第26話 吉原の叔父 

 九月五日、どんよりとした低い雲が立ち込める中、吉原城より吉原義清が騎馬二十騎、徒兵かち百五十と供に弓木城へと入城した。

 しかし、城の誰もが派手な化粧鎧を着けた馬での入城にまゆひそめている。そしてそれは、夜の顔見せの席でもさらに露呈ろていすることとなった。

 弓木、吉原城の両家臣が集う顔見せの席では、祝いの膳として鮎の昆布じめと煮鮑にあわび、そして麦飯にあら汁が運ばれた。

 しかし、この席ににおいて、義清以下、吉原城より訪れた武者達は、獣肉ししにくとさらには酒まで要求してきたのである。


「此度、久しぶりに弓木と吉原の家臣一同が集うたのである。酒を飲まずして語らうとは何とする」

 これが、義清の第一声であった。

 続いて義清の家臣、近藤善明こんどうよしあきが声高らかに続く。

 「わしらの宴席えんせきでは、獣肉は付き物というもの。このようなさかなでは、いざ戦の時に力の出しようがございませんぞ」


 「どこが宴席じゃと申すのじゃ。勘違いも程々にせい」

 やはり弓木方で、最初に口を開いたのは日置主殿介であった。

 彼は吉原方の家臣とは一切眼を合わすことなく、静かにぜんのものを口に運んでいる。

 大江越中守は義清に深々と一礼すると、今度は居並ぶ吉原方の家臣を一望した。

 「今一色家が置かれている状況がお分かりにならないと見えまするな。先の明智光秀殿の謀反むほんにより織田信長公が亡くなり、その明智殿も羽柴秀吉殿により討ち取られしこと、すでにご承知のことと存じます。此度宮津の細川家より・・・」


 「もう良い。つまりは此度こたび、この弓木が相手いたすのは宮津にある細川ということであろう」

 義清は面倒くさそうに越中守の話をさえぎった。

 「ならばその細川を討ち取るまでのこと」

 「そうじゃ、善明が申す通りじゃ」

 近藤善明の言葉に、義清は一際声を張り上げる。

 この言葉に、主殿介は手にしたはしを音を立てるようにと膳に置いた。


 「細川を討つじゃと。細川を討たばその次は・・・」

 事実、丹後半島のほぼ真ん中に位置していて、周りの戦局にうとい吉原城の者にとっては、織田も明智も羽柴も、ましてや丹後を一色家と二分している細川などさほどの違いもないと認識しているのであろう。

 そればかりではない、丹後の内乱以降、表立っての戦を経験してきていないと言うことが、彼らにとってはこの戦国時代から取り残された考え方を待たせている理由のひとつともなっていたのである。


 「どうであろう、今宵こよいは一色家の家臣一同が久々にこうして顔を揃えたのでござる。戦の話は後日として、この辺りで殿のお言葉を頂戴しては」

 険悪な雰囲気を、義兼の言葉が救った。


 義定は笑みをたたえながら、いつものように眼を細める。

 「弓木と、そして吉原の誰もがこの一色家を思ってのこと。この義定、心から有り難く礼を申す。此度、吉原城より叔父上を呼んだは、今後の一色家の行く末を案じたからじゃ。今日このような戦乱の世にあっては、わしもいつ命を落とすやもしれん」

 「殿!」

 一斉に弓木の家臣からは声があがった。

 義定は続ける。

 「わしはまだ死なん。だが、後顧こうこうれいだけは残しておきたくはないと思うておる。そこで、わしに万が一のことがあったときは、伯父上殿に一色家の跡を継いでもらいたいと思うておる。また、両城の家臣は分け隔てなく義清殿を盛り立ててもらいたい」


 ここまで話したところで、義清はその場に両手を着いて嗚咽おえつとも取れる喜びの涙を流しはじめた。

 このように、元来義清は思考よりも感情が先に脳を支配してしまうところがあるらしい。

 その分、人間臭いと言ってしまえばそれまでだが、一寸先の闇をその嗅覚きゅうかくだけで嗅ぎ分けなければならない戦国の世にあって、やはりそれは致命的な短所であるとも言える。


