第4話 刺客

 京へと入った五人は、その居を下京しもぎょう妙顕寺みょうけんじにほど近い反物問屋の若狭屋わかさやとした。


 若狭屋はもともと丹後一色家の息がかかった店であり、いわば京における一色家の隠れ蓑といった存在でもあるのだ。その主人の名は、代々坂巻角衛門さかまきかくえもんを名乗っていたが、今の角衛門でちょうど十代目を数える。


 またこの頃の京の街は、応仁おうにんの乱より続く戦乱の為、京の北半分に当たる上京はそのほとんどの寺社仏閣じしゃぶっかくをはじめ多くの建物が焼け落ちたままの状態になっていた。

 それを時の権力者織田信長によって新しく立て直している最中でもあり、よって、京であきないをする商家もそのほとんどがこの下京に軒を連ねていた。

 さらに京には、町衆まちしゅうという一種独特な市民による自治集団が存在し、この街のおける内規を統制するだけでなく、時には外敵とも武力を持って戦うということも行っていたのである。


 ご多分に漏れずこの若狭屋も京における町衆のひとつであり、その店構えは二条大路にじょうおおじ堀川小路ほりかわこうじが交差する角にある。

 外観は反物問屋らしく間口こそ広く作られてはいるものの、紅殻格子べんがらごうし虫籠窓むしこまど、そして入り口の両脇には犬矢来いぬやらいという、如何にも京町屋らしい作りをしている。


