出奔

 

「嘘!ありえない!なんで死なない!」

 

 エ・ランテルの墓地。

 漆黒の全身鎧の戦士に左手で抱かれながらクレマンティーヌは叫ぶ。

 

 複数の武技を起動しつつ両の目を抉るようにスティレットをヘルムに突き立て、その上で〈魔法蓄積〉マジックアキュムレートによって込められた攻撃魔法を発動さえしたのだ。

 今の自分の能力と装備による最大の攻撃手段。奥の手。それら致命の連撃を受けて平然としていられる訳が無い。では目の前の男は一体?


「答えあわせと行こうか?」

 

 瞬く間に鎧が掻き消えて、豪著な黒い外套姿の骸骨が現れる。

 

「アンデッド……死者の大魔法使いエルダーリッチか!」


「うん? まぁ、正解に近いと言っておこうか。それより、なぁ、どうだ? 魔法詠唱者マジック・キャスターと剣で戦った感想は?」

「な、なめるなあああっ!!」

 

 必死の力を込めて引き離そうと試みるが、まるで不動の岩の如くピクリとも動かない。


 クレマンティーヌは凍り付く。

 その異常なまでの怪力は決して鎧の効果でなく、この化け物本来の力である事を知って。

 今までの疑問――人間離れした身体能力の高さと、それに比べて低すぎる戦士としての技量――が最悪の形で解された瞬間だった。

 

「これがハンデの正体だ。お前ごとき相手は私が本気で――魔法を使用してまで戦う敵ではなかったということだな」


「糞がぁあああああっ!!」


 死者の大魔法使いエルダーリッチは眼窩に刺さったスティレットを抜き捨て、その奥の赤い光でクレマンティーヌの目を見据えた。

 

「では、始めようか」

 

 軽鎧がミシミシと音を立ててひしゃげ始める。

「ま、まさか、おまあえぇぇえぇ!!」

 自分をこのまま抱き潰す気だと悟り、クレマンティーヌは恐怖で全身がすくみ上がった。この状況を脱する手段はないのだ。

 

「さて、お前はこれからゆっくり苦しみながら死ぬわけだが、せっかくだ。最期の授業を受けさせてやろうじゃないか。お前との一戦はこちらもいろいろ勉強になったからな。せめてもの礼だ」

 

 そう言う間にも圧迫は徐々に強まっていき、鎧に打ち付けていた冒険者プレートが弾け飛んで地面に落ちていく。

 

「な、なにを……」

 恐怖と息苦しさに圧され、続く言葉を失う。

 

「ふふ……何事も万全を期すなら念入りに行うべきだとは思わないか? 未知の手段による追跡の可能性、自分より強い存在と出会った場合の対処……あらゆる事態を考慮してもっと慎重になるべきだったのだよ。それなのに、お前はこんな下らない戯事に興じたせいで――」

 死者の大魔法使いエルダーリッチは右手で軽鎧からシルバープレートをひとつもぎ取って眼前に晒した。

「――生き残る機会チャンスおのずから捨てたのだ。つまり――」

 

 肺が押され息を吸うことができなくなる。

 背骨が軋み激痛が走る。


「お前はただ死ぬのではない。自らの迂闊さ、傲慢さに押し潰されて死ぬのだ」






 ――暗溶する意識の中、クレマンティーヌは自身の背骨が砕ける音を聞き、何か熱いものが口から飛び出していくのを感じた。


 





――――――





 もうなんともないはずの背骨に幻痛が起こる。

 熱いものがこみ上げ、胸を焼きながら口から飛び出して床を叩く。


「ごっ!がはっ!……はぁっはぁっ」

 

 あの末期まつごの時間を悪夢に見たのはこれで二度目だ。

 ベッドに腰掛け、俯きながら全身の震えと激しい動悸がおさまるのをただひたすらに待つ。

 が、恐怖は後から追いすがるように湧き起こってくる。

 まるで精神こころに蓋をするように。生きる気力そのものを削ぐように。

 

「く、糞っ!」

 噛み殺す事の出来ぬ苦悶がガチガチと鳴る歯の間から漏れた。

 今のクレマンティーヌにはそれだけでも精いっぱいの呟きだった。

 

 

 昨日聞いた話では、漆黒の戦士モモンの連れ、魔法詠唱者マジック・キャスターのナーベは、骨の竜スケリトル・ドラゴンを剣で叩き伏せ、転移魔法で翻弄し、第七位階以上と目される電撃の魔法で二体の骨の竜スケリトル・ドラゴンごとカジットを焼き滅ぼしたという。

 

 第七位階――世間的には神話の領域とされているが、スレイン法国では十分に行使可能な領域ではある。

 ただし、その際には大規模な儀式が必要であり、単独での使用は不可能だ。

 もしただの個人が第七位階以上を使用したというなら、その者はフールーダや盟主をも超える最高の魔法詠唱者マジック・キャスターに他ならない。

 

 その事実がもたらしたあまりの衝撃にズーラーノーンでは、高弟以外に箝口令が布かれた程である。


 だがクレマンティーヌだけは知っている。モモンの正体が死者の大魔法使いエルダーリッチであることを。


 二人の上下関係からして、モモンの方がより高位の魔法詠唱者マジック・キャスターである事は疑いが無い。

 

