天翔る麒麟

鯊太郎

第1話 人として

 京より北、日本海に面したこの地をその昔丹後たんご国と呼んだ。東は丹後街道より、若狭わかさを経て越前えちぜんへと続き、一方は山陰道さんいんどうを西に下ると但馬たじま国と境を接している。

 国内に平坦な土地は少なく、領土の半分を丹後半島が海へと迫り出している。けっして肥沃ひよくな土地というわけではないものの、それでも清和源氏せいわげんじの流れを汲む一色氏いっしきしは、古くからこの丹後の地に戦国大名のひとつとして根付いていた。


 時は折しも戦国時代、近畿に勢力を伸ばしていた織田信長は、上杉謙信の死去に伴い飛騨ひだ国より越中えっちゅうへと侵攻し、その後、柴田勝家しばたかついえをして上杉領の加賀かがから能登のと席巻せっけんした。余勢よせいを駆って信長は、その矛先ほこさきの一方を中国方面へと向けた。そして、ここ丹後も例外ではなかった。細川藤孝ほそかわふじたかを総大将とする織田の軍勢が、少しずつその触手を伸ばしていたのである。


 天正てんしょう六年の春、この頃の丹後国は長年続いてきた隣国若狭武田氏との戦で国中は混乱し、また当主一色義道よしみちの度重なる悪政にもより民は疲弊ひへいしていた。しかし、一方の若狭武田家当主の武田元明もとあきはまだ幼く、また家中も武田家存続派と親織田派とに分裂していたため、義道はあえて国の内政よりも若狭への侵攻を押し進めていったのである。


 この時も義道の命を受けたその子義定よしさだは、彼の軍勢千五百を率いて丹後浜村城より若狭の吉坂峠砦きっさかとうげを落とし、次なる源力木山城げんりききやまじょうを目指していた。

 当然若狭武田氏側も黙って見ていたわけではない。高浜城より逸見昌経へんみまさつねが急遽援兵えんぺいを差し向けたことにより、まさに攻防は一進一退を極めることとなった。

 そんな中、兵の組長を務める結城桂ゆうきかつらの組も侍頭である内藤弘重ないとうひろしげ隊に従い、六路谷ろくろだに山間やまあいをただひたすらに歩いていたのである。



 「おい桂、内藤様とは離ればなれになってしもうたな」

 「声を立てるな与六、ここは敵地の真っ直中ぞ」

 結城桂は同じ組兵の亀井与六かめいよろくをたしなめた。

 「しかし、ずいぶんと腹も減ったではないか」

 それもそのはずである。与六の身体は人一倍大きい。

 そんな身の丈六尺三寸の彼が構える朱槍は太く、これまた二間二尺の代物しろものである。穂先の刃渡りは十二寸、真鍮しんちゅうの石突きには黒鯨のひげが巻いてある。剛の者でも容易には振り回すことなどできそうもない。

 そんな彼は、この結城桂の同郷の友でもあり、また信頼のおける組兵くみへいの一人でもあった。


 当時一色家では、この組兵という兵の組織を作っていた。各重臣の下には何人もの侍頭がおり、その更に下には一組から五組までの組兵達が配属されているのだ。ひとつの組兵は六人ほどから成り、そのまとめ役が組長である。

 吉坂峠砦に攻め入ったときには六人いた結城桂の組兵も、今では桂と与六の二人だけとなっていた。

 彼らの侍頭でもある内藤弘重ですら、今ではどこにいるのか分からないのだ。当然他の組兵のことなど、この時の二人には知るよしもなかった。


 そんな彼らの前に、一軒の屋敷が二反にたんほど離れた畑の向こうにぼんやりと見えて来た。

 「おい桂、あれを見よ。あそこじゃ、明かりが灯っておるぞ」

 与六はその大きな槍の穂先で、灯りが見える方を指した。

 結城桂は背中より弓を引き抜くや、音も立てずにその弦に矢をつがえる。

 「敵の兵がいるやもしれん、忍んで行くぞ」

 二人は背を丸めながら小走りに畑を横切ると、木々の間かられる灯りだけを頼りに少しずつ屋敷へと近付く。

 屋敷までほんの目と鼻の先にと迫ったとき、突然屋敷の中から女子の悲鳴が聞こえて来た。

咄嗟とっさに顔を見合わせた二人は、足早にそれでいて今まで以上に音を立てず屋敷の入り口へと歩みを進めた。


 表門を抜ける二人の眼には、意外にも屋敷への入り口が間近に見えた。

 戸は外側より壊されたのか、戸板が内側へと傾く格好で外れている。その入り口から続く土間は、これまた意外にも広く感じられ、光の届かぬ奥はただ真っ黒な空間が広がっているように思える。