 五人は主人の角衛門に案内されるまま、通り庭から廊下へと上がり、屋敷の奥へと通された。

 途中、綺麗に手入れされた坪庭つぼにわが誰の眼にもとまった。

 その廊下の突き当たりには箱階段が延びており、裏手に当たる壁にも細工がしてある。


 角衛門が長押なげしの裏にある短い棒を引くと眼の前の壁が反転し、五人の前にはそこからまた地下へと続く階段が現れた。

 「しばらくはこちらで休んでおくれやす」

 角衛門は深々と頭を下げる。

 冬馬は礼を言うとその階段を下り始めた。続いて与六も・・・

 桂は里を先に通すと、角衛門に小声で語る。

 「わしらを尋ねて、後から一色家の者が来るかもしれんが、その時はまずわしに知らせていただきたい」

 「何か訳がおありのようですな」

 角衛門は神経質そうなそのくぼんだ眼で桂を見つめる。


 桂は杉吉之助に通りの様子を伺うよう指示をした。

 吉之助は軽く頷くと、今来た廊下をまた戻って行く。

 「わしらは藩より罪を問われておる身なのじゃ。じゃが、けっして殿や藩に対して裏切るようなことをしたわけではない。ここにも織田の動きを探りに来たのじゃが・・・」

 「あなた様の眼を見れば、どのようなお方かこの坂巻角衛門、おおよその察しは付きまする」

 角衛門はなおも慇懃いんぎんに頭を下げると、今一度桂の顔を見つめ直した。


 桂達が若狭屋の地下にある座敷に通されてから、二時ふたときも経った頃であろうか、主人の角衛門が慌てた様子で階段を駆け下りて来た。

 「結城ゆうき殿、織田の兵が動きまする」

 角衛門は京の絵地図を広げると、妙覚寺に駐屯ちゅうとんする織田軍が丹後に向けて出立するということを告げて来た。いよいよ織田による丹後討伐が開始されるのである。


 桂は右手で太刀を掴むや、その絵地図を食い入るようにと見つめる。なるほど、若狭屋と妙覚寺とは三町さんちょうと離れてはいない。

 「与六、千載一遇せんざいいちぐうの好機じゃ。織田の兵にまぎれて丹後へと戻り、こちらの内情を伝えるのじゃ」

 与六もすでに具足ぐそくを着けると、その朱槍を小脇にと抱えている。

 冬馬と吉之助もそれに続いたが、桂がそれを制した。

 「冬馬達は京に残り、引き続き織田の様子を探るのじゃ」

 桂は言うが早いか、与六と供に地下からの階段を駆け上ろうとする。とその時、角衛門が珍しくひとつ大声を張りあげた。


 「そなた達は死にに行きなさるのか」

 大きく振り返る桂と与六。

 「そなたらは、何も解ってはござりませぬな。織田の兵は寄り合いの兵にあらず、信長殿が私兵しへいでござりまする。

 具足の色形も揃っていれば、侍頭が受け持つ兵の数も決まっております。そなたらが紛れ込もうとしても、すぐに身元が分かってしまうということになりましょう」


 「では、拙者達はこの京で如何すれば良いと申されるか?」

 角衛門は桂の問いかけに、また以前のような落ち着いた物言いで答える。

 「まずは、織田の軍を見なされ。さすれば必ずや攻略の糸口も見つかりましょう」

 これには与六も憤懣ふんまんやるせないというような表情を浮かべたが、桂はむしろ角衛門に対する信頼をいっそう強めた。

 そればかりではない。彼らがこの後、京でやるべき仕事を再認識することができたようにも思えた。

 里は皆の後ろでこの様子を伺っていたが、その顔には心なしか安堵の表情を浮かべているようにも見える。


 それからは、桂をはじめ男四人が二人一組となって、京の町における織田勢の情勢を探るべく歩き回ることにした。

 たまに、桂が出かけるときには、里も町娘の格好で彼らの後を付いて歩いた。


 なるほど、坂巻角衛門が言う通り、京における織田信長の軍勢は実に見事なまでに統率されているようである。

 甲冑は言うまでもなく、垂れから組紐くみひも一本に至るまで統括する武将や所属の隊ごとに統一されているのだ。

 それは単に兵達の格好だけではない。兵の規律や見張りの時間、市中における町人への対応に至まで、号令一下のもと少しの狂いもなく動いているようにも感じられる。


 先日、桂は六角小路ろっかくこうじ近くの茶屋の店先で、非番ひばんの織田兵の一人が、自分の飲み食いの代金を踏み倒そうとしているところに出くわしたことがあった。

 兵の様子からすると、どうやら少しの酒でも入っていたのであろうか、男は店の娘の腕を掴むと自分の方へとたぐり寄せようとした。

 ところがその時である、その兵を預かる上役の武将が、その男の行動を見るや、何の躊躇ためらいもせずに抜いた刀でその男の腕を切り落としたのである。

 このことに、桂は改めて織田信長という男の底知れぬ怖さと、度量の深さとを感じることにもなったのである。


 そんなある日のこと、この五人にとっては重大な出来事が起こることとなる。

 それは、この若狭屋に奉公ほうこうする男が、鴨川かもがわの河原で惨殺体ざんさつたいとなって見つかったのである。

 どうやら男は五条大路と東洞院大路ひがしのとういんおおじが交差したところにある浄教寺じょうきょうじ辺りで襲われたらしく、そこから鴨川までの間にはその男の血が転々と滴り落ちていたという。

 それだけではない。男の身体には数種類の得物えものによる傷がついていたのである。そのことからも、複数の者による仕業であることにが伺えた。


 角衛門よりこの話を聞いた五人は、同様にある事を頭に浮かべた。そう、丹波の国元より日下部冬馬に差し向けられた刺客の木内源内きうちげんないのことである。

 真っ先に杉吉之助が口火を切った。

 「恐らくは、こたびのことは木内源内の仕業しわざによるものに違いない」

 これには誰も答えない。皆にもおおよその見当がついていたからである。

 「ということは、相手方は源内一人ではないということになるわけだが・・・」

 与六は男の身体に残された傷跡から、最低でも相手方は三人以上であると判断した。

 底知れぬ恐怖心が誰の背中にも伝わって来る。

 「兎に角、当分の間は京の町中を散策することは控えなければならんな」

 冬馬が皆を見回しながら呟く。

 与六と吉之助は軽く頷いた。里は黙って桂の顔を見つめている。


 桂は京の絵地図をじっと黙ったまま見ていたが、その様子に与六がひとつ冗談半分で桂に尋ねた。

 「他にすることがないのじゃ。いっそおぬしとお里との祝言しゅうげんでも挙げるとするか?」

 桂は何時にもない怖い顔で、与六の顔を見返した。それは冬馬や里も初めて見る、桂の別の顔でもある。

 彼はもう一度京の絵地図に眼を降ろすと、静かに喋りだした。

 「吉之助、相手の木内源内は凄腕の者と申したな」

 「そう聞いておる。以前は三方盛房みかたもりふさ殿の警護を任されていたそうじゃ」

 吉之助は建部山城たけべやまじょうで聞いたことを口にした。

 「それほどの者であるならば、店に奉公する者と剣術の心得のある冬馬とを間違うことなどあろうはずはない。それでも相手は、若狭屋の奉公人だと分かっていながら斬りつけ、これ見よがしに河原へと捨てたとしたら・・・」

