*手綱の先

「報酬は」

 気持ちを切り替えるためかナシェリオはさしたる関心もなく問いかけた。

「村中かき集めてようやく二千ギレルほどを……」

「ガネカルに二千ギレル?」

 随分と安く見積もられたものだと口角を吊り上げる。現代の日本に例えるなら一ギレルはおよそ五十円ほどとなる。一ギレル硬貨は特殊合金製で錆び難い。

 二十ギレルは銀貨としてまとめられ、二百ギレルは金貨としてまとめられている。一ギレル以下はパレルで表され、一パレルはおよそ十円であり銅貨となっている。

 二千ギレルとなれば約十万円ほどと、確かに単独で魔獣に挑むにはいささか物足りなさを感じさせる。

「申し訳ない……。しかし、これが村にある全てなのです」

 小さな村に大金などあるはずもなく、硬貨に換えられるような品も時間もないとこうべを垂れる。

「私が不死だからという考えならば間違いだ」

「そのような考えなどあるはずが」

 ナシェリオは否定した古老に目を眇め視線を外す。その面差しには、彼の言葉をもとより信じていないと示されていた。

「死ぬような痛みに意識を失い、もがき苦しんでも死は訪れず。手足が吹き飛ばされてもまた生えてくる。それが人間と果たして言えるのか」

 唸るように低く発した言葉は重ねるにつれ、かすれて声を震わせる。これまでいかほどの苦痛に絶えてきたのだろうかとニサファは胸が締め付けられた。

 しかし、村を出てからもう三日が経つ。町を訪れたアウトローたちにはことごとく突っぱねられ、ニサファには後がなかった。

「どうかお願いいたします」

「他をあたれ」

 深々と下げたこうべに色のない言葉が浴びせられる。それでもニサファは懇々と説得を試みようと顔を上げた。

「それが出来れば無理など申しませぬ──ナシェリオ様!」

 遠ざかる英雄を呼び止めても振り返ることもない。これまでかと肩を落とし、ふらりと草原を歩き始めた。

 じきに夜の獣が徘徊する暗闇が訪れる。どうせ皆が助からないのなら、わたし一人が生きている事など出来はしない。きっと友は許してくれるだろう。

 強くなる風に逆らい、はためくローブを掴んで歩き続けた。そうして視界の端に何かの影を捉え、いよいよ最期かと覚悟を決める。

「村はこっちか」

 その声に驚き視線を送る先には、馬にまたがり並んで歩くナシェリオがこちらを見下ろしていた。

「どうして──」

 立ち止まり、馬から下りる英雄を凝視する。

「ここから遠いのか」

「一日はかかります」

 質問に答えないナシェリオにいぶかしげな表情を浮かべ、手綱たづなを引いて馬をしゃがませる彼の背中を見やった。

「よく馴らされておりますな。なんと見事な葦毛あしげか」

 灰色の馬を見たニサファが驚嘆する。艶やかな肌とたてがみは健康的で、引き締まった四肢は力強く地面を掴み風のように駆けゆく姿が脳裏に浮かぶ。

「馬の王からの贈り物だ」

 ナシェリオはニサファを馬の背に促し、しっかり乗った事を確認すると馬を立ち上がらせてその首をさする。その瞳がとても優しくてニサファは目を細めた。

「全ての馬の長である馬の王ともご友人とは恐れ入ります」

 神格化された馬の王の魂は代々、馬の王家の血筋に宿るとされている。馬の王は英雄と出会う度に姿を変えながらも、胸に響く声はそのままに馴染みの相手のごとくナシェリオに頭を下げ丁寧に挨拶を交わす。

 器となる王族の馬は皆素晴らしく、彼らは喉を震わせて英雄を讃えた。

「出会ったのは偶然だ」

 遠く記憶に埋もれそうなほどの昔、初めて出会った馬の王は彼に絶えることのない贈り物を約束した。

 秀でた仲間を止めどなく贈り続けると──馬の王の真意を計ることは出来ないが、その約束は今も破られておらず感謝と賞賛に値する。

 そうしてナシェリオは手綱を引き、ニサファと村に向かう。

 ひとまずの安堵にニサファは深く息を吐き出し、馬を引いてゆっくりと歩くナシェリオを見下ろした。優美に歩む姿を眺め、どうして彼の気が変わったのだろうかと思案する。

 しかれども結論は見い出せず、尋ねてみようかとも思慮したがどう問いかけても答えてくれるとは思えず諦めて星空を見上げた。

 不死といえども、それであの魔獣が倒せる訳ではない。ドラゴンを倒した英雄ならば、もしやという期待があった。

 ドラゴンに比べればガネカルなど子犬に等しいのではないか。それは、知らない者の甘い認識かもしれない。

 端金(はしたがね)で動いたとは思えない。今は村まで同行してくれてはいるけれど、やはり止めたと言い出されてもおかしくはない。

 ならば、この英雄の意気をさらに奮い立たせるにはどうすれば良いのだろうか。

「ナシェリオ様、もしお望みであれば村一番の気だての良い娘を──」

「村人を救いたいのだろう」

 これ以上の犠牲は必要あるのか。ささやくように発した言葉にニサファは強く瞼を閉じ、「ありがとうございます」と詰まる喉を震わせた。

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