洞穴に死す


 クレマンティーヌは青髪の男――ブレインをじっと観察する。

 

(刀……この距離でも鞘から抜かないとなると居合か)

 

 刀は南方から時折流れてくる、強力な切断性能を有する武器だ。

 道を究めた達人であれば全身鎧を両断する事も、舞う木の葉を正確に二つにする事も自在だという。

 希少な武器であるため、何も知らない剣士は無闇に突っ込んで返り討ちにあったかもしれない。漆黒聖典時代の知識が活かされた訳である。

 

(そしてこの男は間違いなく達人級。間合いに入った途端斬られる)

 

 武技〈超回避〉等を起動して敵の攻撃を避けるか、〈不落要塞〉で弾き、その後の隙を突くようにスティレットを刺し込む。これがそれなりの強敵と対峙した場合のクレマンティーヌの基本戦術である。


 しかし、刀は速いため回避は難しく、その間合いもスティレットのそれと比較してずっと広い。

 達人級ともなるとその剣速はクレマンティーヌでも視認不可能なほどであり、〈不落要塞〉で弾くにも短いスティレットでは宛がう事そのものが困難である。


 即ち、クレマンティーヌの武器戦術との相性が悪く、かなり不利なのだ。


(少し賭けになるけど、やるしかない……か)

 

 〈疾風走破〉〈能力向上〉〈能力超向上〉。

 クレマンティーヌは前傾姿勢を取り複数の武技を同時に起動した。

 間合いに入った際に切る手札の数を考慮して〈超回避〉は捨てる。


 溜めに溜めた力が解放され、爆発的な勢いで走り出す。

 ブレインの間合いの手前でスティレットを握った右手を伸ばす――


―――


 一方ブレインは既に絶対知覚たる武技〈領域〉を起動済みであり、まさに今スティレットの尖端が域内に侵入したのを認識する。通常の敵であればもう少し引き付けてから刀を抜いても武技〈神閃〉で確実に仕留められるが、暴風の速度で迫るクレマンティーヌに対しては偏差を付けないと間に合いそうもない。

 戦士の思考によって引き伸ばされた刹那の中、意を決し刀を抜く。


 だがブレインはあらぬ事を知覚した。クレマンティーヌの体は〈領域〉内に無いのにスティレットだけが自分の顔めがけて向かって来る事を。

「っ!」

 投擲されたスティレットを〈神閃〉で斬り落とす。

 その隙を狙いクレマンティーヌが一気に間合いを詰める。

 返す刀で女に斬りかかろうとするが――

 

 一度死んだ刀の勢いが戻るまでの数瞬、武技〈流水加速〉を起動させたクレマンティーヌはそれを決して見逃さない。逆手に持った左のスティレットを刀に当て〈不落要塞〉で弾く。


「ぐあっ!」

 衝撃でブレインの体勢が大きく崩れる。雌雄が決した瞬間でもあった。


 直ちにスティレットがブレインの眼を抉ろうと迫る。

(死ぬのか)

 そう思った瞬間、スティレットごとクレマンティーヌが横に大きく飛び退いた。

 

「え……?」

  

 女の顔は驚愕で満たされていた。大きく見開かれた目が見つめる先を追うと――

 


―――



 ――そこに居たのは黒の豪華なボールガウンドレスを着た銀髪の美少女。

 肌は雪の様に白く、瞳は血の様に赤い。

 

 明らかに場違いな珍客は優雅な足取りで二人に近づく。

 

 その雰囲気はクレマンティーヌにかの死者の大魔法使いエルダーリッチを思い起こさせた。絶対強者の持つ余裕のようなものを感じたのだ。

 ブレインとの戦闘の高揚で遠退いていたあの恐怖が再びその鎌首を現した。

 息が詰まり、足が震えだし、歯が鳴り出す。


「あなたたち……武技、使えるんでありんすね?」

少女はかわいらしく小首を傾げながら透き通る声で尋ねてきた。


「な、なんだ……お前は」

  

 問いを問いで返す男に、少女はドレスを手で持ち恭しく礼をしながら口を開く。

「わたしはシャルティア・ブラッドフォールン。至高の御方の命によりあなたたちのようなのを戴きに参りんした」

 

 顔を上げ優し気な笑みを作り言葉を続ける。

「計画が狂って御方をずいぶんお待たせしていんす。なので、ちゃちゃ、っと手早く終わらせんす」


 その瞬間、そこにあった少女の姿が消えた。

 

「う……ぐああ……」

 横から聞こえてきた呻き声。

 視線を向けるとそこには男と少女が抱き合う姿があった。

 少女の方が背が低いために、跳びつくようにして男の首筋に顔をうずめている。

 見る見るうちにブレインの顔から血の気が引いていき、やがてドサリという音を立てて床に沈んだ。


 一部始終を呆け顔で見つめていたクレマンティーヌはそこでやっと気づく。

吸血鬼ヴァンパイア……」


 女の呟きに、少女は乱れた髪を指先で掻き上げるとくるりと振り向く。

「そうでありんすぇ。でも、あなたはそれを知りんしても逃げないのでありんすか?」

「逃げ場なんてない……どこに行っても……」

 

 クレマンティーヌの手から一切の力が抜けた。

 零れたスティレットが虚しい音を立てて床を転がる。

 やがて足腰からも力が抜け、膝からくずおれた。

 

「安心しなんし。武技が使えるのであれば御方のお役に立ちんしょう」

 そう言って銀髪の吸血鬼はクレマンティーヌの顔を手で持ち上げる。

 その真紅の瞳の中にクレマンティーヌは自分を見つける。

 心が霞がかっていく。もう抵抗する事は出来ない。その必要もない。


「い、痛くしないで……」

  

 クレマンティーヌの小さな嘆願に少女はクスリと笑い、そっと首筋を噛んだ。

 血がどんどん抜き取られていくのが分かる。

 

(銀髪の美少女に血を吸われる……流石にこんな結末は予想してなかったけど、苦しくないならなんでもいいや)

 

 クレマンティーヌは甘い最期をもたらした運命に少しだけ感謝した。

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