第3話 吉之助の想い 

 四人はまず、丹波の北東に位置する山家やまが城下へと入ることにした。

 もともと丹後国と丹波国とは丹州たんしゅうとも呼ばれ、供にひとつの国であったことからも、その交わりは昔より非常に深いものがある。


 この時代の丹波国は、長年国人こくじん同士の争いが続く中、際だってそれらを統制できる者もいない状態であったため国内は混沌としていた。

 それでもやはり、京より西の出入り口として時の政権者達にとっては常に得難い土地のひとつとして重要視されてもいたのだ。

 そしてこの期に乗じたのが、畿内より勢力の拡大を計っていた織田信長であり、彼は明智光秀あけちみつひでに対しその攻略を命じたのである。


 すかさず丹波国内は親織田派と反織田派とに分裂した。

 その中でも黒井城主の赤井直正あかいなおまさはいち早く城に籠もり、織田方に対して徹底抗戦に及ぶ姿勢を示した。

 これに時の実力者でもあった八上やがみ城主の波多野秀治はたのひではるらも呼応こおうしたため、明智光秀はやむなく一時京へと撤退したほどである。


 この時も、山家城はまだ反織田派の和久義国わくよしくにが納めていたが、これとて何時織田方に寝返るとも知れない状況でもあったのだ。

 このように四人にとっては、丹波といえどもけっして気が抜ける場所ではなかったのである。ゆえに、冬馬は由良ゆら川が流れる山家城下へと入る前、あるひとつの提案を三人に持ちかけた。


 「このまま城下へ入っても怪しまれるだけであろう。ましてやこの身なりでは。そこでじゃが、わしら四人の身分と京へと向かう目的を取りつくろわなければならん」

 「それはそうじゃが、如何にするのじゃ?」

 与六は目を丸くして尋ねる。

 「身分じゃが、肝のわっておる桂を藩の荷駄にだ役人とし、わしと与六はその家来と言うことに致そう」

 「肝ならわしも据わっておるぞ」

 与六は面白くないらしい。

 「わしらはそれで良いとして、里は如何いたすのじゃ?」

 今度は桂が怪訝けげんそうに尋ねる。

 冬馬は里の方を振り向くと、ニコリと微笑んだ。

 「もちろん、役人結城桂の付人ということになるであろうなあ」

 里はその顔をほんのり赤くしてうつむいた。

 「どうだ、できるか里?」

 冬馬は茶化すような顔つきで、もう一度彼女を覗き込む。里はひとつ大きく頷くと、その瞳で桂の顔を見つめる。


 「しかし、身分は良いとして、京へと向かう大義名分たいぎめいぶんは如何いたすのじゃ?」

 桂と与六には、とんと見当もつかないことであるようだ。

 冬馬は懐から藩で取り引きされている様々な品物が記された帳簿を取り出すと、それを三人の前に広げて見せた。

 「桂は荷駄役人じゃぞ。つまりわしらは、藩で必要な品々の買い付けに来たということに致すのじゃ。反物たんものでも飾り物でも、武器や馬具に関する物でなければ何でもかまわん。いくら織田方と険悪な状況とは言え、戦に使わぬ品を買い付けに来た者にまで手出しはせんであろうからな」

 冬馬は与六にも言葉を繋いだ。

 「それに、荷駄人足としてはこの上もない体格の家来もおるしな」

 「ほんに」

 桂は笑いながら相づちを打ったが、当の本人はというと、衣の袖を二の腕までまくし上げると、大きな力こぶをひとつ作ってみせた。


 それから冬馬は、与六をここより西方に位置する綾部あやべの街まで走らせた。そこで四人分の着物や小物を用意させるためである。

 もちろんそのお金は、冬馬が丹後の家を出るときにたずさえてきたものである。


 一方、与六を見送った他の三人は、山家城の少し手前、覚応寺かくおうじにほど近い民家で食事と湯浴みを取ることとした。当然これにも何某なにがしかのお金が必要であったことは言うまでもない。

