決着-2


「そいつぁできねぇな。俺たちはこれでもかなり忙しい身なんだぜ?御用の際にはアポイントメントをちゃーんと取ってくれないと困るぜ」

 鎖を腕に巻き付けた男がふざけた答えを寄越した。

 

 その後、間を置かずに小声で相談を始めた。向こうは内緒話のつもりなのだろう。しかしこちらの二人は吸血鬼ヴァンパイアであり、その人外の聴力の前では一切の内容が筒抜けであった。


 ブレインは小声で、並ぶ女に話しかける。

「鎖の方が逃げるか。それじゃお前が逃げる方を――」

「駄目。あなたが鎖の方。あいつだけは私がやる」

 

 静かながらも強い意志の込められた返答に少しぎょっとして、流し目で横を見る。

 クレマンティーヌは魔法詠唱者マジック・キャスターらしき方の男をただひたすらに、じっと睨んでいた。


「お前、なんだかあいつにだけ態度がおかしくないか?顔立ちが似てるが……兄妹なのか?」


 その言葉に、一瞬ではあるが女は眉を顰めた。


「まあ色々あんのよ。因縁ってやつがさ」

「……そうか。だが、分かってると思うが、シャルティア様のご命令は――」

「ちゃんと分かってるって。森に逃げて来た奴が居たら足止めして時間を稼ぐ。可能であれば捕まえる。だから殺しはしない」

「ああ、分かってるならいいさ」


 そしてクレマンティーヌは急に声色を変えておどけた調子になる。

「うんじゃまぁ仕方ないよねー。殺さない程度に痛めつけるとしますか」

 わざわざ相手に聞こえる様に声を大きくして放った台詞にブレインは――


「大した役者だぜ」

 半ば呆れながらもそう言った。




―――


 

 ボーマルシェは闇夜の森を独りでひた走りながらも、先ほど置いてきた仲間の事を思い出していた。

(ありゃ、何か覚悟してた顔だったな……)

 

 最早この情報を持ち帰られるのは自分だけかもしれない。

 全人類の運命を無理やり背負わされているようではなはだ不服ではあるが、とにかく走り続けるしかなかった。


 幸いにもボーマルシェは目に着けているコンタクトレンズ――六大神の遺した装備品――の効果で闇の中でも自由に動けるのだ。

 

「正に適任、ってか? はっ」

 自分の状況を嗤ったその時――


「一人だけで逃げるつもりか?」

 いきなりの男の声に驚き立ち止まる。


 木の陰から姿を現したのは――

「お前は!さっきの――」

「ブレイン・アングラウスだ。宜しくな、ボールシェマ」


 わざとだろ。

 本気でそう言いたかったがここはあえて言葉を飲み込んだ。


(うん? アングラウス? どっかで聞いた名前だな……しかしこいつはどうやって先回りしたんだ?)


 漆黒聖典の中でもボーマルシェは足が速い事で知られている。即ち、人類の中でも有数のランナーであり、そんな自分が目いっぱい駆けてきたにも拘わらず呼吸ひとつ乱さずに佇む男が目の前に居るのだ。


「どうした? かかってこないのか?臆病風にでも吹かれたか?」

 男はフン、と嘲笑うように息を吐いた。


 ボーマルシェは少し腹立たしい気持ちになるものの、直ぐに方向を変えて走り出す。

「急いでんだよ俺は。お前に構ってる暇も惜しいんでな」

 そう吐き捨てながら木々の間を飛ぶように駆けていく。

 ボーマルシェは直情的な性質たちではあるが、今この状況で判断をたがえる愚かしさを有してはいない。そこはやはり漆黒聖典なのである。


 男がもし執拗に追ってくるのであれば仕留めるつもりでいたが、その気配はない。

(今度会ったら吠え面かかせて……え?)

 さっきの男が進行方向を遮るように突っ立っていた。


「な、なに?どういう事だ? ……まさか転移魔法?」

「俺がそんな高尚なもんが使える様に見えるのか?ただ思いっきり走っただけだぞ」

 そう言って笑う男に、何か底知れないものを感じる。


(〈疾風走破〉で追い越された? そんな気配は微塵も無かったはずだが……)

 思考を巡らせるボーマルシェをブレインは尚も挑発する。

「もう鬼ごっこは十分楽しんだだろ? あれだけ走りゃ体も温まっただろうし、そろそろいいんじゃないか?」


 チッ、という舌打ち。そして決意。


「……そんじゃ一丁揉んでやるよ!」


 その声と同時に脇の茂みから、鎖が蛇のように軌道をくねらせながらブレインに襲い掛かった。

 自分の意思によって手足の如く自由自在に動かせるこの鎖こそがボーマルシェの武器であり能力である。


「くっ!」

 ブレインは武技〈領域〉を展開済みではあったものの、鬱蒼とした茂みの中までは感覚を通す事が出来ない。虚を突かれて手首に鎖が絡み付いていった。

 

 相手を封じた事をはっきりと知覚し、ボーマルシェは勝利を確信する。


(くくっ。あとは煮るなり焼くなり……え?)


 本日二度目の”え?”は地に自分の足が着いてない事に対してだった。

 ブレインが近くの木に足をついて支点にし、鎖を持ってボーマルシェを空中に投げ飛ばしたのだ。

 やがて地面が、木が、ものすごい勢いで何度も何度もぶつかってくる。どーんどーんという大きな音と共に体中の骨が折れ、割れ、砕けていった。


―――


「よし。まだ一応生きてるな。手加減はしたつもりだったんだが……ニンゲンってこんなに脆かったんだな」

 そう言った男の足元には、四肢の関節が増えてあらぬ方向に折れ曲がった男が泡を吹いて転がっていた。


「それにしても吸血鬼ヴァンパイアってのはスゲェもんだ。これもすべては美しき一輪の黒い薔薇、シャルティア様のおかげだ……あぁ……」

 足元の男に構わず、吸血鬼ヴァンパイアは暫く独り言を呟いていた。

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