*狂いの象徴
ラーファンは複雑な色を見せているナシェリオの瞳を注意深く窺う。
冥府に墜ちた俺が、どれほどお前を憎らしく思っていたことか。英雄になるのは俺だったはずなのにと、暗く陰気な深淵からふつふつと憎しみをたぎらせていた。
憎しみの強さは取り込める闇の許容を大きくする。冥王は底知れぬラーファンの闇に気づき、甘い言葉を
「俺は冥王の目に敵ったという訳さ。随分と回り道をしたがお前とドラゴンのおかげで、ようやく俺は満足に足る力を得ることが出来た」
「そんな力が、満足だと?」
何かを傷つけるだけでしかないそんな力が満足だというのか。
「怒っているのか? お前だってこの世界の無情さには呆れているだろうに」
「この世界は無慈悲かもしれない。だけれど、それだけではないことを私は知っている」
あらゆる存在を残酷だとすることは出来ない。美しい風景に心揺さぶられ、多くのものには紛れもない優しさがある。それをどうして負の言葉で一つにまとめられようか。
「君が創ろうとしている世界は──全ての者が幸福になれるのか」
「当然だ。俺がそう望むのだからな」
「冥王の下でそれが本当に適うと? 妬みから闇を受け入れた君がそれを成せると!?」
摂理を無視した世界に秩序は存在し得るのか。秩序なくして平穏は果たして在るのか。
「全ての者が幸福になれる世界は理想だ。そう願うことは悪じゃない」
けれど、そのために今の存在を消し去ることは間違っている。
「私は、それを許せるほどには世界を憎んじゃいない」
「は、まったくお前は少しも成長しないな。もう少し大人になれよ」
この世界の奴らは、どこかでひっきりなしに争いを繰り返しているんだぞ。
「旅の途中で出会った逃亡兵を覚えているか。あんなことが今でもどこかで行われているんだ」
あんな奴らがのさばる世界などに欠片ほどの価値があると思うのか。弱き者をことごとく蹴散らすこの世に何の魅力があるというんだ。
「それでも、間違っている」
私が正しいのかは解らない。あるいは、君が正しいのかもしれない。それでも私は、君を止めなければと心に沸き立つ衝動に従う。
ナシェリオは怒りを
「もう少し利口だと思っていたんだがな。お前がそこまで愚かだとは思わなかった」
完膚無きまでに叩き伏せ、俺の足元にひざまづかせてやる。そして闇を注ぎ込み、冥王が求めた本来のお前にしてやろう。
「いいのか?」
「なに?」
「そうすれば私は君を超えてしまうぞ」
「ふ、ふざけるな!」
逆なでされ怒りに剣を振り下ろす。
「お前は何匹のドラゴンを喰った。それでもまだ人だというのか?」
いつまでそんなものにすがりついているつもりだ。
「黙れ」
「人であり続けたいと思うなら、お前は俺には勝てない」
「……黙れ」
「人間に何の価値がある!?」
薄汚く惨めで愚かな、地面を這い回る虫けらどもだ。あんな奴らの仲間だったことがどれほど恥であったのか。
「──っ黙れ!」
ラーファンの剣を薙ぎ払い数歩後ずさる。荒い息を整えながら眼前の友を睨みつけた。
「人でいたくて強力な魔法も避けていたくせに」
湧き出る力を抑えようと抗えば抗うほどに体内でそれは荒れ狂う。解放してしまえば楽になる。しかしそれは、人でなくなるという事に他ならない。
「俺に従えば、お前はそのままでいさせてやるよ」
旧世界の神として生きればいい。苦しいなら俺が抑えてやる。そんなラーファンの甘言は少なからずナシェリオの心を揺るがせた。
人のままでいられるのなら、私はそれだけでいい。けれど、私はどうしてそこまで人でいようとしている。この期に及んでも私は何故。
そして解っているのだ。
「それが、赦されるはずもなし──っ」
「ならば叩き伏せるまで!」
「ぐっ!? ──っう」
剣を大きく弾かれ、エネルギーの渦と共に壁際まで飛ばされる。踏ん張っていた足が床を削りそれが煙となって舞い、ナシェリオの姿を隠した。
「解るだろう? お前は俺には勝てない」
強調するように、勝ち誇ったように左の拳を強く握る。そうだ、こいつは軟弱者だ、俺に勝てるはずがない。
