第19話 小十郎の想い
明けて天正九年は、一色家にとっても慌ただしい幕開けとなった。
織田信長よりその武功を買われた義定は、二月に行われる京都
義定が丹後へと戻る四月までには、細川藤孝の長女
その姫との婚礼の
その後ろを松田
そんな中、
桂は本丸
狭い山頂の本丸脇に造られているだけあって、寝所はそれ程大きくはないものの、今の一色家の財力を注ぎ込んだそれは、他の
桂はこの建家の縄張りから
「小西殿、たいそう立派なお屋敷となりまするな」
「ほう、その方には鉄砲だけではなく、普請の善し悪しを見る眼も持ち合わしているようじゃのう」
桂の言葉に、宗雄は
「それに引き替え、
気性の穏やかな宗雄にしては、珍しく語気を荒げた。
桂はあえてそれ以上、そのことには触れずに、話題を置き換える。
「ところで小西殿、大名家のご息女の
宗雄は首を
「はて、
その言葉に、二人はしばし
そんなところに、鉄砲隊の小姓
何やら良からぬ相談であることは、その
桂は小十郎を北の
「小十郎、
小十郎は片膝を付くと、人目を忍ぶように小声で答える。
「
「狙撃する。それは穏やかではないのう」
桂の言葉には、すでに祐直が何処でそれを仕掛けるのかを考えている様子が伺える。
「稲富様は、細川の姫君が一色家にとっては災いの元となるであろうと、申しておいででした」
「だから始末しようと言うのか。何とも浅はかな・・・」
恐らくは、祐直が狙撃を仕掛けるとしたら、宮津から弓木へと向かう海岸線を進むところ辺り、つまりは
妙見山には
それに、海岸線沿いには防砂林用の雑木林が続いているため、大がかりな襲撃部隊となればいざ知らず、祐直ひとりが鉄砲を持って隠れるにはまさに打ってつけの場所でもあるのだ。
桂は片膝をつき眼を伏せる小十郎に問い掛ける。
「小十郎、何故その話をわしにしたのじゃ?・・・」
小十郎は首をもたげると、その眼から一筋の涙を流した。みるみる彼の長い
「稲富様をお救いできるのは、結城様しかいらっしゃらないと思ったからでございまする」
言うや、小十郎は桂の足下に両手を着いた。
「祐直殿を救う?」
おかしな事を言うものである。
鉄砲で姫を狙撃しようとしているのは祐直の方で、本当に救わなくてはならぬのは、むしろ細川の姫君の方ではないか。しかし、桂はこの言葉の意味も、そして小十郎が流した涙からも、祐直と小十郎の関係が只ならぬものであることに気付いた。
「小十郎、案ずるでない。必ずやわしが祐直殿をお助けいたそう」
小十郎は、もう一度桂の足下にその額を擦り付けた。
それから二月後、弓木の里にもいつもより少し遅い春の訪れと共に、京から義定一行が戻って来た。
もちろんその到着の少し前には、与六ら
また、予定より遅れていた寝所の方も万端整い、まさに城は義定と伊也姫の婚礼を祝う雰囲気一色に染まっているかのようであった。
そんな中、祐直だけはいつものように、眼を爛々と輝かせ、しきりに鉄砲の手入れを怠らない。
そんなところこへ、めずらしく矢野
「稲富殿、細川の
藤一郎の言葉に、祐直は引き金に駆けた指に力を込める。乾いた引き金の音が小さくカチリと鳴った。
「到着は明後日じゃが、稲富殿の鉄砲隊も我が方からの護衛として、
文殊は天橋立よりも更に少し先にあたる。
桂が予想した狙撃場所とは、まさに目と鼻の先でもあるのだ。しかし、そもそも織田と一色とが有するこの土地で、祐直以外のいったい誰が姫を襲おうというのか。
祐直は火穴に残っている
「護衛は結城の方が適任でありましょう」
藤一郎はこの物言いに多少の不満を感じたが、同時に適任者という点では、確かに祐直よりも結城桂の方が合っているとも心の中で確信した。
「左様か」
藤一郎は一言吐くと、また来た道を足早に戻って行く。
隣では小十郎が、
祐直は藤一郎が立ち去るのを見届けるや、小十郎を傍らに呼び寄せ、その耳元でそっと
「明日の夜、城を出る。わしに万が一があった時は、お前は黙って城を抜けよ」
祐直には冷淡な性格とは裏腹に、このような優しさも持ち合わせている。
小十郎はそんな祐直の眼差しを複雑な想いで見つめていた。
一方、京より帰還した与六は、
「亀井様、また一段とお太りになったのではございませんか」
今日は珍しく桂の部屋にいる里が、与六の姿を見るや真っ先に口にする。
「お里さんにはかなわんな」
与六は具足を外しながら照れくさそうに笑う。
里の方は与六の具足を拾い上げると、その汚れを洗い流す為に外へと出て行った。
何しろこの頃は荷駄隊といっても、簡単な具足だけは着け、その隊の頭ともなれば兜も被っているのである。
与六のそれも黒塗りの鉢に
桂は与六の様子から、京で仕入れた織田家の情報であることと察した。
「与六、京ではこの度の婚儀について、何か申しておるか?」
与六は黙って兜の
「桂よ、
「何故、そのように思うのじゃ?」
桂は与六の答えを急かした。
「上手く行き過ぎているとは思わんか。織田はすでに明智殿を要して、丹波より但馬へと侵攻しており、一方羽柴殿は
桂は畿内一円を行商して回っている与六の情報量に、あらためて驚いた。
「その織田が、丹後半国の一色家にへつらうとはとても思えん」
与六は、更に語尾をひそめる。
「京で聞いた噂じゃが、今回の婚儀にはあの知恵者の明智光秀殿が、一枚噛んでいるとのことじゃ。それだけでも易々と喜んでばかり入られないと言うことではないか」
「与六、今の話は他の誰かにいたしたか?」
桂の言葉に、与六は首を横に振る。
「では、今後何があろうとも、今の話は他言無用じゃ」
与六は黙って、今度は首を大きく縦に傾けた。
次の日、いよいよ細川の姫の到着を明日に控え、弓木の城はてんてこ舞いの状態であった。
あの日置の老人ですら城の中を行ったり来たりしては、大江越中守にたわいもない質問を繰り返している。
「大江殿、
「主殿介殿、ご心配召されるな。必ずや寝ずの番を着け申す」
「大江殿、姫がお好きな物は取り揃えておろうな?」
「万事万端整のうてござりまする」
「大江殿・・・」
「
一事が万事このような具合なのである。
また、日置主殿介は義定を見つけるや、お節介にも彼に
「ところで、このような大事に、
主殿介は話の矛先を義兼に向けた。
義定が答える。
「さて、義兄じゃは昨日より
吉原城は丹後半島のちょうど真ん中、
城主は吉原義清と言い、吉原姓を名乗ってはいるものの一色義道の
つまり、現在の当主一色義定とは叔父、
これを聞いた日置主殿介は、即座に眉毛をつり上げると、そこにいる誰もが驚くほどの声を張りあげた。
「何故、義清殿が
この老将と吉原義清の不仲は今に始まったことではない。それは弓木の誰もが承知しているところでもあった。
義定は主殿介をなだめるように
「此度の婚儀の知らせもあるが、近頃山名
とは言っても、日置老人にはもうこの話の内容にさしたる関心は無い。
品の無い笑い顔と共に、先程していた夜床の手ほどきの話を繰り返している。
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