古文や古典や百人一首、苦手な人、いらっしゃいますよね?
学校の授業で、必死に覚えさせられた……という人も、いらっしゃいますよね?
あり、をり、はべり、いまそかり。なんだそりゃ。
そのような読者さまは、これを読んで悔しがってください……。あの時に出逢えていれば……と。
これから授業でやるよ……という読者さま。あなたはなんと羨ましいのでしょうか?
授業で悩む前に、このエッセイに出逢えたことを喜びましょう……。
それくらい、百人一首が思った以上に理解できると思います。とにかく【超訳】が秀逸なのです。
はるか昔の詠み人たちだって、恋をしていたはずです。その時の想いが今の言葉で綴られています。わたしたちにも、理解しやすい、現代の言葉で……。
わたしは、最初にこのエッセイを読んだ時、古文の教科書がこれだったら、楽しく覚えられるのに……と思いましたが、皆さまはどうかな……?
古文が苦手という方、和歌の意味がわからないから読めないと思っている方、大丈夫です。
この作品は、この作品ならではの【超訳】がついています。
この作品では、一首につき、原文と、作者さまが現代語訳したもの、その解説、作者さまの解釈がついています。
超訳はもちろん、解説が非常にわかりやすく、読むごとに知識がどんどん増えていきます。
時には恋の歌、時には人生の歌、季節の歌と、毎日読むのが楽しみでした。
もう何百年も前に詠まれたものなのに、現代にも通じる共感できる内容で、時代は違えど、人と人とのコミュニケーションはいつの時代も変わらないのだな、と思いました。
おすすめです♪
一気に拝読いたしました。
百人一首となると、学校での勉強か、よほど好きでない限りその存在しか知らないかたは多いかもしれません。
なぜ今作が学校の教科書に採用されないのか、文科省に直談判したいくらいです。
日本語の美しさをあらためて感じるとともに、超訳の面白さがとにかく良いのです。
凄い作品です。
もっともっと色々なかたに読んでほしい。日本に住まい、四季を過ごす私たちは。
単なる歌集の解説? いえいえ、とんでもない!
ポップな学術書と申し上げると語弊があるかもしれませんが、しっかりと楽しみながら先人が遺した、今なお読まれ続ける心のバイブルにふれることができるのです。
この作品は、時間を捻出してご覧いただくことを切に願います。
百人一首はチョット...と思っている貴方(貴女)! 是非、読んで!
この作品、本当に良く出来てます。
一首ごとに、原文、ふりがな、超訳、意訳、詠み人、決まり字、雑感の小見出しで整理されており、理解し易い。
中でも超訳と雑感は作者の解説なんですが、これが面白い。
勉強になる情報もふんだんに有って、例えば”決まり字”なんて私は知りませんでした。上の句を聞き終えてからカルタを取るものだと思い込んでいました。
”決まり字”で行動を起こすから、競技カルタの選手はあんなに早く取れるんですね。
和歌番号の存在も、全く知りませんでした。これを知った上で作者の解説を読むと、確かに栄枯盛衰を感じます。
それでも百首も有れば途中でダレると思うんですが、コツを一つ教えましょう。一首ごとに応援コメントで自分なりの感想を書いていくと、アっという間に読了します。まとめてレビューに書こうとすると、前の方の歌の感想を忘れて、読み進む意欲が萎えます。
但し、応援コメントへの回答を作者に期待しないように。100の応援コメントが送られる現象は、作者にとってサイバーテロ以外の何物でもありませんから。
だいすきな 私の名にまで つけている 句。
「君がため 春の野に出でて 若菜摘む 我が衣手に 雪は降りつつ」
もし、私が訳すなら、こんな風に。
くさはらに、ひとり、たっている。
まだ肌寒い、だが もう春が来る 予感の中で
風を 一人占めして、遥かな空を見上げる。 あの人を想って。
芽吹いた 若い菜を 手のひらで 包み込み、そっと摘む。
ひらりと 雪ひらが 降ってくる。
袖にのった 雪の結晶は まるであなたのようだ。
抱きしめて、想いを馳せて、そして、飛んで行きたい。
そう、百人一首の時代には、その草原に 二人で立って
一緒に空を 見上げることは ないんだ。
女の人と殿方は 昼間 逢うことは 叶わないのだから。
夜の帳が降りた 向こう側でしか 逢えず、朝が来れば 消えてしまう。
そして、私の想い人は、私だけを見ているわけではない。
ああ、現代に生まれてよかった。あの時代のせつなさ、儚さに
身を置いてみたいとは、想えないもの。 見てるだけで十分。
百人一首の ひとつずつに 丁寧に その背景をつけながら
今日子さんの 優しくて 愛のある想いが 伝わってくる すてきな新訳です。
自分のすきな句からでも、すきな 季節の句からでも
あまたある 恋の句からでも 探して 浸ってみて下さい。
そして、恋文ならば、誰に宛てたものなのか 探って
相手が 存在するならば、そちらの句も 読んでみたいと 想わせる。
札を持っているならば、隣に並べてあげるのも 酔狂でしょう。
十二単の 衿のあわせ(逢わせって書きたくなる)に
和のこころの色が 表現されているように、ここにも 色が漂っています。
一つずつの章につけられた句が かわいい雲のようです。
そして、百人一首を 想う時、どうしても 月が かかせないですね。