エ・ランテルにて
――数日前。リ・エスティーゼ王国南東の城塞都市エ・ランテル。
その最高級の宿屋である『黄金の輝き亭』の廊下を、一人の老年の執事が姿勢よく歩いていた。
やがて目的の部屋の前に着き、ノックをしてから入室する。
「セバス様、先ほどは失礼致しました」
迎えた金髪の女性は、そう言って下げていた頭を上げる。そこにはまさに美の結晶とも言える容姿があった。
なぜか片目を閉じたまま微笑んでいるが、そんな不思議な仕草もこの美貌の前では誰もが容易く看過するであろう。
「気にする必要はありませんよ、ソリュシャン。それが貴方の役なのですから」
執事はそう言って返した。
二人はナザリック最高支配者であるアインズ・ウール・ゴウンの命を受け、この世界特有の魔法や武技の使い手を捕らえる事を目的としていた。
ただ、後々の問題を最小限にするため、犯罪者を狙わなければならない。
そのお膳立てのために、ここ『黄金の輝き亭』で美人局じみた茶番を何度か演じており、先ほどやっと獲物が食いついたのだ。
「それで、あの男は上手く動いていますか?」
『あの男』とは先日雇った御者で、既に犯罪者たちの連絡役である事までは看破できていた。
階下での演技に騙されて、今頃は仲間の元へ急いでいるはずだ。
自身に掛けられた釣り針にも気づかずに。
「はい。彼は本当に上手くうご――」
ソリュシャンの虚濁の瞳が大きく開かれ、あわせて口も驚愕を表す形を作った。
「彼が……たった今、殺されました」
瞠目がセバスへと伝播する。思いもかけなかった事態に動揺が声に表れる。
「い、一体なぜ……? 犯人は彼の仲間でしょうか?」
「……いえ、どうやら単なる通り魔のようです。しかも女の」
つまり、不運にも無関係の第三者によって計画の道筋が断たれてしまったという事だ。男の命と共に。
「如何いたしましょうか、セバス様。……女を捕らえますか?」
セバスは顎をもむようにしてしばし考え込むが、すぐに首を振り口を開く。
「いえ、やめておきましょう。その女の素性次第では深入りするとせっかく作った我々の肩書にも影響しかねません。延いては今後の王都での任務にも差し障りが出るやもしれません。なので、予定通り今からこの都市を出発します。シャルティア様には私から連絡をしておきますので、貴方はあの男の死体を処分しておいてください」
ソリュシャンは再び深く頭を下げる。
「畏まりました」
その顔には期せずして玩具が壊れてしまった残念さを微かに浮かべていた。
――――
「ふんふんふーん」
黒い外套を着た金髪紫眼の美女が、貧民街の路地を鼻歌交じりで歩いていた。
ここ数日エ・ランテルでは犯罪者やワーカー、ただのゴロツキなど貧民街の住人が多数行方不明になっている。
犯人はこの女――英雄級の快楽殺人者、クレマンティーヌである。
夕闇が覆う暗い道を、楽し気に独り言を呟きながら歩いていく。
「あー殺した殺した。新記録達成だよー。欲を言えばもうちょっと殺したいけど、これ以上カジっちゃん怒らせるのもマズいんだよねー」
今夜、儀式『死の螺旋』が執り行われる予定であり、そのどさくさに紛れて風花の連中を撒ければ晴れて自分は自由の身になる。
「カジっちゃんもあんなにピリピリしなくてもいいのになー。どうせ滅んでみんな死んじゃうんだから同じじゃん」
そこで、いきなり角から男が飛び出してきてぶつかりそうになるが、クレマンティーヌは飛び退くようにサッと避けた。反射神経も英雄級なのであった。
「あっぶないなー」
クレマンティーヌは咎めるように言った。
「うるせぇ!邪魔なんだよ!こっちは急いでんだ!」
男は振り返りもせず言い放つとそのまま駆けていく。
少しムッとしたクレマンティーヌだが、次の瞬間には邪な笑みで顔を歪ませる。
シュルリと黒布の下で剣が抜かれる音がした。
「せっ!」
外套を大きく翻し、振りかぶった右手から白輝の軌跡が高速で伸びていく。
光の尖端が男の首筋に吸い込まれ、ザック!という何故だかとってもフィットする音と共に、男は宙空に踊るように体躯を崩し、そのまま俯せに倒れた。
「ありゃー。まさかこんなにばっちり刺さるとは思わなかったよー。だって私、投げナイフとかあんまり練習したことないからさーあはははは」
笑いながら倒れた男に近づいていく。
「だいじょうぶー? 息してるー?」してない。白目を剥いて完全に絶命している。
「ん、しょっと」
男の死体を足で踏みつけながら刺さったスティレットを抜いた。
剣にべっとりと付いた血は当然のように男の服で拭く。
スティレットは投げるにはいささか大きい刺剣であり、しかもこの暗さで遠ざかる目標に対してここまで見事に刺せる人間はまず居ない。
さすがクレマンティーヌ。投擲能力まで英雄級なのであった。
「まーしょうがないよね。事故だよ事故。うんうん」
今しがた自分で殺しておきながら事故だと言い切るクレマンティーヌ。
性格の破綻っぷりまでも英雄級なのであった。
「ふんふんふーん」
そして女は再び歩き出した。どこまでも気楽な調子で。
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