*暗き底からの腕-くらきそこからのかいな-

 眼前で彼の死を認め遺体を埋葬したナシェリオにとって、これは信じられない再会だった。

 あれほど、もう一度会えたらと願っていた相手であるのに、ざらりとしたその違和感に目を眇める。

 顔立ちは記憶にあるそのままだ。しかし、これほど勝ち気な態度だっただろうか。なによりも彼の顔色は人間というにはあまりに生気が無く青白い。

 それはまるで墓から這い出た死人が話し、動いているような気持ちの悪さがあり、ナシェリオは込み上がる吐き気を懸命にこらえた。

「どうした、感動の再会だろう。もっと喜べよ」

「……君なのか」

 驚きの眼差しを向けるナシェリオに男は、玉座から腰を浮かせることもせず間違いなく自分だと応えるように両手をやや上げて示した。

 本当にラーファンなのかと瞬刻、口元を緩めるも彼がどうしてここにいるのか、その答えにたどり着く要素がナシェリオにはなくうれわしげに目を泳がせた。

 ラーファンはそんな友に口角を吊り上げ優雅に組んだ足を揺らす。

「この世界は不公平だとは思わないか」

 にわかに問いかけられた内容にナシェリオは眉間にしわを刻む。生前よりも物静かになったようにも見えてしかし、彼の背後からゆるりと染み出すようにどす黒いものもわずかながら感じられた。

「君は、どうやって蘇った」

「全ては冥王の慈悲だよ」

「冥王?」

 死者の世界、冥府を統治している神がラーファンを生き返らせた? されど、伝えられている冥王はあまり良い存在とは言い難い。

 常に他の神たちを出し抜こうと画策し、狡猾こうかつで抜け目のない神だと──それがラーファンに慈悲を見せたというのか。それは何故だ?

「英雄になりたいと願った者が惨めに冥府に墜ち、軟弱者が英雄ともてはやされる」

 なんとも不公平ではないか。

「ラーファン、私は──」

「ああ、すまない。お前を責めている訳じゃないんだ」

 ただ、この世界は理不尽でまったく優しくない。お前だってなりたいものがあったのに、それを阻まれた。こんな世界は必要がないとは思わないか?

