決着-1

 

 一明の光もない夜の森を二つの影がひた走っていた。先頭の影が木々の間を縫う様に駆け抜け、そのすぐ後ろにある影は、わだちをなぞるかの如く追従して走る。

 

「糞っ。一体なんだったんだあれは……」

 先頭の影――漆黒聖典第九席次、エドガール・ククフ・ボ-マルシェは独りごちるように言葉を吐いた。

「分かりませんが……もしや魔神の一種なのでしょうか……」

 返事をしたのは後ろを走る影。


「隊長でも敵わない程の強さの魔神か……それがこんなに法国の近くに居やがるとは。やばいなんてもんじゃねぇな。人類の危機だぜ」

「ええ……”傾城傾国ケイ・セケ・コウク”さえ効かないとは……もしあれが法国に侵入したならば……」


「……打つ手無し……か」

 先に自分たちに降りかかった絶望は、まさに未来の全人類に於けるそれと同じものなのだ。そう思い、ボーマルシェは顔をしかめる。


「……」

 後ろの影――漆黒聖典第五席次、クアイエッセ・ハゼイア・クインティアは返す言葉を保留した。あの化け物に太刀打ちできるかもしれない人物に心当たりがあるのだ。

 だが、その存在は法国にして秘中の秘であり、漆黒聖典のメンバーでさえも半数程にしか知られていなかった。もし公に知れ渡った場合は評議国と全面戦争になる可能性すらはらんでいるのだ。そのため、同僚を慰める材料としておいそれと話すわけにもいかなかった。


 やがてボーマルシェが徐々に速度を緩めていく。釣られて背後のクアイエッセも歩く様な速さに落ち着いたのを察知すると、後ろを振り返り、荒んだ息が整うのも待たずその間隙に問いを捻じ込む。

「そんであの化け物はどうだ?追っては来てないよな?」


 クアイエッセは立ち止まって目をつむり、意識を集中させる。

 人類最高の召喚師サモナーであると同時に最高の獣使いビーストテイマーでもあるクアイエッセは、使役する存在との絆により、その状態を自身の感覚の一部のように捉える事が可能なのだ。


「……後方を警戒させているクリムゾンオウルたちは健在です。何か異常を見つければ直ぐに行動するよう命令してあるので、どうやら追って来てはいないようですが――」


 クアイエッセは俯き、躊躇ためらいがちに話す。


「――追って来る者が居ない、という事はやはり無事なのは私たちだけのようですね……」

「ああ……そうか、そうなるよな。森に入って振り返った時には、あんたしか居なかったしな」


 カイレが殺され、隊員たちは退却しつつも飛んできた魔法により次々と捕縛状態になっていき、捕縛に抵抗できた残りの隊員たちも化け物の攻撃で戦闘不能になっていった。

 二人の装備には捕縛耐性が備わっており、クアイエッセが召喚したモンスターを囮にする事で敵の注意を逸らし、なんとか森まで逃げて来られたのだった。


 沈鬱な空気が二人の間に流れ、ややあってボーマルシェが硬くなった口唇を割った。

「思うんだが、あの化け物こそが”占星千里”が占ったものだったんじゃねぇか?」

「ええ、私も全く同じ事を考えていました」

 逡巡する事無くクアイエッセが返した。


 ボーマルシェは首を振り、額を指で揉むように擦った。 

「全く……土の神殿の爆発といい、なんでこう法国ウチは不幸続きなのかねぇ? 陽光聖典の奴らを皆殺しにしたっていうあの……アインス?……ハインズ?」

「アインズ・ウール・ゴウンですね。死の騎士デス・ナイトおぼしきアンデッドを操っていたという謎の魔法詠唱者マジック・キャスター……。因みに陽光聖典はまだ皆殺しにされたと確定した訳じゃないですよ」

 

 軽くたしなめる様に返された言葉にボーマルシェも軽く渋面を作る。

「ああすまんそうだったな……んで、そのゴウンとやらがいきなり現れてからじゃねぇか? この不運が始まったのは」


 クアイエッセはこぶしを顎に当てて暫し思惟にふける。

「土の神殿の爆発と陽光聖典が連絡を絶ったのはほぼ同時期だった……。そして爆発の原因――”占星千里”が占った破滅の竜王カタストロフ・ドラゴンロードの復活が誤りだった可能性が高くなった今となっては、もしや神殿の爆発もアインズ・ウール・ゴウンの仕業……という事ですか?」


 ボーマルシェは頷く。

「勿論確証なんて無いけどよ。難度百越えの死の騎士デス・ナイトを使役できるんだぜ? それほどの奴ならあるいは、だろ?」


 クアイエッセの虚空を睨む目が一層鋭くなる。

「確かに”占星千里”の占いに説得力を持たせていたのは、『儀式の最中に爆発が起こった』という部分です。竜王ドラゴンロードの能力であれば、例え大陸の反対側からでも高位魔法を使用した際の膨大な魔力の流れを感知できるやもしれないでしょうから。……ですが、仮に竜王ドラゴンロード並みの感知能力を有する者が他に居たならば……」