 「義定殿、そこまでわしのことを考えていてくれたと申すか」

 流れる涙をぬぐおうともせずに、義清は義定のもとに歩み寄ると、その手をしっかと握りしめた。

 末席では稲富祐直が、この光景を人一倍冷めた表情で眺めている。

 「この男が当主となっては、一色家もそう長くはあるまい」

 当然、それは彼の心の中での言葉であったが、隣に座っている桂には手に取るように祐直の気持ちを読みとることができた。


 今度は桂が祐直の横顔を怪訝けげんそうに見つめる。

 それに気付いたのか、祐直は能面な顔を桂に向けるとぼそりと呟いた。

 「結城、心配いたすな。如何なわしとて、お味方を撃つような真似はせん」

 桂はぎくりとした。彼もまた、祐直によって心の中を読み取られていたと思ったからである。

 しかし同時に桂にも、義清の元で細川とことを構える時には、やはり何らかの策を講じなければならないと思わせることにもなった。


 今にして思えば、義定が亡き義道の忘れ形見を自分の跡継ぎとはせずに、後日他の地で一色家を再興させようと考えたのも、この義清の能力を見極めていた為のことかも知れなかった。

 何れにしても、義兼の機転と義定の言葉に、弓木城と吉原城との顔見せの席は何とか無事に終わりを迎えようとしていた。


 宴席の後半には、義定の計らいにより幾らかの酒と肴とが皆に振る舞われた。

 「さすが、一色家の頭領じゃ。わしもとくと見習うとしよう」

 ほのかに顔を赤らめた義清であったが、反面弓木の家臣達は一層暗い表情を隠しきれなかった。

 この様子にふっと桂は眼を背けた。

 格子こうしを配した城の窓からは、湿った空気をまとった月が、一色家のこれからを予見するかのように、ただぼんやりと浮かんでいるのが見えていた。



 その日、密命を任されることとなった結城桂は東曲輪の鉄砲狭間にいた。そこにはいつも以上に生き生きと声を張り上げる稲富祐直の姿がある。

 祐直は桂を見つけるや、足早に彼に近付いて来た。その眼はいつもにも増して爛々と輝いて見える。

 桂は、ふと祐直とこの城で初めて出会ったときのことを思い出した。

 あの時、野田川で織田の兵達をまるで虫けらのように狙撃したときも、ちょうど今のような顔をしていたからである。


 「結城、いよいよ明日じゃ」

 最初に声を掛けたのは祐直の方であった。

 二人とも多くを語らなくとも、お互いの心の中が手に取るようにと分かっている。そう言う意味では、桂もまた祐直と同類の人間であるのかもしれない。


 「明日は何処まで出張でばるのござりまするか?」

 「さよう、妙見山みょうけんさんの東にある滝上山じゃ」


 つまりは、祐直も明日一色義定が宮津細川の元へと出向くことが、何を意味し、その後どのような展開となっていくのか予見できる数少ない一人でもあるのだ。

 だから、祐直は彼の鉄砲隊を引き連れ、宮津とは眼と鼻の先にある滝上山に陣取るというのである。


 「城の守りは如何いたしまするか?」

 「殿のおらぬ城を守って何とする。我らが突破されれば、すなわち城は落ちたも同然じゃ」

 もちろん桂にもそう思えた。

 宮津の城に出向いた義定に万が一のことがあるようならば、すなわちそれは細川軍による弓木城への総攻撃の合図に他ならないからである。

 当然主を失った城では、如何に稲富の鉄砲隊を有していてもそう長くは持ちこたえられぬ事は誰にでも簡単に想像は付く。ならばいっそこちらから仕掛け、先手を取ることで細川方の出鼻をくじく方が効果的である。

 恐らくは、祐直もそう考えたのであろう。


 「結城、そちは明日後方の妙見山の中腹で待機じゃ」

 急に祐直が妙なことを口にした。

 祐直にとっても、桂が稲富鉄砲隊の中でも彼と技を二分するほどの実力を持っていることはよく分かっているはずである。その祐直が、桂に後方待機を命じたのである。


 「何故でござりまするか?」

 「おぬしにはわしらが撃ちもらした兵を、海岸線で仕留めてもらいたい」


 確かにそれも一理ある。いかな稲富鉄砲隊の能力が高くとも、そこは多勢に無勢、数をして押してくる細川方の多くは山を迂回うかいし海岸線へと渡ってくる者もいるであろう。

 当然それを野放しにしておいたのでは、祐直の鉄砲隊は退路を断たれ、まさに袋のねずみ状態となってしまう恐れがあるからだ。


 「では、海岸線には伏兵ふくへいとして弓隊を潜ませることといたしましょう。滝上山を失うは戦に負けるも同然。拙者せっしゃも祐直殿と共に滝上山に陣取るつもりでございまする」

