第29話 死闘
事実この頃、
滝上山より一時後退した鉄砲隊は、妙見山の山頂から北側の尾根に陣取った。
すでに滝上山には細川兵の
「小十郎、
祐直は
「佐波殿は流れ弾が胸に・・・」
小十郎は伏し目がちに答える。
二の句を失った祐直に代わり、青戸弥平がぼそりと口を開く。
「まったく若い者が、この老兵よりも先に
言いつつ弥平は鉄砲を担ぐと、妙見山の頂上を
「禅儒坊、参るぞ」
禅儒坊は祐直に黙って一礼するなり、弥平の後に歩を進める。振り返る弥平。
「ほう、
「ご老体とは長い付き合いになりますので・・・」
「言うわ」
弥平は、祐直と桂の方にその
「祐直殿、くれぐれも死に急がれるな。おぬしらの戦はこれからじゃて」
「弥平・・・」
祐直は一歩だけ歩みを進めたが、そこで踏みとどまった。弥平が自ら決めた最後の生き様の邪魔をしてはならないと思ったからである。
それは桂も同じであった。彼は心の底から二人への言葉を振り絞った。
「題目山はお任せいたしましたぞ。どうか・・・」
しかし、最後の言葉は東斜面より駆け上がってくる細川勢の鬨の声で掻き消された。
しばらくすると、題目山の方角からは十秒に一発の割合で銃声が続いて聞こえてきた。
しかしそれも十数発を聞いただけで、その後は一瞬の歓声と供に山は何もなかったかのようにまた静けさを取り戻した。
「弥平・・・、禅儒坊・・・」
祐直は流れる涙も拭わぬままに、いま一度鉄砲を握り直すと、また東の斜面に銃口を向けた。もちろん、それは桂も同じである。
途端に、妙見山の東斜面には、またもや幾つもの骸が転がり始める。
それでも次から次へと繰り出してくる敵兵に、稲富鉄砲隊は少しずつその囲みの中に取り込まれようとしていた。
「これでは
「承知した」
桂は、この言葉の意味を十分に理解している。彼らは岩陰に隠れると、細川方の
細川方の兵達は桂らが弾込めに手間取っていると思ったのであろうか、銃声が途切れた山肌を、必死に四つん
あと少しで鉄砲隊の陣まで届くというところで、祐直と桂は不意に彼らの前に銃口を向けて立ちはだかるのである。
祐直の眼の前に現れた敵の兵は、その背中から短槍を取ろうと手を伸ばしたが、当然それは叶わなかった。
祐直は少しだけ銃口を上げると、その兵の顔を撃ち放ったのである。
至近距離からの発砲である。顔の半分を失った兵が大きく後ろへと吹き飛ばされた。
それを間近で見せられた他の兵は、一瞬足を止める。いや正確には、自らの意志では次の一歩が踏み込めなくなってしまったのである。
高みからニタリと笑う祐直。その手には、すでに次なる銃が握られている。
再び彼がその銃口の目当てを敵兵に向けると、ある者は声を出して逃げ去り、またある者はその場で腰を抜かした。
一方、敵を十分に引きつけていた桂も負けてはいなかった。彼は音もなく敵兵の前に現れると、その銃を腰の位置に据えた。
もともと桂の銃は至近距離で用いるためのものではない。遠距離狙撃用のためのものであるのだ。
桂と
その兵はまだ若そうにも見えた。おそらくは戦場での経験が浅いのであろう、しきりに自分自身を
桂はゆっくりと自分の身体を少しだけ左に動かすと、その兵の後ろにもう一人別の兵を重ね合わせた。
次の瞬間、彼が引き金を引くと同時に二つの兵の身体が大きくのけぞって見えた。
手前の兵は右脇腹をえぐるように撃ち抜かれ、その場へと膝をついて倒れた。腹からはおびただしい量の血が流れているのがわかる。
彼の身体を貫いた弾は、真っ直ぐ後ろに控えていた兵の喉へとめり込んだ。当然、こちらも即死である。
この光景を間近で見せられることとなった敵兵は、先程の祐直の時と同様、
それでも中には二三人
妙見山の山頂付近は、期せずして一時の静寂が当たりを包み込むこととなった。
祐直は打ち終わった銃を左手より後ろに控える隊員に渡すと、空かさず今度は右手を後ろへと回す。もちろん眼だけは東に広がる山裾から少しも離そうとはしない。
「殿、残りの弾も少のうございます」
彼の右手に銃を渡しながら、多々良小十郎が小さく
「何発ほどじゃ」
相も変わらずに、顔だけはピクリとも動かさず祐直は尋ねる。
「五十発ほどかと・・・」
小十郎は、残った隊員が持ち合わせた残りの弾を一所に集めさせた。
少し離れたところでは、桂も残りの弾の数を数えさせているようである。それとて、おそらくはそう数に違いはないであろう。
祐直は桂を手招きすると、銃を一カ所に集めさせた。いよいよ最後の決戦に備えるためである。
「祐直殿、ここは一旦城へ戻るべきかと」
桂がそう語りかけたとき、にわかに山頂へと続く北の尾根を駆け上がってくる二人の影が眼に入って来た。
垣崎新吾である。はだけた胸元を気にすることもなく、一目散にと駆けて来る。
彼は先に桂が、海岸線に伏せてある弓隊の加勢をさせるために送り込んだものであったのだ。
「新吾、如何したのじゃ?」
桂の言葉に、新吾はぐっと唾を飲み込んだ。
「弓木より吉原殿をはじめとした騎馬隊が、海岸線にて細川勢と合戦におよんでおりまする」
