墳墓の上層で愛を呟いた吸血鬼
「ふんふんふーん」
白く輝ような服を着た金髪赤眼の美女が、墳墓の路地を鼻歌交じりで歩いていた。
元、スレイン法国漆黒聖典第九席次、
元、秘密結社ズーラーノーン十二高弟の一人であり
現、シャルティアのシモベの
クレマンティーヌその人である。
喜びに満ち満ちた、今にも
立ち込める腐敗臭、徘徊するアンデッド達、生者を呪う怨嗟の叫び。
およそ通常の人間であれば発狂してもおかしくない場所である。
だが自身がアンデッドとなった今、それらはとても心地よいものであった。
何よりも敬愛する主人、シャルティアの守護する領域だという事が、この場所に親しみを感じさせる。
「生きてるって……命があるって素晴らしいわぁ」
アンデッド且つ元快楽大量殺人者が勝手な台詞をほざいていた。
順路の中ほどにてクレマンティーヌは出し抜けに立ち止まると、腰のレイピアを凛と抜き放ち見やる。
その透き通るような白さは淡い燐光でブラーがかっていて、時折青い
「ふあぁ……」
漆黒聖典時代の装備よりも格上のそれを恍惚と見つめながら感嘆の声を漏らす。
だがやはりこれも、剣の力そのものよりもシャルティアに下賜された物だという事が、より強烈な歓喜の源泉となっていた。
「あぁぁ……シャルティア様ぁ……ありがとうごにゃいまふ……」
剣を胸に抱き昨日の夜伽の事を思い出す。
めくるめく享楽の宴。時に激しく、時に優しく自分に接してくれたご主人様。
実のところ、結構痛い事もされたのだが、それすらも
「でゅ……うぇひひひひ……」
奇妙な笑い声は周りから聞こえる怨嗟の声よりずっとインパクトがあった。
更にくねくねと身もだえしながら発するのでかなり怖い。
しかも剣の断続的な雷光が下から顔を不気味に照らし上げていた。
「ああっああっ」
シャルティアの躰の、そのひんやりとした感触を、その
「っ! ――――――……あっやべっ。下着が」まずいことになっていた。
(っといけない今のはちょっと下品だった)
シャルティアに
(シャルティア様ご自身は勿論、
主人の為ならば自分の性格や品性、容姿までもちゃんと矯正する覚悟であった。
クレマンティーヌは剣を納め、居住まいを正し、小股でしずしずと歩く。
聖女と見紛うような魔法の服を着ていることもあり、意外にも様になっていた。
まさに馬子にも……いや猫子にも衣装である。
「ああ……シャルティア様の為ならなんだってできる。この体も心もいつでも投げ出せる。これが愛。本当の愛なんだ……」
喜色満面の笑みを浮かべながら
地下聖堂付近を通り、シャルティアの玄室近くの通路を歩いていたとき、カランという金属音が足元で鳴った。
見ると、それは
「あ……これ……」
手で拾って裏を返すと、特徴的な十字の傷があった。
初めて、いたぶり剥ぎ取った
今自分の服から落ちたのだろうか?
それとも最初ここに来たとき落としたのを今、蹴ってしまったのか?
どうやって紛れ込んだのかも分からないそれをしげしげと眺める。
以前はそうする事で自分が絶対強者である事を確認していたのだ。
(馬鹿だったんだなぁ。私は)
かつては拷問を、殺しを愛していた。そう思っていた。
だが真の愛を知った今となっては、そんなものは到底、愛と呼ぶに値する代物では無い。
ただの歪んだ自己満足の滲出に過ぎなかったのだ。
(そして自分は単なる弱者だ)
国を簡単に滅ぼせるような強者が無数に生息するナザリック地下大墳墓。
ここに来てからはますますその認識が強くなった。
(全ては必然だった。今の私に至るための)
法国を離れても、沸々と湧き上がるそれらの感情を抑える事はできなかった。
心がざわつく度に拷問しては殺しを繰り返した。あえて冒険者たちを狙う事が多かったのも、自分の強さを、その価値を確かめ、自信とするためだった。だが、それでも兄への劣等感は決して消える事は無かった。
(あの期間、私は
エ・ランテルの墓地で、心が体ごと、文字通りに折れてしまった。
結局ズーラーノーンからも逃げだした。絶望を知り、彷徨うばかりになった。
纏っていたあらゆるものが意味を失って抜け落ち、ありのままの弱々しい自分自身が、その時やっと剥き出しになったのだ。
だからこそ変態する事ができた。
ナザリックでは一度だけ兄と言葉を交わしたが、その際、あれだけ苛烈に渦巻いていた黒い感情がもうどこにもない事に気づいた。自分のあまりの変わりように戸惑い、笑いが噴き出しそうになるのを堪える必要があったぐらいだ。
いや、堪える必要など無かったのかもしれない。
もう兄の前で自然に微笑む事すら容易いだろうから。
プレートを握る手の力が少しづつ強められていく。
(今なら解る。私に何が欠落していたのか。それを埋めたのが何なのかも)
やがて
吊り橋のかかる吹き抜けの方に投げ捨てようとプレートを握る手を掲げ――
――そのままゆっくりと落ちるように下す。
(シャルティア様が守護するこの聖域をこんなもので汚すべきじゃない)
懐にプレートをしまい、さっき拾う時に僅かに乱れたのであろう髪を直そうとし――ふと思う。
(そうだ髪を伸ばそう。
そしてまた女は歩き出した。至福の表情を浮かべながら。
不敵さを笑みにして獲物を狙う狡猾な山猫はもう居ない。
そこには主人の愛撫を期待して上目使いで喉を鳴らす飼い猫の姿があるだけだった。
クレマンティーヌが愛を知るまで 山西 @yamanishi
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