 「相変わらず、わしの言うことは素直には聴かぬな。まあ良い、好きにいたせ」

 そう言う祐直の顔が、桂には少し微笑んでいたようにも見えた。


 こうして、祐直以下百数十名の稲富鉄砲隊は、明日を待たずに七日未明、妙見山の南、地蔵峠じぞうとうげを迂回して滝上山へと出立した。

 それは、誰一人として見送る者もいない、静かな出陣でもあった。


 

 そしてこれより少し前、桂のもとに亀井与六が尋ねて来た。

 お互い顔を付き合わせるのは久しぶりのことである。

 与六はいつもの満面の笑みで桂に駆け寄ると、手には小さな竹筒を持っている。


 「与六、変わりはないか?」

 「おぬしこそ、少しせたのではないか」


 与六は懐から紙袋を取り出すと、それを桂に手渡した。

 「高麗こうらいじゃ、せんじて飲むと効果があるそうじゃ」

 「そのような高価なものを譲り受けるわけにはまいらぬ」

 包みを返そうとする桂に、与六は自分の腹を摘んでおどけてみせる。

 「なあに、取引仲間よりもらったもんじゃ。それにほれ、わしはこの通りたっぷりと飯を詰め込んでおるでなあ」

 「違いない。与六、有り難くもらっておくぞ」

 そう言いながら、桂は与六が持つ竹の筒を指さした。


 「ところで、その竹筒は何じゃ?」

 「おう、忘れとったわ。実はな桂、数日前にあの男が帰ってきたのじゃ」

 与六は意味ありげな言い回しで、桂の反応を誘う。

 「吉之助か?」

 「どうして、おぬしはそう頭が回るのじゃ」

 即座に返答した桂に、与六は少し不機嫌な顔をする。

 それでも直ぐに気を取り直すと、その竹筒の中身を掌に乗せながら、真剣な眼差しで桂を見上げた。


 「与六、それは何じゃ、砂か?・・・」

 与六の掌には、土とも灰ともとれる黒灰色の粉体が小さな山をつくっている。

 「土じゃ。六路谷ろくろだにの土じゃ」

 「六路谷? 里の屋敷の土だとというのか?」

 桂は身を乗り出した。

 「そうじゃ、吉之助が持ち帰ったものじゃ。あやつが言うには、里の実家はすでに取り壊されていて、そのあとには細川方の陣屋が建てられているということじゃ」

 「近くに墓はあったのか?」

 「さあ、そこまでは分からん。じゃが、せめてもと思い、吉之助が夜中に屋敷あたりの土を掻き集めて来たそうじゃ」

 桂は与六の掌ごと、そっとその土を握りしめた。


 「ところで与六、その吉之助は如何したのじゃ?」

 桂の言葉に、与六は少し戸惑ったような顔付きをした。同時に掌の土をもとの竹筒の中にしまいながら、ぼそりと呟く。

 「吉之助は変わったのじゃ」

 「変わった?」

 「わしも最初は自分の眼を疑ごうたほどじゃ。この一年もの間に何があったかは知らんが、頬は痩け、肌の色も土色をしておった。そのくせ眼だけはノスリのように煌々と鈍い光を放っている。じゃから、今のあやつでは、お前やましてお里には合いとうはないのであろう」


 与六の言葉に桂は黙るしかなかった。

 「吉之助も此度は、城の守りに加わると言っておったが、今はそっとしておいた方が良かろう」

 「しかし与六、此度は・・・」

 言いかけて桂はハッと言葉を飲み込んだ。

 当然、明日宮津城への義定訪問がどのようなことになりうるのか、そして、もしもの時の密命を義兼と自分が受けていることなど、口が裂けても言えるものではないからである。


 「此度は、何じゃ?」

 与六が戯けるように尋ねる。

 「いや、良いのじゃ」

 歯切れの悪い桂に、与六は念を押すような、それでいて不思議な一言を残した。

 「桂、必ずや明日もお天道てんどう様は東から昇るもんじゃ。大切なのは生きることじゃ。生きて今日を終えることが一番大切なことじゃと、わしは思う」


 そう言う与六の顔は、十分に笑みをたたえたいつものそれに戻っている。

 桂は与六に別れの言葉をかけることもなく、また一人東の鉄砲曲輪に姿を消していった。

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