◆二ノ章
*その灯火の救い
風が草花を撫でつけるように平野を足早に這いゆき、ざわざわと葉のこすれる音が駆け抜けてゆく。波音は途切れる事なく耳の奥にこだまし、ここが陸と海の交わる場所なのだとナシェリオは感慨にひたった。
「村の近くにある洞窟に魔獣が住み着き、村人を襲っているのです」
「村を捨てればいい」
重々しく口を開いたニサファに英雄とは思えない言葉を浴びせる。しかし、ニサファはそんな言葉にも動じずナシェリオを一瞥し話を続けた。
「やつは素早くどう猛で、村から逃げ出そうとした村人を襲って貪り喰いました」
そいつは村を餌場として村人を逃がさないつもりらしい、あまり心地の良い話ではない。
そして、そんな事をする魔獣といえば思い当たるのはごく限られた種だ。想像するに、今までの者たちが打ち破れたのは頷ける。
「魔獣の名は」
「ガネカルです」
やや躊躇ったあと紡がれた名にナシェリオは顔をしかめた。
それは、硬い毛と分厚い皮に覆われた獣──赤黒い体は獅子よりふた回りも大きく、突き出た口は強靱な顎と鋭い牙を備え無慈悲に獲物の骨をかみ砕く。鈍い紫の瞳は血に狂い、俊敏な動きと長い爪で生き物をことごとく引き裂いてゆくのだ。
通常の剣で傷を負わせる事はこのうえもなく困難であり、ましてや、単独で闘うとなると倒せるかどうか疑わしい。
稀に数匹でいる事があるが、基本的には一匹で縄張りを作って行動している。その性質は凶暴で、
引き受けたという者たちに驚きを隠せない、一人も戻って来なかったというのは頷ける。勝てないと見越して逃げた者もいるかもしれない。
「王都は遙か北東にあり、我々の村には転送の
移動魔法にはいくつかの種類がある。その中には特定の魔法円を描き、それを使用することにより遠い場所への瞬時の移動が可能となる。
しかし、それにはこちらと向こうにポータルがなければならず、
果たしてその手間のかかる作業を必要とする場所であるのかどうか。まずそこから考慮されるため、ポータルの設置は難しい問題ではある。
そして魔法使いの全てがそれを使えるというものではなく、やはりそれぞれの得意とするものがある。
「そんなものを私一人で倒せと?」
「貴方は
ニサファは英雄の両手にはめられている革製の
魔法はその強さと難易度に応じて集中力と詠唱時間が異なる。難易度が高ければ高いほど、精神力や
ナシェリオは彼の言葉に苦い表情を浮かべた。つたなかった魔法は今や、この世のほぼ全ての魔法を繰り出せるまでになっている。
しかし、ナシェリオはなるべくなら魔法は使いたくはなかった。
「それを使わせてくれる相手ならな」
弱い魔法であれば詠唱時間はほぼ無いに等しい。動きながらでも放てるだろう。だが、ガネカルはそれが通用する獣ではない。
仲間なりいるのなら詠唱時間を稼いでくれるかもしれないが、一人で旅をしているナシェリオには望み薄だ。
「どうやって村から出た」
それが解ればガネカルを倒さずとも少しの助けで救われるはず。
「幼き頃からの友を犠牲にしました」
告げられたものにナシェリオの心臓が大きく跳ねる。ニサファは驚いた様子の英雄を見やり、己の二の腕を強く掴む。その時の事を思い起こしているのか、眉を寄せ顔を伏せた。
「なまじ責任感の強い友でしたから、自分が囮になると」
ニサファの妻はすでに病で他界し、子供らも立派に成長した。もう思い残すことはない。助けを呼ぶなら自分しかいない、残っている若者を犠牲になど出来はしない。
友は、そんな彼の意思に感づいていた。共に生きた長き年月は、二人の間の言葉を不要としていた。
「わたしは、なんとかして助けを呼ぶために不可視の魔法を覚えようとしました。しかし、友はそんなわたしを諭したのです」
見えなくなったからといって魔獣の嗅覚まで誤魔化せると思うのか。お前の匂いなどすぐに嗅ぎ取られて死ぬのがおちだ。
「友は若き頃には腕の立つ狩人でした」
足腰の弱いお前が出ても犬死にだ。俺が奴を引き付けておいてやるから、その間に弱った足を力の限り動かせ──!
「ふ、ふ……。手入れすらしていなかった狩りの道具など持ち出したりして」
馬鹿な奴だと口元を吊り上げ歯を食いしばる。
「ようやく覚えた魔法は、ほんの短い間にしか効果を示さず。それがわたしの限界だったのです。なんと情けないことか!」
詰まる声を振り絞り、悔しさに強く瞼を閉じる。魔法は人が持つ資質と、内包する
資質のみを有する者は補助となるマナを蓄えたアミュレットなどを常に持ち歩いている。すなわち、資質が無ければいくらマナを内包していようとも魔法を駆使する事は適わない。
資質を持つ者は人間全体で見れば多くはない。故に、選ばれし者と言える。
「わたしは、友の命によってここにいるのです。どうか、どうか。友の命を生きるわたしをお救いください。村に住む人々と、我が子と孫をお救いください」
その悲痛な訴えにナシェリオは強く拳を握る。冷たくなってゆく四肢に、過去の罪を償えとでも言うのかと顔を歪ませた。
不死という罰を与えられて尚、赦しはないのか。
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