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 元の世界に戻る。何ごとも無かったかのように自室に戻されていた。

 窓の外は、激しく降り続く豪雨と建物を揺さぶるような雷鳴。この光景には覚えがある。


「これって秦が事故に遭う前日?」


 秦の部屋はまだ明かりがついている。不思議と嫌な予感はしない。しばらくすると、暗い空はものすごい勢いで雨雲を遠くに連れ去っていった。すっかりと晴れた夜空には綺麗な虹が架かっている。


「今からちょっと行っていい?」


 短いメールを送る。きっとこれが秦と遭う事のできる最後の1日だ。

 カミサマはしっかりと猶予をくれた。それにしても粋な計らいだ。感謝してもしきれない。


「ありがとうございます、カミサマ」


 しばらくすると返事が返ってきた。


「いいけど、なんで?」

「今日はなんか眠れない」

「あいよ、窓から入ってきてね」


 いくら家が隣で、屋根を通れば窓から入れるといっても雨上がりにそれはさすがに危ないと思う。そういうところ考えてくれないのかな。最後なのに、最後だからこそ秦とのやりとりがとても新鮮だ。

 お互いの親にばれないように、慎重に、こそっと、冷たく濡れた屋根を伝い秦の部屋に遊びにいく。雨の名残の冷たい匂いが漂う。


「すずしぃな」


 こんな事をしたのはちっちゃい頃以来だ。昔の事がとても懐かしい。蘇る記憶。楽しかった思い出。今でも鮮明に。


「こんばんは、秦。体調はどう?」

「いいよ、昼間の怪我も大分いいみたいだ」

「そっか、よかった」


 思わず安堵する。秦の身体の異常は消えかけているようだ。窓から入る冷たい風がカーテンを揺らす。こうやって秦の家に来る事も最後かと考えながら秦を見つめる。私の態度から何かを察したのか、秦はその視線と受け入れてくれ、ジーっと見つめ返してくれた。


「なにも聞かないんだね」

「お前が話すまではな」


 きっと私の事情自体は知らないはずだが、何か深刻な悩みがある、という事は察してくれているのだろう。静かに私の隣に座り、身体を引き寄せてくれた。


「俺は、お前がいなくなるなんて嫌だぞ」


 ハッとする。心音がドラムの様に身体に響き、秦に伝わっていないか心配になる。こういうときの彼は妙に察しがいい。深呼吸し、自分を落ち着かせる。

 フーッ。

 フーッ。

 大きく息を吸い、吐き出す。今まで溜め込んできた孤独や不安、そしてこれから失うであろう未来の夢を一緒に頬に流した。一滴、一滴、惜しむ様に。未練を残さない様に、掌で受け止めず、ただひたすらに溢れた涙は床に落とす。

 それでも秦は、私が何か話すまで横にいてくれた。本当に紳士だ。


「ありがとう、秦」

「俺はこれくらいしかできないから」


 コク、コクと頷く様にその優しさを受け、また涙する。最後に伝えたい二つの事を纏めた。一つは……。


「秦、私ね……貴方に言わないといけない事がある。貴方の事、好きよ。大好き」


 いつもいつも恥ずかしがって受け止めてもらえない気持ちを、正面からぶつけた。殴りつける様に押し倒して。


「俺もだよ、真白。お前が好きだ」


 ギュッと引き寄せられ、お前を離さないと言わんばかりに強く、力強く抱きしめてくれた。これ以上の幸せはない。最後の最後で通じ合えて本当に良かった。これで未練はあるが悔いはない。


「ありがとう、もう大丈夫」

「本当に?」

「うん」


 恥ずかしながら、少しばかりKISSというやつをして離れた。静かな部屋に時計の音が鳴り響く。時刻は25時を回っていた。一度重なり合った時計の針はやがて離れていく。私と秦も、この時計の針の様に今から引き離されていくのだろう。


「今日はありがとね」

「どういたしまして、気をつけて帰れよ。危ないから」

「それ来るときにも言ってよ」

「すまん」


 他愛もない雑談をし、窓から一歩を踏み出す。

 直接いう勇気はなかった。窓越しから、カーテンが閉まり秦の姿が見えなくなったのを確認して「いままでありがとう」と、そう言った。

 自室に戻り、布団に入る。

 ここで毎日、彼を想った。

 彼を数えた。

 忘れた事なんてない。思い出さない事なんてない。

 片時も。

 秦の事。クシャッとした笑顔。

 私がいなくても、これからを愛おしく思えるように。

 心を込めて。


「じゃあね、またいつか」


 またどこかで会える事を夢見て、伝えたかった最後の言葉を呟き私はこの世に別れを告げた。

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