 淡々と語るラーファンの言葉に目を丸くする。彼は一体、何を言っているんだ。

「お前だってそう思うだろう?」

 同意を求めて肩をすくめる。けれど、ナシェリオはやはり胸中に抱いた疑念を払えず、昂然こうぜんと玉座に腰掛ける男に視線を送る。

「おいおい、まだ疑っているのか? 俺は正真正銘、お前の友人のラーファンだよ」

「この塔はなんだ?」

 それを素直に信じられるほどナシェリオは若くも純粋でもない。己を納得させようと一つ一つ、気になることを尋ねてゆく。

「もちろん、王の塔さ。美しいだろう。世界の支配者に相応しい」

「君に一体、何があった」

 狂気を感じたナシェリオは、無意識にそれを含んだ問いかけを口にしていた。ラーファンはたちまちに表情を険しくしナシェリオを睨みつける。

「お前にとっては唐突だろう。だが、俺にとっては永劫とも思える苦しみだった」

 数百年という長き年月、英雄となったお前を辛気くさい穴の底からどんな気持ちで眺めていたか解るまい。

「私は──っ」

「いいんだ。もう過ぎたことだからな。こうして俺は蘇ることが出来た。また昔のように力を貸してくれるよな?」

 記憶と同じ笑みに差し出された手を掴みかけた。しかれども、周囲の状況が彼の動きを押し留める。

「力を貸すとはどういうことなんだ。何故これだけの魔力マナを集めている」

 不安な面持ちのナシェリオを見上げ、ラーファンは鼻で笑うと両手を広げた。

「当然だ。この世界にマナはもう必要ない」

 質問の答えになっているようには思えず顔をしかめる。

 その様子から、ラーファンはかなり慎重に言葉を紡いでいることが窺える。彼は昔から、私に重要な事柄を話すときはとても言葉を選んでいた。

「どうして必要がないんだ」

 ナシェリオは、かつての友の瞳に宿る奥底の光に注意を払った。

「この世界はもうすぐ終わる。俺が終わらせる。そのために冥界から送り出されたんだからな」

 耳にした言葉にナシェリオは大きく目を見開き息を呑んだ。それが嘘ではないと解るほどにラーファンからはひしひしと敵意が伝わってくる。

「お前はいつも優しかった。意味もなく俺に逆らおうとするかもしれない」

 だから俺は待った。お前と同等の力を身につけるまで、ずっと冥界でお前を見ていた。そして肉体が馴染んだ頃に人のいないこの地に塔を建て、マナを吸収し続けていた。

「ハーフエルフのおかげで見つかってしまったが、もう充分だ」

「この世界を滅ぼすというのか」

 詰まる喉から振り絞る。先ほどまでとは違い、ラーファンから黒い霊気オーラが躊躇いもなく放たれていた。

「この世界は俺たちを受け入れなかった。俺は雑草のようにあしらわれ、むごたらしく殺された。したいことは何ひとつ出来ずにだ!」

 声を張り上げ怒りをあらわにする。彼の怒りはもっともかもしれない。恨み言の一つや二つ口にしたとしても、誰も文句は言えないだろう。

 けれど──

「だからといって、この世界まで巻き込む必要はないはずだ」

「どうしてそんなことが言える。こんなくずみたいな世界が俺を虫けらのように蹴散らしたんだぞ」

 治まらない怒りに語気は未だ荒くナシェリオを睨みつける。しかしすぐ、

「ああ……。お前は英雄になれたから不満はないんだったな。この世界がなくなればお前は英雄じゃなくなる」

「そんなことで言っているんじゃない」

「心配するな。お前は俺のもとでその力を使えばいい。二番目の支配者となれる」

 今よりもっと尊敬され、崇拝すらされるだろう。

「冥王は君の計画を知っているのか」

「これは冥王本人の計画だ」

 そんな馬鹿なと思いつつ、そうでなければラーファン一人にこれほどまでの事が成せるはずがないと心ならずも納得した。

「冥王の策略に乗ったというのか」

 多くの神々がこれまで語り継がれるなか、冥王は悪神として位置づけられてきた。

 元々は創世記の輝ける神々の一人であったが、力を求める心が闇を呼び込み冥府に墜ちたという。

 そのとき、冥府にはまだ統治する者はおらず、ただ死者の魂たちが通り過ぎるだけの世界だった。世界がまだ創られたばかりの頃には悪しきとする存在がいなかった事もあるのだが、墜ちた神が悪の始まりともされている。

 そうして墜ちた冥界を統べるようになり、冥王と呼ばれるようになった。それから冥府は彼の者の意識に引きずられるように遺恨を残した魂のみが墜ちて留まり、恨み言をつぶやき続ける暗き世界となったのだそうな。

 その顔は青白く、死者が動いているような不気味な姿に赤い瞳だけがぎらぎらと怒りに満ちている。

 凜とした美しい神は地の底に墜ちて姿を変貌させた。再び輝くために策を練れば練るほどに醜悪になってゆく。

「冥王ヴィテトエル──」

 神話の通りの者だっということか。神など本当にいるのだろうかと思ってはいた。目の前にラーファンがいなければ信じることは出来なかっただろう。

「冥王はずっと待っていた。この世界を手に入れる機会をな」

 必ずそれに足る存在が生まれるはずだ。ヴィテトエルは創世の神々の一人、それを予測出来ない訳がない。

「そこに君が現れたというのか」

「違うね」

 ──違う? では何故、彼はここにいる。

「俺は結局、お前の引き立て役でしかなかったのさ」

 溢れる憎しみの感情は未だ全てを把握出来ないナシェリオに向けられた。

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