間を抱えて不安定になった我々の国に、その必需品とやらを高額で売りつけたりするのかもな。それだけで、労せず経済支配の完了だ。魔王とやらに対する足かせとして、最初から、奴隷は返還する予定だったんだろう。……話がいきなりすぎたからなぁ」


 正直、オレはそれでもいいと思っていた。奴隷解放という分かりやすい戦果をひっさげて帰り、自分のした不始末のツケさえ払ってしまえば、まだ来たばかりの魔族の国に、充分、義理は果たしたことになると。

 今、氷燦名に話したことだって、最悪のケースを想定したに過ぎない。そうそう悪いほうに転がらない可能性だって十分にある。今のオレには、魔族の行く末を考えるより、家族とともに元の世界に帰ることのほうが何倍も大事だった。


 だが──、廊下ろうか惨状さんじょうを見て、オレはため息をつく。ここまでこじれてしまったら、それだけでは済まない気もする。せめて、可能な限り平等な条件で、平和条約を結ぶくらいは、しておきたい……。


 と、氷燦名がオレの顔を凝視していることに気づく。

「なんだ?」

「あのね、私も聞いてもいい? パパ、暗いお部屋にマカンナさんと2人きりで何をしていたの?」


 げふっ!

「へへへ部屋が暗いのは、ゆゆ夕方だから、ししし仕方がないんじゃないか? ねね寝ようと思って、ろろろ蝋燭ろうそくも1本にしていたし」


「……寝るって、マカンナさんと?」

「ちち、違う! ま、マヒナと間違ったんだよ! だから、マヒナが潜入しているのかと思って、部屋に来てもらったんだ」


 そこに、マカンナがしゃなりと出てきて茶々を入れる。

「しかし、陛下におかれましては、わたくしがマヒナなんぞとは違うとご納得いただけたはずです。きちんと確認していただきましたから。わたくしの、む──」


「わーっ! わーっ! わーっ!」


 オレは声を張り上げて、マカンナの言葉を遮った。氷燦名がジト目でオレを見上げる。いかん、このままでは父としての威厳が……。


 と、

「なぁ、父ちゃん! あいつら助けなくていいんか? おれ、やってやろうか?」

 幸四郎が助け舟を出してくれた。


「そ、そうだな! 今はこの騒ぎをどうにかするのが先決だ! ──よし、とりあえず逃げよう。氷燦名、騎士と魔族の間に、氷の壁を出してくれ」


 氷燦名のジト目を背中に感じながら、魔族に向かって声をかける。

「皆さん! ここはひとまず引きあげましょう」


 すると、魔族たちからも声が上がった。

「そ、そうだ! 魔王陛下を安全な場所へ」

「御身を守り抜け!」

「陛下さえご無事なら、希望はある!」

 甲高い声、野太い声、魔族たちの怒号が城内に響き渡る。氷燦名の出した壁に守られて、オレたちはその場から駆け出した──。


   ◆   ◆   ◆


 いくつもの階段を駆け下り、騎士と鉢合わせるたびに氷燦名に壁を作ってもらって、ようやく中庭に出る。


 騎士たちの目を逃れて、ドラゴン像の下に駆け込むと、ちょうど死角から回り込んできていた騎士の一団とぶつかった。

「おー、いたたた」

「ぬぅ……、なにがあったのじゃ」


 これがパンをくわえた中学生と転校生同士だったら少女漫画だったが……ぶつかったのはおっさん同士である。相手は、先ほど食事を共にしたシンリュート国王その人だった。


「い、イセカーどの! これは一体、なんとしたことですかな? もしや、貴国は我が国と敵対するおつもりか?!」


「い、いえ! 違います! 私がまだ着任から日が浅く、魔族をまとめ切れていなかったばかりに……! こ、この償いはいたしますので、今日のところはいったんおいとまさせていただきたく……」


「そ、それは」


 国王が言葉に詰まっていると、周りを取り囲んだ騎士たちが声をあげる。

「なにを! 栄えあるグランゼニス城でこのような乱暴狼藉らんぼうろうぜきを働いておきながら、このままおめおめと帰れると思うのか!?」

「そうだそうだ!」


 魔族たちも負けじと声を張り上げた。

「お前たち、魔王陛下の盾となれ! 陛下には魔王城までご退却いただき、我ら魔王軍の指揮を執ってもらわねばならぬ!」

「人間の兵など何するものぞ! 我ら魔族の誇り、見せてやれ!」


「ま、待ってください、皆さん!」

 オレは後ろ手で必死に魔族たちを押し留めた。一方、シンリュート王も、騎士たちを制止するのに手いっぱいなようだ。


「あのっ、陛下。先ほどはせっかくのご提案、ありがとうございます。ですが、このような騒ぎを起こしてしまい、申し訳も立ちません。先ほどのご提案は、いったん辞退させていただきたいと存じます。むろん、私としましては、これからも戦にならぬ道を模索したいと思っております。もしよろしければ、後日また時間を作っていただき、そこで和平合意の諸条件などをお話する機会を設けていただきたいのですが……」


 だいぶ魔族たちに迷惑をかけてしまったオレは、せめて、内乱の火種になるような条件での奴隷解放や、不平等な和平合意は回避するつもりでいた。

 せっかくこんな騒ぎが起きたのだから、ちょうどいい。断ってしまおう。


 と、あてが外れたのだろう。王は慌てたような声を出した。

「な、なにを申される! 1度は約束したこと、今さら取り下げるようなことはせぬぞ。確かに、今は双方とも頭に血が上っておるようじゃが、この場はわしが収めてみせる! そなたには何としても、こやつらを連れ帰ってもらわねば……!」


 その必死さに、ほんの少し、違和感を覚える。が、それも束の間──、左の脇腹に、鈍い痛みが走った。


「え?」

 視線を下に落とすと、きらめく白刃はくじんが生えていた──オレの腹から。幅広の刃はシンリュート王のでっぷりした腹を後ろから貫き、そのまま、オレの脇腹に突き刺さっている。

 王の背後でその大剣を構えるのは、昼の食事会の時にも見た白髪・白髭の近衛隊長である。


 王が吐血し、オレの胸板を濡らす。

 近衛隊長がシンリュート王の耳元で、静かに口を開いた。

「もうよい。……キサマは失敗した」

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