 すなわち、超人的な身体能力を備え、英雄級の戦士の全力の攻撃でも傷一つ負わず、第七位階以上の魔法を行使できる存在――

(――あの化け物なら、あるとされている最高位階、第十位階魔法さえ使えそうだ)


 端から勝てる相手ではなかった。




 息づかいが落ち着きを取り戻したのを確認し、クレマンティーヌはこれからの事を思案する。

 

 どうやら自分は骸骨恐怖症スケリトフォビアになってしまったようだ。この施設に配置されている単なるスケルトンでさえ怖くてたまらない。あの眼窩の奥の赤い光と目が合うと、エ・ランテルの墓地での事がフラッシュバックしてしまう。


 だが、火急の問題は身の置き所だ。死の隣人たるズーラーノーンの幹部が骸骨恐怖症スケリトフォビア。そんな冗談じみた自分の状態が盟主に知れたら間違いなく消される。役立たずには容赦しない性格なのだ。


 あと半日で盟主がここに来る。あの時の事を詰問されれば誤魔化すことは難しいだろう。今の精神状態では特に。

 よしんば上手く誤魔化せたとしても骸骨恐怖症スケリトフォビア自体が治るわけではない。いずれは知られてしまうかもしれないし、何より自分がもうここに居たくない気持ちでいっぱいだ。とにかく怖いのだ。骸骨が。


 それに――自分でも判然としないが、違和感のような曖昧模糊とした疑念がモモンの正体を明かす事を躊躇わせていた。

 

(あの時、モモンは鎧を消してアンデッドである事をわざわざ示した。だけど、私を殺すだけならそんな必要はなかった。ズーラーノーンが相手である以上、殺しても復活する可能性がある事を当然知っていただろうし、正体を晒す事にはデメリットしかないはずだけど……。現にあの化け物自身が言っていたじゃないか。戯事に興じず、もっと慎重になるべきだと。逆に言えば単なる戯事ではなく、奴にとって何かメリットがあって晒したんだ。あの禍々しい骸骨の姿を)


 クレマンティーヌは自分の目線の先がベッドの傍らにある冒険者プレートに向いている事に気づき、思考の海から脱してそれを手に取る。銀級シルバーのプレートだ。

「あの時殺した四人も……」

 モモンと戦う前、ンフィーレアを攫う際に殺した冒険者たちも銀級だった。

 そして――

 死者の大魔法使いエルダーリッチが鎧から毟って見せつけるようにしたプレートも――


「シルバー……」

 

 これは偶然じゃない。

 心臓が体が揺れるほどに強く打ちはじめ、焦燥と不安が綯い交ぜになってせり上がってくる。

 

(モモンは最初に出会ったとき、私の外套の下のプレートを指して「それがお前の居場所を教えてくれた」と言った。その時はてっきり死んだ仲間の無念を酌んだただの暗喩だと思っていたけれど……奴はアンデッドだ。人間に対して情など湧くわけがない。つまりあれは言葉通りの意味だったんだ!)

 

 ――探知の魔法。

 クレマンティーヌもそういった魔法がいくつか存在しているのは知っていた。実際、漆黒聖典時代の装備を泣く泣く捨てたのも、追っ手の探知に引っかからないようにするためだ。

 しかし、失せ物――ただの金属でできた小さなプレート――をこんなに都合よく完璧な精度で探し当てる魔法など聞いたこともなかった。 

 つまるところクレマンティーヌが持ち去った狩猟戦利品ハンティング・トロフィーによってクレマンティーヌ自身が狩られてしまったのだ。

 その、なんとも皮肉な結論に臍を噛むと同時に、改めて相手が想像を絶する魔法詠唱者マジック・キャスターである事に畏怖する。

 

「魔法ってのはなんでもありかよ……」

 どこかで聞いた台詞をそっとぼやく。

 

 ではもう一つの疑念、何故モモンはわざわざ正体を晒したのか――

  

(魔法……未知の魔法……)

 頭をよぎったのは法国時代の事。

 陽光聖典などの特務部隊の隊員に付与される魔法に、特定条件下で三回質問に答えると発動し、その者の命を奪うというのがある。当の隊員達にはその具体的な効果が知らされておらず、単に祝福と称し、機密漏洩防止の手段として頻繁に活用されていた。

 神官長達は当然のこと、漆黒聖典の幾人かもその魔法の真の効果を知っていたようだ。


(ああいう魔法が私にかけられているとしたら? 例えば――モモンの正体を誰かに喋った途端に発動する――!)


 一度死んで復活しても付与が消えない呪い。

 発動すればあの死者の大魔法使いエルダーリッチに自分の居場所を知らせるのか。それとも大爆発を起こしてしまうのか。


 人智の及ばぬ程の高位の魔法は全てが可能なようにさえ思えた。


 その目的はやはりズーラーノーンの壊滅だろう。盟主や高弟達が集まった所を一網打尽にする算段だ。

 

(そう考えれば奴の行動に合点がいく。いや、そうでなければおかしい)

 絡まった疑心の糸がほどけてゆき、確信へと結線された。


(私はまだあの死者の大魔法使いエルダーリッチの腕の中に居るんだ)

 

 焦燥感はこれ以上なく膨らみ、恐怖が再び頭をもたげる。


(逃げよう。逃げるしかない)

 

 クレマンティーヌは昨日調達しておいた四本のスティレットの入ったホルダー付きベルトを腰に巻いて外套を着ると、脱兎……いや、脱猫の如く部屋を飛び出した。

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