 灯りは点いていないものの、その異様さはそこに居る二人にもすぐに感じることができた。


 不意に、桂が忍ばす足先に無機質な感触が伝わって来た。それは微塵みじんにも動かない、それでいて石や金属などとは違う柔らかさが親指の先に感じられるのだ。

 彼にはすぐに、それがすでに死んでいる人間の身体であることが分かった。

 しだいに眼が暗がりになれてくると、そこには転がる木桶やたきぎに混じって、男女あわせて六人のむくろが横たわっているのが見えてきた。

誰も甲冑かっちゅうを着けていないところを見ると、どうやらこの家の者達であろう。その誰もが、ほとんど喉や心の蔵を一突きにされている。


 与六は目一杯彼の眼を見開くと、その槍の穂先で、音も立てずに一体一体のその生死を確かめている。

 二人の嗅覚はえた臭いの中に、何か別のものを感じ取っていた。そう、人の血の臭気がその場の空気をいっそう湿ったものに変えているのだ。


 桂は顔を上げた。暗闇に一点、土間から続く廊下の突き当たりの壁がほのかに明るい。とその時、また部屋の中から女子の悲鳴が聞こえた。それに続くよう、今度は男の怒鳴どなる声がする。

 「どんなに泣きわめいても、誰も助けに来る者などおらんわ」

 その声は野太く、相手をののしるような調子である。

 どうやらその声の主には、まだ二人の存在は知られていないらしい。桂はその灯りを頼りに、部屋へと続く廊下に足を掛けた。与六も後に続く。


 彼らは全身の神経を踏み出す自分の爪先つまさきに集中しながらも、眼だけは仄かに明るくなった壁の一点を見つめている。

 ところが、廊下の突き当たりにと差しかかったとき、迂闊うかつにも与六が床板を踏み外してしまったのである。とたんに壁を照らし出していた灯りは消え、変わりに奥の部屋のふすまが勢いよく開けられた。


 「誰じゃ?」

 部屋からは二人の男が飛び出してきた。

 暗がりに眼が慣れていた桂には、男の持つ槍の穂先が鈍く光っているのが見える。

 「誰じゃと聞いておる」

 男はもう一度尋ねた。

 しかし、桂も与六もその男の声には確かに聞き覚えがあった。それは内藤弘重が配下である、別組の男のものに相違なかった。


 「おぬしは五平ではないのか?」

 今度は桂がその声の主に聞き返す。

 「そう言うおぬしは誰じゃ?」

 「わしじゃ、二組の結城桂じゃ」

 言い終わると、にわかに部屋の灯りがまた点けられた。桂と与六はその灯りを横から受けた男達の顔を確かめる。

 それは紛れもなく、一組の中村五平ごへいと杉吉之助きちのすけの二人であった。彼らもまた、桂達を確認することができたのであろう、五平は安心したかのように槍を廊下のはりに立て掛けた。


 「お願いです、止めて下さい・・・」

 「聞き分けのない娘じゃの。手こずらせるでないわ」

 部屋の中からは、また違う別の声が聞こえてきた。咄嗟に部屋の中を覗き込んだ桂の眼には、一人の若い娘が甲冑を着けたままの大男にのしかかられ、今まさに手込めにされようとしている姿が飛び込んできた。

