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話を聴くと、秦自身が異常体質に気がついたのはどうやらここ数年であるらしい。でも傷の治りが早いのはずっと昔からの事だそうで、それが普通だと思っていたようだ。きっかけは興味。自分の傷の治りは割と早い。だから、ちょっとした傷をあえてつくり観察してみよう。そんな小学生でも抱きそうな興味で、まず手の甲に血が少し出るくらいの切り傷を。
すると、血は瞬く間に蒸発。傷はチャックを閉めるかのように治っていったという。
いささか信じがたいことだが、現に目の前で傷が治るのを目の当たりにしてしまった以上それが真実であると認めなければならない。
何より──私の最も信頼する相手の言う事なのだ。
けれど……。
「自分を傷つけ続けるのはなぜ?」
それが重要だ。異常体質がどうしたというのだ。
それは、私だって同じだ。
「だってさ、俺死なないんだぜ? 普通、これだけ血を出せば死ぬ。でも死なない。俺って生きてんのか?」
さぁおいで、と言わんばかりに手を広げ部屋中を見回す。飛び散った血飛沫もたちまち蒸発していき、元の綺麗な部屋に戻っていく。
「ごめん、本当にごめん」私は謝る事しかできない。
「なんで謝るんだよ」
「だって、気づいてあげられなかった」
泣くまいと必死にこらえる。少しでも落ち着かせようと深呼吸するが、あまりにも悔しすぎて時々息するのを忘れてしまう。鼓動は激しくなり、秦の顔を見ると我慢していた涙が溢こぼれる。
彼はゆっくりと近づき、私に触れた。たっぷりと時間を使って言葉を選んでいるのだろう。しばらく沈黙が続いた。
「ごめんな。離れていくとおもったんだ」
「そんなわけないじゃない。秦が私の事を信じてくれたように、きっと信じたし、離れるわけないじゃない」
「そう……だよな」
ただ静かで、優しく、冷たい声。その一言から、彼の深い闇が見えた。思わず彼の顔を見つめてしまう。にこりともしていない顔。ものすごく弱く、それでいて何か決心した覚悟のある目。嫌な予感。
何も言うなという拒絶感が私を襲う。
私から離れ、彼は走り出す。ゆえに、私も走る。ここで彼を止めなきゃ。
靴も履かず、傘もささず、豪雨の中ひたすらに。もう私の声は聞こえていない。私と彼の距離は、三歩半、五歩、六歩半とどんどん開いていく。まるで、もともとこれほどの距離があったかのように。捨てられたように、引き離される。
見通しの良い一本道。姿がどんどん小さくなっていく。彼は突き当たりを左に曲がり大通りにでる。一瞬目から離れた。私も角を曲がり秦の姿捕らえたと同時、轟音に大気が震えた。
トラックだった。辺りがスローモーションになり、雨も車も何もかもが止まって見え、秦はこちらを向きいつものように微笑んで口ずさむ。
「あ・り・が・と」
瞬間に秦の姿は消え、トラックは止まり、運転席から人がでる。周りの車も止まり、騒然とする。悲鳴、人集り。
再び溢れ始めた涙が車のライトの光をじんわりとにじませる。私は声を立てて泣きわめく。涙も鼻水も、雨と一緒に垂らして。
そして、思い出す。覚えのない映像が頭の中を通り過ぎる。
以前見た、泣いていた少女と名前も知らない誰かの夢。それが何だったのかを。全てを思い出した瞬間、私の目の前は真っ暗になった。
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