四苦八苦聖典


 強大な力を持つ様々な種族が跋扈ばっこするこの世界に於いて人間とは、ともすれば滅びてしまうような弱小種に過ぎない。そんな人類の生存と繁栄の守護を担ってきたのがスレイン法国である。

 法国特務機関である六色聖典は正にその理念を体現した組織群であると言えるだろう。

 彼らは人類の矛となり、盾とならんと日々技を練磨し知を学んでいるのだ。

 

 故に、彼らは強い。熟練の冒険者でも知らない様々な知識と戦術を有し、数多の亜人や異形を退け、人の世を護ってきた。 

 

 だが今、六色がひとつにして最大最強の知と武を誇る漆黒聖典の面々でさえ、対峙する存在の、その奇怪な風貌は、誰一人として知識経験に無いものだった。

 

 スカートが付いた全身鎧のような体に、兜の下からは少女の顔が覗いている。手には変わった形の槍状の物を持ち、翼らしきものが背中側から生えていた。

 

「なんだ? あれは?」

 隊員の一人が全員の感想を代弁する。

 その後に続く言葉はどこからも無く、張り詰めた糸の様な緊張が場を支配していた。


 ただ一つ分かる事は、あれは途轍もなく強そうだという事のみ。

 漆黒聖典の隊長――射干玉の髪の青年――を含む全員が総毛立ち、化け物に対して本能的な恐れが湧いていた。

 

 誰かがゴクリと喉を鳴らした。

 と、それを鏑矢と捉えたのか、化け物は槍を構えた途端、音より速いのではと思える程の速度でこちらに突進してきた。


「使え!」

 隊長はその射線に割り込むように飛び出しつつ叫んだ。

 すぐに隊員たちはカイレを守るように動き出す。

 ”傾城傾国ケイ・セケ・コウク”の発動までの時間は僅かではあるが、あの化け物の速さを考えると危険だ。


 そして瞬く間に隊長と化け物はかいし、両者の武器がかち合う。

「ぐっ!」

 圧倒的な力に負けて隊長は横に大きく吹き飛ばされる。化け物はそれに構わずカイレの方に再び突進していく。

 次に、大盾の男が化け物を阻もうとするが、それも一薙ぎで吹き飛ぶ。

 

 その時、カイレの着る”傾城傾国ケイ・セケ・コウク”から刺繍の竜が踊り出でた。

 金の竜のあぎとが化け物を捕らえようとし――


 ――喰らうことなく掻き消えてしまった。


 草原に驚愕の声が木霊する。

  

 遥か格上の存在である竜王ドラゴンロードや魔神、精神支配に完全な耐性を持つアンデッドでさえ支配できる究極の至宝。それが今破られたのだ。


 化け物はカイレの頭部を目掛けてその槍のようなもので突いた。

 爆散。老婆の頭は消え、肉片と血の雨が降り周りの草を濡らす。


「撤退だ! 時間を稼げ!」

 隊長が号令を発すると、唖然としていた隊員たちは一瞬で正気に戻り、化け物を誘い出すように、それぞれ事前に決められた行動を開始する。

 すぐにお互いの距離を目視で測り、散らばりながらも連綿とした脈絡を感じさせる陣形を展開しつつ、一斉に森の方へと走る。

 挑発役とその他の囮役を分け、対象をより長く自分たちに釘付けにする配置だ。


 化け物がその動きに反応して飛ぶように発進したのを確認すると、隊長はカイレの死体に駆け寄りつつ、懐から長距離転移の魔法が封じられた巻物スクロールを取り出す。

 

 この場で真に重要であるのは三つ。

 スレイン法国の至宝中の至宝であり、万が一にも評議国との戦争になった場合の決戦兵器たる”傾城傾国ケイ・セケ・コウク”。

 それを使用できる希少な生まれながらの異能タレント持ちのカイレ。

 そして神人であり漆黒聖典隊長である自分の存在そのものである。


 例えその他の隊員たち全てを失っても、この三つだけは絶対に国へ持って帰らなければならない。


 隊長がカイレの死体へと駆け出して間もなく、自身の鎧の腹部が輝きだした。


「うぐっ!?」

 

 激烈な痛みと衝撃。それらと共に青白い光は前面に長く伸びていき、空の一点を示すかのように彼方へと飛んで行った。

 

 片膝をつき槍で体を支える。

 突として生じた異常な状態に感覚と意識が錯誤を起こしかける。

 重さが増した頭を上げ前を見ると、そこにはあの化け物にそっくりな形をしたものが居た。

 スカートが付いた全身鎧。兜の下の少女の顔。変わった槍を持ち、背中側からは翼らしきものが生えている。

 だが明らかに違うのは、その姿が白ではなく、血を纏ったような赤であった事だ。


「なかなかいい鎧でありんすね。わらわの清浄投擲槍の威力をそこまで軽減するなんて。ではもう少しばかり削るとしんしょう」

 

 化け物が口を利いた事に驚く暇もなく、奇怪な槍が隊長に神速の連撃で突き立てられる。

 鎧越しに突かれただけなのに、体が芯からがれるような感覚。

 同時に、まるで魂が吸い取られるかの如く四肢から急激に力が抜けていく。

 

  

 やがて、緑の絨毛を撫で倒すように沈んだ。

「う……あ……」

 最早、手を動かす事すらできず、微かな呻き声を上げるだけになっていた。

 

 まだなんとか動く目で草葉の間を見渡すと、隊員達の多くは捕縛されて動けない状態になっていて、残りは倒れ伏していた。

 

 そして、赤い鎧を着た少女の化け物は隊長の顎を掴んで持ち上げる。


「な……んなん……だ……おま……え……」

 最後の気力を振り絞った問いに、化け物は――

 

「めんどくさいから吸ってから、ね」

 

 そう言って青年の首筋に噛みついた。がぷっ。

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