 「弘重様のれごとじゃ」

 五平は部屋の隅に座ると、二人にも座って見ているよう促した。もう一人の男杉吉之助は彼らと入れ替わるように廊下へと出る。

 「二組の者か。しばしそこで見ておれ」

 その大きな男は娘の衣服をはぎ取ると、その乳房ちぶさに手を伸ばした。娘の悲鳴は絶叫へと変わる。

 彼が着ける甲冑の帷子かたびらが重なり合う音と、畳が何か重いものにすりつぶされるような音とが妙に大きく聞こえる。

 と、突然。


 「内藤様、何卒なにとぞおやめ下され!」


 桂はその娘の声にも負けないくらいの大声を張り上げた。

 にわかに部屋の中には絹糸を弾いたような緊迫した空気が張りつめる。

 男はその大きな身体はそのままに頭だけ振り返ると、桂をじろりとにらみ付けた。

 「お前か、今何とか申したのは」

 言いながら、男はその場にゆっくりと立ち上がった。その右手にはすでに太刀が握られている。薪の炎が男の顔を照らし出す。

 侍頭の内藤弘重である。


 同時にその灯りは先程までは見えなかった部屋の隅々をも照らし出した。

 何と、娘の傍らには男女の骸が一つずつ。この娘の親であろうか、一人はせたまま背中から一突きに刺され、女の方は壁に寄り掛かるように死んでいる。

 いくら戦乱の世とは言え、このような理不尽りふじんが許されるはずはない。桂は込み上げる反吐へどを押さえながらも、なお内藤弘重に頭を下げた。

 「内藤様、何故このようなことをなさりまするか?・・・」

 なおも弘重は桂に近付く。

 「雑兵ぞうひょうの分際で、わしに意見するとは何事か」

 言うが早いか、弘重は桂の左肩をルビを入力…り飛ばした。そして、廊下まで転がった彼を追いかけるや、今度はその首元に太刀の刃を突き立てたのである。


 隣では与六が、ほぼ反射的に槍の穂先を弘重目掛けて突きつけた。弘重を挟んで与六とは反対側にいた五平は、この光景に半分腰を抜かしかけていたが、廊下に出ていた杉吉之助は、そんな与六の首筋に向け真っ直ぐに槍をたがえている。

 「わしらは皆、同郷の仲間ではないか。このようなことであらがい合ってもしょうがないであろう」

 弘重は床に刺した太刀先を引き抜くと、もう一度不敵な笑みで桂を睨み返した。


 「その槍でわしを突いてみるか?」

 言いながら、彼は与六の繰り出す槍の穂先の前に、自分の胸を押しつける。与六には灯りを背にして立つ内藤弘重の身体が黒い阿修羅あしゅら像のようでもあり、その顔は般若はんにゃの面をつけた熊のようにも見えた。

 与六は片膝を付くと、その槍を床に降ろした。

 弘重はゆっくりと振り返りながら、今度はその娘の顔を覗き込む。

 「わしが憎いか。憎むならこの世を憎め、力のないおのれを憎むのじゃ」

 そう言うと、彼は横たわる骸を右足で蹴飛ばすように部屋の隅へと払いのけた。


 再び彼の手が娘に伸びたとき、弘重のその大きな身体めがけて今度は桂が身体ごとぶつかって行った。

 刹那せつな、弘重は片手で桂を放り投げるや、雄叫おたけびとも思える大声をあげた。

 「下郎げろうがーっ・・・」

 しかし、彼の身体は立ち上がるのではなく、そのまま仰向けにひっくり返った。

 見ると、弘重の腰の辺りからはおびただしい血が吹き出ている。

 桂は起きあがると、もう一度弘重の脇腹辺りに太刀を突き刺した。今度は弘重の片足が囲炉裏いろりに掛けられた鍋にあたり、鍋の湯が薪の灰を巻き上げる。辺りは巻き上がった灰と供に、また一瞬にして暗闇が支配することとなった。


