第31話 別離
一方、追われるように丹後を後にした桂と
ここから目指す
途中、領内を行軍する一色家の一団を毛利方の
そればかりではない。
一行が三原の宿に
「おそらくは、恵瓊殿の
桂の言葉に、義兼もひとつ頷いた。
当時、小早川
しかし、戦国の世にあって、最後まで己の生き様を
それ故、秀吉が天下を取った後、つまりは恵瓊が秀吉の
それが恵瓊と言う男の生き様なのか、また秀吉に対する
こうして、恵瓊という影の存在とこれまた幾つか時の偶然とが重なり合い、右馬三郎範之を藩主とする一色家は伊予国
その後、年が変わる頃には外祖父
最初の城は
偶然であろうか、それは、今は離れし丹後の中山城の風景に
それに中山城は、亡き一色義道がその最後を迎えた場所でもある。必然的に一色範之はその城を中山城と命名した。
こうして、
ところが、この頃になると、
この萩生の地においては、彼の居場所が見当たらないと言うのがその理由である。
突然織田の世が終わり、まさにこれから羽柴秀吉の世が始まろうとしている今、丹後では鉄砲稼業を
そればかりか、範之直属の家臣からすれば、何ものにもおける桂の才は
いち早くことの真相を察知した義兼は、桂に伊予を出ることを薦めた。
もちろん、彼にしてみれば
「桂、しばらくの間、里と供に他の土地でも見て回らんか。殿にはわしから言うておく」
「やはりここには、わしの居場所はないようじゃのう・・・」
聞いて義兼はハッとした。桂には回りくどい言い方をしても無意味だからである。
義兼は言葉を改める。
「そうじゃ、ここでは戦もなく、また範之殿の家臣らも
「相変わらずの心配性じゃのう、
確かに桂は、義兼を『冬馬』と言った。
「今は良い。じゃが、数年もせぬうちに世は羽柴殿の天下となり、この四国にもその波が押し寄せて来るは
そう切り出した桂と義兼の間には、すでに身分の違いなど無い。義兼も以前の冬馬に戻った口調で桂に語る。
「四国には
空かさず、桂が口を挟む。
「いかな長宗我部殿とて、あの織田の強さは冬馬も知っておろう。それを受け継ぎ、更に大きくなった羽柴殿に敵うと思うておるのか?」
しばしの沈黙・・・
「如何にも。四国を治めんとする元親殿を持ってしても、激流の如き羽柴殿の軍勢を押さえることはできまい」
「では何故じゃ。戦となればわしの力も必要となるであろう・・・」
「勝てぬと分かっておるからじゃ」
冬馬がぼそりと呟く。
首を
「勝てぬと分かっておるからじゃ。勝てぬ戦におぬしを送り、死なせとうは無いのじゃ」
「冬馬・・・」
冬馬が続ける。
「今や一色家は石川殿に
冬馬は桂の掌を広げると、それを両の手で覆い包む。
「じゃが、おぬしは一旦事が起これば、その命が尽きるまで戦うであろう。おぬしのこの手に赤い血が流れている限り、銃を握り続けるに違いないからじゃ」
「それが、わしの生きる
彼の手を握り返す桂に、冬馬は小さく頭を振る。
「では、里は如何いたすのじゃ。わしらは供に互いの命を託し合い、ここまで来たのではなかったのか。今やおぬしの命は、おぬしだけのものでは無いはずじゃ」
桂には、もう返す言葉が見つからなかった。
次の日の早朝、まだ夜が明け切らぬ中山城の裏門を抜ける二つの影があった。ひとつは結城桂であり、もちろんもう一つは里である。
二人にとっては見送る者も一人としていない、寂しい
里は城に向かい小さく頭を下げると、振り返らずに前を歩く桂の背中を追いかけた。
ただひとつ、山頂より海岸へと抜ける道々には、足下を照らす為であろうか、幾つもの
「相変わらずの心配性じゃのう」
桂の言葉に、里はそっと目頭を押さえた・・・
海岸線を歩く二人が中山川を渡る頃、遠く東にある
「冬馬、何としてでも生き抜くのじゃ」
桂はその朝日を睨み付けるように口を開く。里は答える替わりに、桂の手をきつく握り締めた。
しかしその願いも
いわゆる『天正の陣』と称される四国攻めのことである。
この戦に、一色家の武将として真っ先に向かったのは、冬馬こと義兼であった。
あるいわ己の死に場所というものを悟っていたのかも知れない。
「よいか、これから後は何事も
義兼は右馬三郎範之を支える赤澤
赤澤らにしてみれば、何故自らは戦に出向く義兼が、彼らにそう伝えたのか分かろうはずもない。
つまり義兼の中では、すでに勝敗は見えていたのである。
しかし、食客として受け入れてくれた石川氏にも、また東伊予への労を買って出てくれた
そのことを範之はじめ一色氏の家臣が気付くのには、いま少し時間がかかることとなる。
一方秀吉方の小早川
これを食い止めるべく、義兼は石川氏とわずかな手勢を引き連れ奇襲を仕掛けたが、ついには一人として城へと戻る者はいなかった。
はたしてこれが、義兼らしい死に方であったのか、それとも彼らしからぬものであったのかは計り知ることはできない。
しかし、間違いなく戦国の世を生きた一人の若き
次いで、一色範之が居城の中山城も包囲されたが、すんでのところで長宗我部元親が降伏したことにより、中国勢は反転し西伊予討伐に取りかかった。そのために、範之をはじめ、その城と兵とは無事ですんだのである。
こうして、石川氏と供に四国方として戦った一色勢ではあったが、その後の秀吉統治下では、範之をはじめその子
以降、東伊予における一色氏の流れは江戸時代を経て、幕末から今日まで続くことになる。
その間、日清日露戦争や第一次、第二次世界大戦をはじめ、幾多の戦争にもその一族の
しかし、これもあの戦国時代、一色義定が父義道の子右馬三郎範之を丹後より落としていたからこそ成せる技であったかも知れない。
現在でも、日本全国に一色姓は一万人弱いると言われている。
そのうち、約四割近くにあたる人々が当時の伊予、現在の愛媛県に在住しているというのもなるほどうなずける話でもある。
何れにしても、紛れもなく遠い昔に伊予には一色一族が渡り住み、またその歴史の中に
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