 そこでクアイエッセはハッと気づき、声量を大きくする。

「当時、土の神殿で執り行われていた儀式が〈次元の目プレイナー・アイ〉だったとして、目標は一体どこだったのでしょう?」


 ボーマルシェも思案顔になるが……

「いや……そこはよく分かってないんじゃねぇのか? 爆発で全員死んじまって……巫女姫以下復活待ちだと思うが」

 

 各神殿の巫女姫たちは、その貴重な生まれながらの異能タレントゆえに国に徴用されているだけであり、その他の能力的にはそこらの一般人と変わらない。

 つまり低位の復活魔法に耐えられないのだ。彼女たちを蘇生させるための高位の復活魔法は、他の神殿の巫女姫を使った大儀式を神官長が中心となって執り行う必要がある。簡単にはいかない。

 それに優先度を考えて巫女姫を復活させてから死んだ他の神官たちを復活させる筈だ。真相の究明に時間がかかっている原因になっているのだろう。


 クアイエッセは神妙な面持ちになり、口を開く。

「もし、陽光聖典の監視を聖務として行っていたとしたら? そしてその時まさに陽光聖典一行がアインズ・ウール・ゴウンとの邂逅を果たしていたとしたら……?」


 ボーマルシェもそこで気づく。

「つまり、神殿の爆発は監視に気づいたゴウンの反撃だったって訳か?」


 クアイエッセの目が動揺で泳ぐように揺れだした。

死の騎士デス・ナイトを使役するだけでも、十三英雄のリグリット・ベルスー・カウラウより高位の魔法詠唱者マジック・キャスターである事は確実です。更に、第八位階魔法に即座に反撃で対処できたという事は……」


 言わんとしていることを理解してボーマルシェにも動揺が走った。

「なんてこった……アインズ・ウール・ゴウン、もしかして神人なのか……?」


 クアイエッセは眉間に谷を作り、思考の深みに沈んでいく。

(アインズ・ウール・ゴウンは”この辺りで騒ぎを起こすとお前たちの国まで死を告げに行く”と言ったらしい……。そう、”死”だ。死の騎士デス・ナイトを操る――死を司る魔法詠唱者マジック・キャスター……)


「もしやあの化け物もアインズ・ウール・ゴウンが使役していたのか?」

 

 ボーマルシェのその言葉で沼から引き上げられ、思わず叫んでしまう。

「馬鹿な! あの強さの存在を使役できるなど!最早そんな事が出来るのは神……」


 クアイエッセは凍りつく。推考はついに、ある恐ろしい結論に達した。


(アインズ・ウール・ゴウンは死を司る神……スルシャーナ……!)


 六色聖典の各色はそれぞれ六大神を表しており、二人が所属する漆黒聖典こそが死の神、スルシャーナを尊崇する部隊なのだ。


(スルシャーナはアンデッドの風貌とは裏腹に、慈愛に溢れた優しき神であったと聞く。法国の工作活動の、無辜むこの民の命を奪う事も辞さないそのやり方にお怒りになられたのでは……!)


 自分で聞こえるくらいに胸の鼓動が強く、速くなっていく。


(アインズ・ウール・ゴウンは奇妙な仮面を着けていたという。

 素顔を隠す必要があったとすれば、その顔は……!)


 クアイエッセは大きく息を飲んだ。 

 

 そう考えると全てが怖いくらいに上手く説明できてしまう。長い間、頭を悩ませていたパズルに、ピースが一気に嵌っていくかのような感覚。


 そこでふと、妹――クレマンティーヌの事が脳裏をよぎった。

(死の隣人を称する組織、ズーラーノーン。まことしやかに囁かれる噂によると、かの集団の最終目的は死の神スルシャーナの再臨……! 叡者の額冠はクレマンティーヌにとっては無用の長物のはず。自分の利にならないような事は決してしない性分にも拘わらず、リスクを背負い込んでまで国から盗んだ理由が、神の再臨の大儀式を行うためだったとしたら!!)


 今まで知られてもいなかった高位の魔法詠唱者マジック・キャスターがいきなり現れるなどという不自然も、クレマンティーヌが法国を脱した少し後だった事でやはり説明がついてしまう。


(神は警告して下さったのに! 我々は再び……!)

