決着-3
森の一角で六匹の巨大な蜥蜴たちがうろうろと徘徊するように警戒していた。その中心で守られているのは、それらを召喚した人物――
漆黒聖典第五席次、クアイエッセその人である。
辺りの木陰や藪を凝視し、気配が無いか慎重に確かめる。
だがいつまでたっても向こうから攻撃してくる様子は無い。
(なかなか来ない……なるほど、焦らす作戦か。クレマンティーヌは特に速度に長じていて、漆黒聖典の中でも技量において上位だった。一瞬の隙が敗北に繋がりうる相手だ。こうして焦らし続け、こちらの集中力が途切れる瞬間を狙うつもりだろう)
クアイエッセは知る由も無いが、クレマンティーヌに下された命令は『足止め』。つまりは『逃がすな』というそれだけの事である。故に、ただこうして隠れて時間を浪費させるだけでも十分に命令を遂行できていると言えた。
(しかしこのままでは
クアイエッセは上空を旋回させていたクリムゾンオウルたちを呼びつけ、改めて敵を見つけ出すよう命令を出す。
「今度は森の中を低く飛んでおくれ。さあ!」
真紅のフクロウが二体、闇の中に飛び立っていった。
クレマンティーヌに対して、クリムゾンオウル程度では簡単に殺されるだろうが、それでも問題は無い。とにかく相手を発見さえすれば群を率いるこちらが有利な筈なのだから。
暫くして向かって左側の森の中を飛んでいたクリムゾンオウルが殺されたことを感知する。
「よしお前たち行け!」
クアイエッセは周囲のギガントバジリスクの内の三体を、クリムゾンオウルとの絆が途絶えた場所へと向かわせた。
巨大な無音のうねりの集合が、津波となって目標へと殺到していく。
ギガントバジリスクは猛毒の体液を持つ、オリハルコン冒険者以上の実力が無ければ倒す事が難しいモンスターだ。特に恐れられているのは見つめる者を石にしてしまう能力――石化の視線である。
(いかにクレマンティーヌが速く、森の中で視線が通りにくいといえども三体のギガントバジリスクの視線から逃れ続けるのは難しい。彼女の彫像が出来上がったら……本国に運ぶ事になるのか)
法国で石化を解き、魔法的、肉体的な詰問を受ける事になるだろう。
(その時真実が判明する。ズーラーノーンが本当に
心が
自分の横に居た一匹のギガントバジリスクの方から何かが落ちたような鈍い音がしたのだ。
クアイエッセが振り向いた刹那、大蜥蜴の頭に乗った人影が大きく跳躍して森の奥に消えていった。
やがてそのギガントバジリスクから力が抜け、手足を投げ出し崩れ落ちた。
「んな……! い、今のはクレマンティーヌ……?」
視認できない程の速度。人とは思えない高さの跳躍。
自分の知る、漆黒聖典のメンバーだった頃を遥かに凌駕する異常な身体能力だ。
クアイエッセは一瞬で屠られたギガントバジリスクの頭部を見る。
脳天に一撃、鋭く穿たれた痕があった。クレマンティーヌが得意とする刺剣のものに違いない。
(これは一体どうなって……まさか神人として目覚めたとでも言うのか……? いや、もしくは……目覚めさせてもらった……?)
神の力を自在に覚醒させる、そんな事が可能な存在は?それは勿論――
(神自身……)
最早、何もかもが決定的に思われた。だがまたも、気持ちの沈みを戒めるかの様なタイミングで事件は起こった。クリムゾンオウルが倒された地点に向かわせていた三体のギガントバジリスクの内の一体が殺された事を知覚したのだ。
「しまった!」
直ぐに自分の周囲に戻ってくるよう命令を出すが、その間にもう一体、ギガントバジリスクが殺され、更にはクリムゾンオウルの残り一体も殺された事を知る。
結局無事に戻ってきたのはギガントバジリスク一体だけだった。
減ってしまった戦力を補うためにクアイエッセは三体のギガントバジリスクを召喚し、周囲を再び六体が警戒する陣容になった。
そしてまた両者共に攻め手が尽きたかの如く膠着状態が続く。
いつしか月を覆っていた叢雲が晴れて、枝葉によって
(ギガントバジリスク相手に、この殲滅速度……やはり異常だ。あの俊敏さでは石化の視線では効果が望めない……ではもう片方の特性を――)
クアイエッセが命令し、ギガントバジリスク達が所定の配置に着いていく。
互いを警戒させ合うが、一匹だけ、群れから外れた場所――他のギガントバジリスクの視線は木々に阻まれて届かないが、クアイエッセの視線だけは届く場所に置く。
これはいわば囮。もしくはもぐらたたきも穴を一つにすれば劇的に難易度が下がる、とでも解釈すればいいような戦術だ。
クアイエッセは待つ。
待つ。
待つ。
待つ。
――と、ついに当該のギガントバジリスクの頭上から気配を感じ、すかさず〈
クレマンティーヌのスティレットがギガントバジリスクの急所に突き立てられるのと同時に、〈
「よし! これは流石に――」
そこでクアイエッセは言葉を失ってしまう。
巨大な蜥蜴の頭蓋の上、素寒貧の様な出で立ちの女。
体中に血糊をぬめらせながらも、その合間に見える月光に映えた肌はあまりにも白い。白すぎる。
まるで血の気が失せた死体のようだ。
その顔には、確信と喜びが入り混じった、生きる事の意味を見出した者特有の表情が満ちていた。
侮蔑と憎しみしか知らなかった妹のものとは思えないほどに。
赤い瞳を
(――赤)
そう、赤。クレマンティーヌの生粋の色ではない。
それは生者への憎しみで揺らめくアンデッドのものだ。
アンデッドは、生けとし生けるもの全ての敵として、異形の中でも優先して沢山狩ってきた。だからこそ間違いはない。
実際には僅かな時間だったであろう。だがあまりにも鮮烈な印象が、一瞬を絵画の中の一場面としてクアイエッセの脳裏に深く刻み込まれた。
クアイエッセは、妹が森の闇に溶けていった方向を愕然とした様子で暫く見つめていた。
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