 桂は身に付けていた具足ぐそくを脱ぐと、その一つひとつの汚れを丁寧に洗い拭った。隣では里も与六のそれを洗っている。

 この家の者も突然現れた彼らに対して、多少の疑念ぎねんを持ったであろうが、それも冬馬から差し出されたお金の魅力には到底敵うはずもなく、むしろ甲斐々かいがいしく彼らの世話を買って出た。


 二時もすると、使いに出ていた与六が息を切らして戻って来た。約束通り、手には頼まれた着物や幾つかの品々が紫色の風呂敷にぎっしりとと包まれている。

 「ご苦労だったな。早速おぬしも湯をもろうて来い」

 桂は洗い立てのふんどしと供に、すっかり綺麗に仕上がった具足を彼に手渡した。

 「おぬしがおらぬ間に、里が手入れをしてくれた物じゃ」

 与六はその具足を両手で拝むようにと抱きかかえた。


 「それにしてもあれだけのお金で、良くここまでの物が揃えられたものじゃな」

 冬馬が感心をするほど、与六は様々な品を調達ちょうたつしてきたのである。

 「綾部の街へと向かう途中で出会った村人にな、この辺りの領主様はどなたかと聞いたのじゃ。すると、福知山ふくちやまの横山城が城主、塩見頼氏しおみよりうじ様じゃということが知れたので、城下に入ると、まず頼氏様の名は丹後にまで聞き及んでいると褒め称えて歩いたのじゃ」