 皆はごくりと喉を鳴らす。


 桂は続けた。

 「源内は薄々わしらの所在に感づいていて、わしらを試しているのではないだろうか?」

 「ならば、尚更この若狭屋より出歩くことは危険であろう」

 冬馬が答える。

 「今回のことで、若狭屋より外に出る者がいなくなれば、いよいよ相手方にはわしらがここを隠れ蓑としていることが知れ、一気に押し込まれるとも限らない。何せ相手は源内一人ではなく、複数の刺客ということでもあるのだ。

 かりに店での斬り合いとなれば、弓や槍が使えぬわしらには不利にはたらこう。ましてや、角衛門殿にも迷惑が掛かるばかりか、騒ぎになれば織田方にもわしらの存在が知れてしまうことにもなる」

 「じゃが、相手は源内をはじめとする手練てだれ揃いぞ」

 吉之助は桂の考えを必死で読み取ろうとする。


 「それに隠れているといっても、何時までも隠し通せるものでもない。いつかは必ず決着をつけねばならぬ時が来るはずじゃ」

 桂は里の顔を覗き込んだ。

 「いずれは丹後に戻り、里の両親もとむらわなければならんしな」

 里は、家を離れるときにした約束を思い出して、もう一度彼の顔を見つめた。

 「なるほど、おぬしの言う通りじゃ。して、如何する気じゃ」

 与六は早くも眼を輝かせて、桂が言う次の一言を待っている。桂が静かに物事を考えている時は、必ずや与六にとって心高ぶる案を思いつくということを彼は知っているからである。


 桂は京の絵地図を皆の前に向け直すと、その一点を指し示した。

 「この前の男は、恐らくは店を出たときからつけられていたのであろう。そして人通りの少ない浄教寺付近で殺された。源内達も織田兵が警戒する市中しちゅうでは仕掛けてはこんだろう。つまりはそこを利用するのじゃ」

 皆には桂の意図がまだ分からない。

 「わしらも、店を出たら西洞院大路にしのとういんおおじ上京かみぎょうの方へと歩いていくのじゃ。この辺はまだ警戒中の織田の兵も多いゆえ、源内も迂闊うかつには手が出せんだろう」

 一応に皆も頷く。

 「そして、一条大路へと出たら、ここからは西へと進むのじゃ。間もなく道は一本道となりその両側には雑木林が幾重にも続いておる。そのまま行けば西寿院せいじゅいんを左手に見て嵐山へと続く道じゃ」

 「その雑木林で待ち伏せをするというのですか?」

 吉之助も絵地図の一点を見たまま、桂の提案に答える。

 「そうじゃ、ここならば織田の兵に事の子細しさいを知られることもない」


 「待ち伏せは良いが、如何にして奴らをここまで誘うのじゃ」

 与六の手にはすでにあの太い朱槍が握られている。桂は里の方を向き直ると、更に言葉を繋げた。

 「わしと里がおとりとなる」

 「しかし、それではお里が危険すぎるじゃろう」

 すかさず与六が口を挟む。


 「私にはもう怖いものなど何もありません。それに、私も桂様達のお役に立ちたいのです」

 里はりんとした眼差しで皆を見つめると、与六の朱槍を右手で掴んだ。

 「それに、いざという時は亀井様のこの槍で守って下さいませ」

 そう言う里の眼差しに、与六には帰す言葉が見つからなかった。

 それでもことの始終を聞いていた冬馬は、桂に別の提案を持ちかける。

 「お里にそれだけの覚悟があるのならば、囮の役にはわしとお里でなろう。もともとあ奴らはわしを斬るための刺客しきゃくであるゆえ、わしの方が囮には向いておるであろう。それに、桂が伏兵ふくへいで忍んでいた方が、おぬしの弓を存分に使えることにもなる」

 「しかし、それでは・・・」


 この後、桂も冬馬も幾つか言葉を戦わしたが、結局のところ、囮は里と冬馬が引き受けることとなった。

 「隣がわしでは心許こころもとないであろうが、必ずやお前だけは守ってみせるからな」

 冬馬は里の肩を軽く叩いた。

里はこくり頷くと再び桂の顔を見つめる。桂は何も喋らずに大きくひとつ頷いた。

 傍らでは、吉之助がそんな桂と里の姿を黙って見ている。

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