「お前は昔のように俺に従っていればいいんだ!」
そう叫んだとき、全身に圧を感じてナシェリオがいるであろう位置に目を凝らす。未だ煙の舞う場所から地響きがし、二つの黄金色の輝きが現れた。
──エスティエルはふと、空を仰ぐ。
「大地が震えている。目覚めたのね」
かつての友と真に闘うことを選んだ彼の選択に、エスティエルは強く瞼を閉じ祈るように幾度か深く呼吸した。
彼が覚醒し真実、英雄として歩むことを望んでいたけれど、それは彼が最後まで握りしめていた人としての僅かな欠片をも捨てさせることになる。
そうでなければ勝つことは困難であるが故の希求ではあったがしかし、そうさせた事は心持ち気が咎めた。
いま、彼女が望むことは、英雄が勝ち世界が救われることだ。
──ラーファンは煙をまといながら姿を現したナシェリオに息を呑み、口元を緩ませる。
「はっはあ! とうとうだなナシェリオ! 英雄がドラゴンになるとは、それではもうこの世界にいることは出来ない。さあ、俺と共に新しい世界を支配しようじゃないか」
金色の瞳を輝かせるナシェリオに歓喜し再度、手を差し伸べる。しかし今度は躊躇う様子を微塵も見せず、ラーファンをしっかりと見据えた。
「そんなことをするくらいならば、私は初めから誰かの願いを聞いたりはしない」
「なんだと?」
「己の罪を償おうとはしない」
「そんな成りでまだ俺に従わないというのか。お前はもはや、人から迫害される身なんだぞ」
お前の本当の姿はもう人じゃない、ドラゴンだ。それがどういうことか解るだろう。お前は倒すべき対象となったんだぞ!
「それが私の罰というのなら」
私は傷つき続けることを選ぶ。どちらの姿が本当かなど、君が決めることじゃない。
「あくまでも自分は人だというつもりか」
人間などになんの価値がある。くだらない生き物じゃないか。
「この世界は生きることを赦してくれている。それだけは揺るぎのない、この世の
全ての存在は生きることを赦されている。しかれど、そのなかで生きるものたちはその理のもとに各々の生きる場所を得ようと闘いを続けてゆく。
必要だとか価値だとか、そんなものじゃない。それを決めるのはこの世界に住む我々なのだ。我々はこの世界で生きるものの一つに過ぎない。
だからこそ──
「君は、何かを赦したことがあるのか!」
その許容を広げたことはあるのか。君の優しさは、この世界を何一つ受け入れはしなかったじゃないか。
「うるさい!」
交える剣は火花を散らし、互いのエネルギーがぶつかりせめぎ合う。大陸全体が小刻みに震え、あちらこちらで地に亀裂が走った。
周囲に稲妻がほとばしり、二人の力が激しく衝突し空間は悲鳴を上げる。耳をつんざく甲高い音が塔の外にまで広く響き渡り、上空の雲は嵐のごとく渦を巻いた。
「これ、は……」
ナシェリオの力はラーファンが目算していたものより大きかったのか、徐々に押され始める。
ラーファンが力を強めればナシェリオはさらに強い力で対抗し、薄暗かった塔の内部はその輝きで遙か上の天井を照らすほどだ。
「お前は──これほどの力を持ちながらどうして!」
「それは私の望んだものじゃない!」
必要とした者ならば喜びもしただろう。けれども、これは私の求めたものじゃない。
私はただ──
「ただ、世界を巡りたかっただけだ」
本当は、父や母のように自分の足で世界を見て回りたかったんだ。だが、君と一緒には無理だった。
「君は世界を歩くには優しすぎた」
私は両親がそうしたように、村を守らなければならなかった。そう思っていたけれど、本当は私の意識が外に出ることを拒んでいたのだ。
「外に出ればどうなるか、ドラゴンの件がまざまざと知らしめた」
それでも、あの村にはいられなかった。
レイアの気持ちにも気付いてやれず、大切な友を救うことも出来ず、父と母を死なせ、全ての命は私の手からこぼれ落ちてゆく。
──私は罪ばかりだ。
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