 「ほう、丹後にまでと」

 冬馬が相づちを打つ。

 「そしたらどうじゃ、殿様の顔に泥を塗るわけにはいかんと、向こうからこれらの品々を持ち寄ってくれたというわけなのじゃ」

 与六は得意そうに鼻を鳴らした。

 「では、余ったお金は如何したのじゃ」

 「腹が減っていたのでのう、使いの駄賃だちん代わりに戴いたわ」

 桂の問いかけに、与六は悪びれもせずに答える。

 「まったくお前という奴は・・・」

 桂は与六をたしなめたが、冬馬はむしろ彼の隠れたさいに舌を巻いていた。


 三人がたわいもない話に夢中になっていると、そこへ湯浴みを終えた里が現れた。

 里はその長い髪をとかしながら、与六が持参した着物に袖を通した。

 山間やまあいの民家である故、べになど気の利いた物までは無かったが、それでも桂ら三人の前に現れた里の姿は、息を飲むほどに美しい。

 「桂よ、変な気を起こそうなどと思っているのではあるまいな」

 与六がからかい半分で声をかけたが、その実、与六も里の姿から目を離すことができないほどであった。

 里は上気した顔を更に赤らめると、少しだけ頭を下げた。その時確かに三人には、里の口角が少し笑っていたようにも見えたのである。


 それから四半時後、藩の荷駄買い付けとしての身支度を整えた一行は、さらに山家城下へと足を運んだのであった。



 山家城の麓、由良ゆら川に面しては幾つかの宿屋と茶屋とが小さな集落を作っている。

 行き交う人といってもほとんど無いような山間の宿場町ではあるものの、それでも四人はなるべく人の目を避けるようにと、街外れにある宿屋に泊まることにした。


 二間つながりの二階部屋に案内されると、与六は早速その寂しい通りに眼をやっていた。

 冬馬は先程の帳簿に何やら墨で加筆しているようである。と突然、与六が声をあげる。

 「あの男、杉吉之助すぎきちのすけではないか」

 これには桂よりも、里の方が先に反応した。里は桂の小太刀を掴むや、真っ先に部屋から駆け下りた。

 「与六、里を止めるのじゃ!」

 すでに桂は里の後を追っている。与六は小脇に彼の朱槍をたがえると、裸足のまま宿屋の裏口から通りへと廻った。


 通りには、すでに里と吉之助とが供に顔を見合わせている。

 里は震える手で小太刀を抜くと、そのさやを横へと放った。

 吉之助は別段身構えるでもなく、里の真正面にその身体をさらしている。

 里はなおも小太刀の剣先を吉之助に向けている。桂はそんな彼女の後ろから、そっとその手首を掴むと、吉之助をにらむように語りかけた。


 「何用あってここへ来たのか。わしらをほうむるようにと言い使ってでもきたのか?」

 吉之助はなおも黙っている。

 「ここにいるはあの時の娘じゃ、お前にも見覚えがあろう」

 里は桂の腕の中で泣きながら震えている。

 与六もいつの間にか吉之助の背後に立つと、彼自慢の朱槍を中段にと構えている。


 吉之助は一歩前に歩み寄ると、腰に下げた太刀を鞘ごと抜いてその場へと放った。彼はなおも里に近付く。

 ついには里の目の前に立つと、吉之助は右手で里の持つその小太刀を鷲掴わしづかみにした。たちまち彼の指先からは幾筋もの赤い血がしたたり落ちる。

 吉之助は更にその剣先を自分の右胸へと充てるや、そのまま静かに自分の胸へと突き立てた。刃先が彼の皮膚を切り裂いたとき、里は思わずその小太刀から手を離した。

 「おぬし、気でも違えたか」

 桂は狼狽える里を自分の後ろへと置く。

 吉之助は刃先を握ったまま、小太刀の柄を里の方に渡そうとしたが、ついにはその重い口を開いた。

 「わしはお前がうらやましい。あの時、わしには内藤様を斬る勇気がなかったの じゃ。じゃが、わしはお前達のことを一言も口にしてはおらん」

 事実、それは桂や与六にも分かっている。

 「では、何故わしらを追ってきたと申すのか?」

 吉之助の後ろから与六が声を荒げる。いつの間にか、桂の横には日下部冬馬も立っている。

 吉之助は冬馬に眼をやると、軽く頭を下げた。


 「先日、城内で藩を抜けた者の噂が流れ、それを捕まえに行った侍が、逆に逃げ帰って来たという話を聞いたのじゃ。その時、助太刀に入った男達の話を耳にし、わしは咄嗟とっさに二人のことを思い浮かべたのじゃ」

 確かにそれは菅坂峠すがさかとうげでのことに相違なかった。

 さらに吉之助は続ける。

 「しかしその後、次なる刺客として三方盛房みかたもりふさ殿が木内源内きうちげんないという凄腕の者を使わしたと言う噂を聞き、どうしてもそれを二人に伝えたいと思ってここまで来たのじゃ」

 「何故わしらにそれを・・・」

 桂は後ろ手に里の手をきつく握りしめる。


 「二人は、あの時わしには出来なかったことを代わりに背負ってくれた。その礼がしたかったのじゃ」

 吉之助はなおも小太刀を桂の後ろに控える里に手渡そうとする。それでも里は、握った手を離そうとはしない。

 「だが娘よ、これだけは信じてほしい。わしはあの家の者を一人としてあやめてはおらん」

 そう言うと、吉之助はその場に正座をし、静かにその頭を前に差し出した。彼としてのけじめを着けようと言うのであろう。

 それはそこにいる誰の眼にも、いさぎよい一人の男としての姿に映った。

 与六も今ではその槍の穂先を吉之助ではなく、はるか頭上へと変えている。


 冬馬はゆっくりと自分の太刀を引き抜くと、桂の後ろでじっと大きな息を繰り返している里を見つめた。

 「何があったかは知らん。だが、もしお前の思いを果たしたいのであれば今ぞ」

 彼はその太刀を里の眼の前に差し出した。

 里は握ったその手を離すと、冬馬の太刀を両の手で掴んだ。彼女はふざまづく吉之助の首筋にその太刀を振り下ろすや、うなるような声で囁いた。

 「私はあなたを許すことは出来ません。でも今は何とぞ桂様達の力になって下さいませ」

 里はその場に崩れるように膝をつくと、声を出して泣いた。

 桂はそんな彼女の肩にそっと手を掛ける。


 真っ赤に染まった両手を頭の前でそろえた吉之助は、深く平伏すように額を地面に強く押しあてた。

 こうして成り行きはどうであれ、山家城下を出るときには、京へと向かう丹後の一団は結城桂、亀井与六、日下部冬馬、里と、そして杉吉之助の五人となっていた。


 由良川をさかのぼる一行は、市場いちばの関を右に折れ、京丹波より観音峠かんのんとうげを抜けて丹波亀山へと入った。

 目指す京へは、もう目と鼻の先である。

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