決着-4


「あーやばかった。人間だったらえらい事だった」

 クレマンティーヌは血で濡れた自分の体を見て独りごちる。

 悪名高いギガントバジリスクの猛毒も、毒耐性を持つ吸血鬼ヴァンパイアには全く効果が無い。


「つまりこれもシャルティア様のおかげって事だよねー。んふふー」

 主人を想い、うっとりとした表情で頬に手を当てる。

 と、そこへ――


「クレマンティーヌ! 貴方は人間を辞めたのですか!」

 クアイエッセの声が森の中を反響しつつ渡っていく。


(あれ? なんで分かったんだろ?)

 折角の妄想タイムを邪魔されて少しムっとしつつも、クアイエッセの言葉に疑問が湧いて出た。

 

(質問が質問なだけに返すかどうか悩むなあ。うーん……ま、会話で時間を稼ぐか)

 

「そーだよー。辞めてせいせいしたんだよー」

 クアイエッセの方角に声を飛ばす。


「その力は誰に貰ったというのですか!」

 直ぐに次の質問が来た。


(シャルティア様のお名前を出す訳にもいかないな。そこらへんはぼかすか)


「天上の輝きと強さを兼ね備えた、いと貴き御方だよー」

 再び同じ方角へ声を放つ。

 

「……ではその御方もアンデッドなのですか?」

 暫くして届いた質問の声は弱弱しく、何故か震えているようだった。


「はぁ? そんなの当たり前でしょーが」

 そう言ってからクレマンティーヌは自分が愚を犯した事に気づく。

(もしやクアイエッセは私が吸血鬼ヴァンパイアである事までは看破できて無かったのか……あー糞、まずったわ……。しっかし、姑息なひっかけ質問ばっかりしてきやがってあの野郎!)


 クレマンティーヌはイライラしつつも次の質問を待つ。


「……その御方は神なのですね」


 それは質問というよりも独り言の様な、微妙な響きを持っていた。


(なんだよこの質問は)

 クアイエッセの意図するところが読めない。が、一応は考えてみる。


(シャルティア様は私を絶望から救って下さって、こんなに素晴らしい力も与えて下さった。とっくにどこかへ失せてちっともなんにもしてくれない六柱なんかよりずっと神様らしい御方じゃないか。うん。というかシャルティア様こそが神でしょ)

 一人でうんうんと頷くクレマンティーヌ。


「そうだよー! 一番お強くて一番お優しい神様! 私はその御方の忠実なシモベなんだー! だから今すごく幸せなんだよー!」

 信仰心の厚い兄に向けて、当て付けがましく大声で放った。


「……やはり、そうだったのですね……」

 その言葉に、気概が急速にしぼんでいくかの様な、覇気の無さが伝わってきた。


(なんだろう?)

 クレマンティーヌは木立の間からクアイエッセを見る。

 

(あれ?)

 クアイエッセはギガントバジリスク達を次々と帰還させていく。

 やがて最後の一匹を帰還させ終わると、地面に膝をついて正座するような格好で項垂うなだれた。


 クレマンティーヌは訝しみながらも、ゆっくりとクアイエッセの元へ歩を進めた。

 

「……何をしてるのー? 諦めちゃった?」

 最近どこかで使った気がする台詞を投げかける。


「はい」

 クアイエッセは迷い無く返す。


「はい!?」

 つい声を大きく出してしまうクレマンティーヌ。

 

「……今この時を以って私も漆黒聖典を抜けます」

 クアイエッセはしめやかにそう言った。

 

 耳を疑う程の意外な言葉にクレマンティーヌは驚きを隠せない。

「いやいやいや、意外とかもうそういう次元じゃねーからこれ!私はいつかあんたと対決する際には『てめーの腹からはらわた引き摺り出して嗅いだらさぞ抹香臭いんだろうなぁ!』とか言ってやろうかと思ってたんだよ!?生まれてすぐの泣き声が教典の暗唱だったとか言われても余裕で納得できちゃうぐらいの宗教バカのあんたがいきなり何をのたまいはじめてんの!?なぜ?なぜ?なぜなのよー!?」


 少し間を置き、クアイエッセは穏やかな微笑を添えて口を開く。

「信仰とは、国に対してではなく、神に捧げるものだからです」

 

 再び間が置かれ、どこか諦めたような表情と声で続ける。

「法国が一体何を成し遂げたというのでしょう。人類を結束させようとあれこれ工作してみても……どれだけ亜人を狩ろうと……国々は争い続け、亜人は増え続けて人類の生存圏は時間と共に徐々に狭まっていきます。所詮は焼け石に僅かばかりの水をかけるに等しい行為なのです。そんな殆ど意味を成さない事の為に、多くの罪の無い人々の命が散らされてきました。私もそれは人類という種全体の未来を思えば仕方がない、やむを得ないのだと思ってきました。人の為、国の為、そして神の為だと。ですが法国の残酷な行いは、お優しき神にとって許し難い所業であったのでしょう。その時きちんと我々を戒めになられたにも拘わらず、今またこうして神に弓引く愚挙を……。結局、法国は神をお迎えする事も叶わず、あまつさえ、咎無き同胞を殺戮し、詔命にも従わない神敵と見做されてしまったのです」


 クレマンティーヌは途中から話を聞いていなかった。

 やたら長い上に意味不明だったから。

(なんか盛大に色々勘違いしちゃってるみたいだけど、丁度いいや。こっちの仕事も楽になるし)


「そしてクレマンティーヌ。貴方には謝らねばなりません」


「はへっ?」

 突然自分の名前が出て素っ頓狂な返事をしてしまう。


 クアイエッセは顔を深く下げ、祈るような姿勢になった。

「私はずっと貴方が妹である事を恥じていました。貴方がクインティアの片割れと呼ばれるたびに、心の中で貴方を蔑み、罵声を浴びせていたのです。叡者の額冠を奪って国を逃れた事を知った時には本気で殺意が湧きました。……けれども貴方は、裏切り者のそしりを受ける事を厭わず、自身の命の危険さえ顧みずに偉業を――神の再臨という救世の大義を果たしたのです!」


 クアイエッセは肩を震わせる。言葉には嗚咽が混じり始めた。

「本来、信仰とは貴方のようにあるべきなのに!私はいつしか信仰を国へ――形骸へと向けてしまっていたのです。貴方に再会してようやくそれに気づきました」


 クアイエッセは息を大きく吸った。

「許して下さいクレマンティーヌ。貴方は正しかった!恥ずべきは私の方でした!」


 その言葉でクレマンティーヌは、自分の中に長年こびり付いていたわだかまりが静かに溶けていくのを感覚した。

 決着はあまりにもあっけないものだった。


「……誤解なのにね」

 微かな呟きは、目の前でむせぶ男の耳には届かなかった。


 クレマンティーヌはクアイエッセの前に膝をついて、慰める様に声をかける。

 十年以上ぶりの呼び方で。

「もういいよ、兄様。さ、私の目を見て」


 クアイエッセはおずおずと顔を上げ、クレマンティーヌへと向けた。

 

 (酷い顔だなぁ)

 泣き腫らした惨状を見て思う。

 だが最近どこかで見た顔だとも思った。おそらく今朝、水鏡に映っていたからだ。


 そして瞳と瞳、無限後退の深みへとクアイエッセは吸い込まれていった。


 

「終わったか?」

 その声に振り向くと、奥からブレインが鎖で縛った男を担いでこちらへ歩いて来ていた。


「まあ、ね」

 クレマンティーヌの表情は憑き物が落ちたかの様に清々すがすがしいものだった。

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