 先の化け物を神が使役していたとすれば、その怒りの程が分かるというものだ。

 数ある国の中で最も神を敬ってきた筈の祖国が、皮肉にも神敵となってしまった。


「お、おい大丈夫か? すごい汗だぞ」

 ボーマルシェが心配気な声をかける。

 

 クアイエッセは手の甲で顔をぬぐうと

「え、ええ。だ、大丈夫……大丈夫ですよ」

 全然大丈夫ではなさげにそう言った。


「まぁ、まだゴウンの仕業だって確定したわけじゃねぇしな。案外全部別々の事柄が偶然に起こっただけだったりするかも知れねぇし」

「えぇ……そうですね。少し穿ち過ぎたかもしれません。ではそろそろ行きましょうか」

「おう、そうだった。つい話し込んじ――そこに居るのは誰だ!」


 ボーマルシェの視線が十数メートルぐらい先の藪の付近に注がれている。クアイエッセは辿って見やるが、この暗さと距離では判然としない。


「ふーん。目に直接装着するなんて悪趣味なアイテムだと思ってたけど、結構役に立つもんなんだねー」

 忘れもしない、忘れる事など出来ないこの声は――


「おっお前は! クインティ――クレマンティーヌ!」


 ボーマルシェが途中で言い淀んだ際にこちらを一瞥したのをクアイエッセは視界の端で見逃さなかったが、あえてそこに何か言おうという気は起きなかった。


「はぁーい。呼んだ? ボーマシェル……あれ?ポールマシェだっけ?」


「絶対わざとだろ」

 ボーマルシェがそう呟いたのをクアイエッセは聞き洩らさなかったが、あえてそこに何か言おうという気も起きなかった。


「そして……クアイエッセ。久しぶりね」

 ボーマルシェの時とは違う、一段低く押し潰したような声。

 

 クアイエッセは一歩前に出て大きな声を放つ。

「クレマンティーヌ! 貴方が盗んだ叡者の額冠は使った後どうしたのです!」

 

「久々に会って第一声がそれかよ……ま、あんたらしいか。あのガラクタなら用済みだったし興味ないよ。今頃はどこにあるんだろーねー」

 ケラケラと笑い声が夜の森に響き渡る。


 クアイエッセは返された言葉をつぶさに精査するための思考を開始する。

(使った事は否定しなかった……つまり一度は確実に使用されている。主目的である神の再臨に使用したとするなら、エ・ランテルでの事件は副次的なものか、そもそも偽装だった可能性がある……か)


 更に情報を聞き出すために鎌をかけに行く。

「なるほど……さっき我々を襲ったあれも、あなた方の主人が使役する存在だった訳ですね」


 場が水を打ったように静まる。後に苦し紛れのような声が返ってくる。

「は、はぁ? そんな訳ないでしょ、大体なんで突然そういう――」

「おい!」


 クレマンティーヌの声を男の声が遮った。


「――他に誰か居るのですか?」

 自分では暗すぎて見えないため、ボーマルシェに小声で尋ねる。

「ああ、なんだか血で汚れた男が一人、傍らに居やがる」


「ああ、ひっかけかよ糞っ! 昔からてめーはせこい真似ばっかり……」

 語気が尻すぼんでいく。あのクレマンティーヌにしては珍しく、直ぐに怒りが収まったようだ。


 クアイエッセは一連のやり取りで判明した事を整理する。

(今の受け答えは、クレマンティーヌの『主人』が、あの化け物と何らかの関わりがあるという事を示している。そもそもクレマンティーヌが偶然こんな所に居る筈が無い以上、化け物を見知った答えを返した時点で間違いない。化け物の強さを考えると”傾城傾国ケイ・セケ・コウク”の様な特別な力を持つアイテムに依るものか。あるいはあれだけの強さを持つ存在を使役できる程の力を持つ者……つまりそれは……)


 先ほどの思考の渦と同じ結論に辿り着いてしまう。

 ズーラーノーンは神の再臨を成したのだ。


「あんたたち、大人しく捕まってくれないか?そうすりゃ手荒な事にはならんと思うぞ」

 向こう側から男の声が飛んでくる。


「そいつぁできねぇな。俺たちはこれでもかなり忙しい身なんだぜ?御用の際にはアポイントメントをちゃーんと取ってくれないと困るぜ」

 ボーマルシェはふざけて返した。


 クアイエッセは再び小声になる。

「ボーマルシェ、戦闘になったら貴方は抜けだして一人先に法国へ帰ってください」


 ボーマルシェは目を丸くする。


「おいおい、なんでだよ?俺とあんたなら……」

「いえ、何かの罠かもしれませんし、もしここで二人とも捕まれば国にあの化け物の事を報せる事が出来ません。人類の命運を賭けるならより堅実な方にすべきです」


「人類の命運ねぇ……」

 癪に障ったのか、うんざりした顔になるボーマルシェ。


「仕方ねぇな。分かったよ。先に戻ってあんたの帰りを待ってるぜ。あんまし遅くなるなよ」

 少し照れくさそうにするボーマルシェ。


「ええ、私も終わったら直ぐに戻りますよ」

 クアイエッセは笑顔を作ったが、無理をしているのがありありと感じられる、何とも不器用な表情であった。 



「うんじゃまぁ仕方ないよねー。殺さない程度に痛めつけるとしますか」


 女のおどけた声によって戦端が開かれた。

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