*口火の序次
ナシェリオは表情を険しくし、揺るぎなく視線を向ける女を見上げた。人でいえば二十代後半とも見て取れるがハーフエルフならば数百歳でもおかしくはない。
ハーフエルフには寿命があるとはいえ、人とは比べものにならないほどに長い生命を持つ。成長もそれに合わせて緩やかだ。
「エスティエル。私に何の用だ」
再度、ゆうるり尋ねる。許可もなく図々しくも部屋に上がり込んだ相手が女であっても、ナシェリオは構うことなく鋭く睨みつけた。
彼にとっては等しく人である事に違いはなく、それ以上の感情を持ち合わせてやる優しさも無い。
「わたしはあなたを見定めにきた」
繰り返された言葉に眉間の
「父はあなたを信じているようだけれど、わたしは父とは違っている」
「理由あってのことか」
本人の意思など関係なく進められている事柄に、あまり良い気分にはなれない。今更、過去の英雄になんの用だというのだ。
「当然でしょう。父はこの世界を研究している学者だけれど、先を見通す能力にかけてはわたしに劣る」
「私が何かに関係していると?」
「あなたが必要か否か。それに足る者か否か」
「それでどうする」
それに対する説明をするつもりはないらしい。女はナシェリオと心なし目を合わせただけで話しを続けた。
「わたしはこの幾月かあなたを見てきました」
「悪趣味だな」
「そうやって冷たく接するのは、少しでも己が幸福を感じることに怯えているためでしょう?」
つむがれたものにナシェリオはびくりと体を強ばらせた。
「あなたの内にふつふつと湧き上がるのは、己に対する怒りと自責の念」
わたしはあなたを古きより知っている。
その言葉で彼女が人より多くの歳を経ている事が解る。ナシェリオが英雄と呼ばれ始めた頃ならば、事実を知り得る事が出来たからだ。
彼女がナシェリオについて知ったきっかけは偶然かもしれない。しかし、興味が湧きさえすればその経緯を辿る事は可能だっただろう。
真実さえ解ればそれで終わりだったものが、ここ幾月かで何かを感じ取り再びナシェリオに目を向けた。
「全ては世のせいだと憎むことも出来たでしょうに、あなたは己の責だと受け入れた」
「当然だ。私は止められたはずなのだから」
それに他者を挟む余地などあるものか。初めて人の声として耳にしたものに震える手を押さえて平静を装う。
されど、それはこの期に及んで誰かに述べられたとて
「だからこそ、あなたは英雄と呼ばれるようになった」
「違う」
そんな単純なものじゃない。
「あなたは英雄になるべくしてなされた者です」
「そんなはずはない」
英雄となるのは私ではなかったはずだ。
「自らの価値に気付かなかったからこそ、その胸の内にある衝動を抑え込んでしまったからこそ、あの運命にならざるを得なくなったと何故、わからないのです」
「……黙れ」
もううんざりだ。私をもてはやすのはやめろ。
「例えあなたが望んでいなくとも、あなたはその器を有してしまった」
否定し、拒絶を続けた結果がこうなったとはどうして思わないのです。
「黙れと言っている」
「あなたを苦しめているものこそが天意だとしたら──」
「黙れ!!」
脇にある剣を抜き、薙ぎ払うように走らせた刃は透けてゆく女の姿を捉えることは適わなかった。
「よく考えて──その力はあなただけのものじゃない」
響く声に顔を歪ませ頭を抱える。
「いい加減にしろ」
もう充分だろう。これ以上、私を振り回すな。求めてもいないものを与えられ、望んでもいない流れに投げ込まれる者の苦しみを誰が解ってくれるというのか。
「あなたが認めさえすれば楽になれるものでしょう?」
「──っうるさい」
傷をえぐるような言葉は脳裏にこだまして、切っ先を床に突き立て疲れ果てたようにうなだれる。
あの旅の全てが酷いものではなかったのは確かだ。しかし、あんな結末では何もかもが残酷な記憶でしかない。
†††
ラーファンはその通り、ドラゴン退治の事を告げ村人たちに盛大に見送らせた。そんななかで彼の両親は周囲の声援に萎縮し、止める術を無くしてただ息子を見つめている。
村から騎士が出るとなれば、それは大いなる誇りとなる。それだけでなく、村に何かあれば優先して王都は動いてくれるだろう。
もちろん、英雄が生まれても同じ事が言える。
ナシェリオは彼のお供として考えられていたに過ぎず、期待はラーファンにのみ一心に向けられていた。
二頭の馬に荷物を積み、二人はそれぞれにまたがって見送る村人たちを見渡す。
「待っていてくれ。必ず手柄を立ててくるぞ!」
「ラーファン!」
一段と高まる声に息子を思いやる両親の姿は埋もれてゆく。ナシェリオはそんな二人に胸を痛めつつ、勇みよく目的の場所に向かうラーファンの後を追った。
ナシェリオは外に出ないとは言っても村の周囲くらいは探索している。あの辺りには切り傷に効く薬草がよく生えていた。あの小川でよく釣りをした。あの林には小さな彫刻に向いている木が多い──村から遠ざかるにつれ、ささいな思い出が蘇る。
私は無事ここに戻ってくる事が出来るのだろうか。いや、せめてラーファンだけでも両親の元に帰さなければ。
「ラーファン」
「なんだ?」
「両親にはちゃんと……」
「ああ、もちろん。ドラゴンを倒して帰ってくるから待ってろって言った」
胸を張るラーファンに小さく溜息を吐く。
「いいから聞けよ。俺たちが倒すのはここから東に五日ほど行った洞窟にいるドラゴンだ。身の丈はでかいが随分と細い奴らしい」
倒せそうだろう? ラーファンは笑って言うが、ドラゴンを見た目だけで判断するのは危険な事くらいナシェリオは知っている。
「それまでの道程も油断してはだめだ」
「解ってるって」
彼は西の地は全て村の周囲と似たようなものだと考えているのだろう。でなければあのとき、わずかな違和感にも気がついたはずだ。
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