「吉原とは義清殿のことか。して、お味方の騎馬数は如何ほどじゃ?」
祐直が割って入る。
「五十騎ほどかと・・・」
「何、たった五十騎で大将自ら討って出たというのか」
祐直は北側の裾野に広がる松林の間から、微かに見え隠れする幾本もの旗指物を見ながら奥歯を噛みしめた。
「新吾、弓木の城は如何したのじゃ?」
桂の再びの問に、新吾は頭を振った。
「分かりませぬ。敵は吉原殿を囲んだ後、海岸線よりこちらにも向かって来ましたので、この事をご報告にと思い、山を上がって来たのでございまする」
「では、吉原殿はすでに・・・」
祐直の問い掛けに、新吾はきっぱりと答える。
「はっ、すでにお討死にされたものと思いまする」
「まことか、新吾」
桂は真偽を確かめようとしたが、祐直はすでに次の行動に出ている。
事実、この時正確に言えば義清はまだ討ち取られてはいなかった。彼らは散々細川勢と渡り合ったものの、如何せんそこは多勢に無勢、徐々に文殊より
そこで義清はいよいよ自分の最後を悟ると、海岸より少し入った海女小屋の中で自刃して果てたのである。
その首は、家来の
しかし、垣崎新吾はあえてそのことを口にはしなかった。状況把握に
祐直は桂を振り返る。
「結城、もはや十分であろう。おぬしはおぬしが任された仕事をやり遂げに参れ。ここは我らが食い止める」
祐直は知っていたのである。
桂が義兼と供に、藩主義定より先代藩主義道の忘れ形見である
あるいは、本当にまったく知らなかったのかもしれない。しかし、何かを感じ取っていた祐直は、桂をこの戦場より離れるよう命じたのである。
「祐直殿・・・」
「結城、新吾を連れて参れ。新吾は何かと役に立つ」
桂は垣崎新吾の方を振り返る。
彼は桂に深々と一礼するなり、祐直の前に両手を付いた。
「拙者も稲富鉄砲隊の一員でございまする。最後まで殿のお側で・・・」
肩を振るわす新吾が最後の言葉を発する前に、祐直は銃を彼の眼の前にかざした。
「すまぬ、結城」
桂は居合わせる鉄砲隊のひとり一人を黙って見つめた。言葉はなくとも、彼らの間にはそれ以上心を通わせるものがあるからである。
「急げ、じきに敵が登ってまいるぞ」
祐直の言葉に、桂は皆に背を向け、妙見山の山頂を南へと下り始めた。
不意に祐直が彼を呼び止める。直ぐさま振り返る桂。
「結城桂よ、まこと愉快であったぞ」
そう言う彼の顔は確かに笑っていた。
今までに一度も見たことがないよう満面に笑みを讃えているように桂には見えた。
それから桂は一度も後ろを振り返ることはしなかった。一度でも振り向けば、それだけ自分の心が鈍ることを知っていたからである。
彼は尾根伝いに地蔵峠へと抜け、野田川の支流の沢を転がるように駆けに駆けた。
背中越しに見える山頂では、祐直が集めさせたすべての鉄砲に弾込めをさせると、それを各隊員に一挺ずつ手渡した。
「よいか、これから後、己の身は己で守るのじゃ。最後の銃声が聞こえなくなるまで、断じてこの山を下ることは許さん。よいな」
その
しかし、その歓声を
東斜面に加え、こたびは北側からも無数の旗指物が山の斜面を登ってくるのが見える。
散発的な銃声に混じって、数十挺が一斉に放たれるような銃声が四方の山に連呼する。
いよいよ細川方の鉄砲隊が動き始めたのである。
銃声と歓声とは、およそ半時ほど続いた。もちろんこの時間は、桂を妙見山より石川へと逃がすのには十分過ぎるほどでもあったが、一方で鉄砲隊の幕引きは壮絶なものであった。
副隊長の垣崎新吾は、弾が無くなるや
多々良小十郎にいたっては、最後まで祐直の傍らにあり弾込めをした銃を彼に手渡した。
しかし、祐直が網を掛けられ敵方によって捕らえられると、自らは崖より身を投じてその命を絶ったのである。
他の隊員達もこれに多くは違い無かった。
結局最後は山頂に九曜紋の旗印と鬨の声とで、稲富鉄砲隊の戦は一応の幕を閉じることとなったのである。
もちろん、妙見山の山頂を埋め尽くした細川方の兵の数からすれば、よくぞあの少人数で半時も時間を稼ぐことができたものだと、そこにいる誰もが驚いたに違いない。
それ程までに、稲富鉄砲隊は最後の最後まで死力を尽くしたのであった。
そんな中で、稲富祐直だけは彼の意に反して死を免れた。
逆に言えば、歴史の中においては、祐直だけが稲富鉄砲隊と供にこの世から
何故そうなったのかは分からない。
忠興とてははじめから祐直だけを生け捕りにしようなどと考えていたわけでもあるまい。ただ事実として、確かに稲富祐直は一色家が滅び行く中、生き残ることを課せられた数少ないうちの一人であることには相違はなかった。
祐直はその後、細川家のもとで銃の腕をさらに磨き、時の豊臣秀吉が仕掛けた
乱世を分けた関ヶ原の戦いを経た後は、徳川家にその砲術の腕を買われ仕えることとなる。
それは、まさに鉄砲一筋に賭けた
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