 桂はこの闇の中、もがく弘重の鼻と口を手探りで探ると、両手で力の限りにそれを覆った。

 脇腹を刺された弘重の口からは、生暖かい、それでいてぬめりのある液体が次々とあふれ出て来るのが分かる。

 この様子に廊下で控えていた吉之助も槍を手に部屋の中へと入ろうとしたが、その首元にはすでに与六が繰り出す朱槍がその鈍い光を放っている。


 しばしの沈黙が続いた。まるでそこには生きている者などいないかのように、音のない静寂の時間が流れる。

 桂が再び薪に火を入れると、そこにはまた、少しずつ生きた人間の様子が浮かび上がってきた。

 彼の横には、もうすでに呼吸をする事を止めた内藤弘重の身体がある。

 その顔を薪の炎が仄かに照らし出している。それは先程のものとは違い、桂には御仏みほとけの顔のようにも見えた。


 桂は娘の着物を拾い上げると、それを娘へと放った。娘はそれを肩に掛けたまま、未だ身動き一つしようとはしない。

 無理もない話であろう、突然進入してきた武者共によって家の者をはじめ眼の前では両親を殺されたあげく、今まさに自分の尊厳そんげんをも失いかけていたのである。

 娘は口を真一文字まいちもんじにくいしばると、眼だけは一点を見つめながら小刻みに震えている。


 一方、部屋の隅では五平が小太刀を握りしめたまま腰を抜かしている。

 桂はゆっくり振り返ると、与六の方に眼をやる。与六は未だにその穂先を吉之助の喉元のどもとから離してはいない。

 「すまぬ与六、かようなことになってしもうた」

 桂は太刀を囲炉裏へと放り投げた。

 与六は眼だけはじっと杉吉之助を見据みすえたまま、彼に尋ねる。

 「こうとなっては仕方があるまい。それよりこれから如何にするかじゃ。まずはこの二人の始末を何とする?」

 その言葉からは、容易に彼の意図が伺い知れる。


 桂は中村五平の前に座ると、小さく一つ頭を下げた。

 「すまぬ五平、人としてわしには内藤様の行いを見過ごすわけにはいかなんだ」

 「わ、わしは内藤様の言うがままに従ったまでじゃ。むろんおぬしらのことなど誰にも言わんぞ。だ、だから命だけは助けてくれ」

 五平は立て膝のまま小太刀を放ると、両手を拝むように合わせた。

 「吉之助、そちは如何じゃ?」

 吉之助は槍を廊下の隅にと放るなり、どっかとそこに胡座あぐらをかいた。

 「わしはわからん。おぬし達のことを言うとも言わんとも約束はできん。できぬ約束はわしはせん」


 桂と与六は供に顔を見合わせた。与六はその穂先を吉之助から離すと、襖越しに五平の脇腹へと一気に突き刺した。

 途端に襖と畳は彼の血で真っ赤に染まっていく。五平は一言も発する間もなく絶命した。

 「すまぬ五平、一度人を裏切った者はいずれまた必ずや裏切るものじゃ」

 反面二人には、吉之助が容易に自分達のことをしゃべることはないであろうとも思えた。


 「わしは殺さんのか?」

 伏し目がちに一点を見つめるようつぶやく吉之助に、桂は自分の言葉を押し殺すように答える。

 「我らとて、無駄な殺生せっしょうは好まん」

 当然この場で殺すことは簡単だが、二人にはこれ以上仲間をちゅうする必要がないこともまた直感的に感じ得たのである。


 与六は吉之助を柱に縛り付けると、その傍らに短刀を置いた。

 いくら殺さぬとはいってもここは敵の領地の真っ直中、このまま縛り付けておいてはみすみす敵の手にかかるは目に見えているからである。自分達が出払った後に、それで縄を切って逃げろと言う意味である。


 それから、桂と与六は足早にその部屋を後にしようとした。

 「やっ、桂・・・」

 与六が見つめる方を振り返ると、そこにはあの娘が裸で立ちつくしている。 

 娘は囲炉裏の中から太刀を引き抜くと、それを頭の上に振りかぶり、今はもう動くことをやめた内藤弘重の胴に目掛けて思い切り打ち付けた。一度、二度、三度と・・・

 弘重の胴には、その度に鈍い音ともに刀傷が幾重にも付けられる。

 桂は泣きわめきながら太刀を振り下ろす娘の手を掴むと、今度はいっしょに彼の手を添えて振り下ろした。

 すると弘重の首が不自然な方向へと転がった。


 「この娘は如何いかがいたすのじゃ?」

 「ここに置いていくしかしかたあるまい」

 桂は傍らに座り込む娘を見下ろす。

 「じゃが、このままではまた誰ぞのなぐさみ者に・・・」

 与六には両親や家族、家を一瞬にして失ったこの娘が哀れでしょうがなく思えたのだ。

 桂は娘の細い肩にその着物を羽織らせると、暗がりの中、手探りで娘の帯を探した。娘は未だ眼を見開いたまま、微かに震えている。

 桂は真っ直ぐに娘を見据えた。

 「いずれこの者達も手厚くほうむってやるゆえ、今はわしらと共に来るのじゃ」

 それは、今この現状から回避できる唯一の方法でもあり、いずれこれから追われる身になるであろう彼らにできる精一杯の言葉でもあったのだ。

 しかし、意外にも娘はそれを承知した。娘は着物の前襟まええりを合わせると、手にした帯を左の腰の前で固く結んだ。


 結局彼らは、桂が与六の朱槍を担ぎ、与六が娘をおぶってそこを後にする事にしたのである。

 空には先程よりも、いっそう沢山の星が瞬いているのが見える。遠くの森では、何羽かのふくろうがホーホーと競い合うようにその喉を鳴らしている。


 それから半時ほど後、杉吉之助もまた、一人その屋敷をあとに丹後への道を戻って行った。

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