此処にあるのは、桜色、今日子色の 世界。

だいすきな 私の名にまで つけている 句。
「君がため 春の野に出でて 若菜摘む 我が衣手に 雪は降りつつ」
もし、私が訳すなら、こんな風に。

くさはらに、ひとり、たっている。
まだ肌寒い、だが もう春が来る 予感の中で
風を 一人占めして、遥かな空を見上げる。 あの人を想って。
芽吹いた 若い菜を 手のひらで 包み込み、そっと摘む。
ひらりと 雪ひらが 降ってくる。
袖にのった 雪の結晶は まるであなたのようだ。
抱きしめて、想いを馳せて、そして、飛んで行きたい。

そう、百人一首の時代には、その草原に 二人で立って
一緒に空を 見上げることは ないんだ。
女の人と殿方は 昼間 逢うことは 叶わないのだから。
夜の帳が降りた 向こう側でしか 逢えず、朝が来れば 消えてしまう。
そして、私の想い人は、私だけを見ているわけではない。

ああ、現代に生まれてよかった。あの時代のせつなさ、儚さに
身を置いてみたいとは、想えないもの。 見てるだけで十分。

百人一首の ひとつずつに 丁寧に その背景をつけながら
今日子さんの 優しくて 愛のある想いが 伝わってくる すてきな新訳です。

自分のすきな句からでも、すきな 季節の句からでも
あまたある 恋の句からでも 探して 浸ってみて下さい。
そして、恋文ならば、誰に宛てたものなのか 探って
相手が 存在するならば、そちらの句も 読んでみたいと 想わせる。
札を持っているならば、隣に並べてあげるのも 酔狂でしょう。

十二単の 衿のあわせ(逢わせって書きたくなる)に
和のこころの色が 表現されているように、ここにも 色が漂っています。
一つずつの章につけられた句が かわいい雲のようです。
そして、百人一首を 想う時、どうしても 月が かかせないですね。

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