*凍える大地
エスティエルとの話のあとナシェリオは草原で鹿を狩り、さばいた肉を馬に提げて近くの岩山に向かった。
その肉を比較的拓けた山の中腹あたりにばらまき、馬を放して距離をとるようにと指示をする。馬は言葉を理解したのか、そのようにした。
充分に馬が離れたことを確認し岩陰に身を隠す。しばらく息を潜めていると、頭上から強いはばたきの音が聞こえ大きな影が降りてきた。
気付かれないようにそっと覗き込む。そこには、全身が赤黒く分厚い皮に覆われた生き物が生肉を貪っていた。爬虫類にも似ているが前足はなく、そこには一対のコウモリに似た翼が伸びている。
長い尾まで入れるとナシェリオの三倍はあるだろうか。
注意すべきは鋭い牙と強靱で柔軟な尾にある毒針だろうか、それをしのげば兵士の数人もいれば捕らえられるモンスターではある。
調教されたワイバーンは希少ながらも、王都には十数匹程度が飼い慣らされている。調教は特別な技能を身につけた調教師でなければ飼い慣らす事は出来ず、調教されているからといって乗り心地がよい訳でもなく優秀な乗り手を必要とする。
ナシェリオは餌に夢中になっているワイバーンの前に姿を現し、それに驚いた刹那に右手を突き出した。
張り詰める緊張感のなか、甲高いワイバーンの
威嚇を続けるワイバーンに怯むことなくナシェリオは突きだした手に力を込める。
「私に従え」
口の中でつぶやき、瞳を険しくした。力比べでもしているかのごとく互いに見合い、ナシェリオの目が金色の輝きを放ち始める。
そうして睨み合いはしばらく続き、ワイバーンは根負けしたのか今にも襲いかかるほどであった勢いは治まり、まるで子犬のようにナシェリオの胸に鼻先をすりつけた。
ナシェリオはその頭を撫でながら汗の滲む額を拭い小さく溜息を吐くと、用意していた翼竜用の装具を馬の鞍袋から取り出した。
慣れない作業に苦戦しつつもどうにか装着を終えてひと息吐き、次に馬の鞍を外し始める。
「お前で何代目かな」
馬の首をさすり、穏やかな眼差しに笑みで応えた。ソーズワースの名は次の馬に受け継がれ、それは今も続いている。
馬が年老うと、どこともなく若い馬が現れる。そうして年老いた馬が別れを告げるように顔をすり寄せ遠ざかる姿にもの悲しさを覚えるも、馬たちの決めたことなら従う他はない。
彼らは決して、ナシェリオと共に過ごした事を後悔もしていなければ不満もない。それは接していればこそ解るものだ。
途中で命を落としてしまう馬もいたが、彼らは等しくナシェリオに敬意を払っていた。
「すまないな、いつ戻れるか解らないんだ」
もしかすると、もう戻ることは適わないかもしれない。全ての馬具を外し、馬の尻を叩く。
「行け」
名残惜しむように度々振り返る馬を手を振って追い払う仕草をした。そうして
手綱を引くとワイバーンは翼を大きくはばたかせ、周囲の草を激しく揺らし土埃を上げてゆっくりと上昇していく。安定したことを確認すると、ナシェリオは頭を北に向けた。
風のように進む翼竜から、今し方まで共に旅をした馬を見下ろす。どうか、これからのソーズワースに充実した生き方をと願い、凍える大地に最も近い場所を目指した。
──ナシェリオは、荒れ狂う波の向こうに横たわる巨大な黒い影を見据える。
凍える大陸ヒュプニクスを最も近くに捉えることの出来る場所から、視界に入る全てを窺うようにゆっくりと見渡した。
この潮の流れでは、あちらにたどり着ける可能性は限りなく低い。空は気流が激しく乱れているが、その風を読むことが出来れば上陸は可能なはずだ。
それが困難な道程だということは解っている。しかし、海から渡るよりは幾らかはましだ。
エスティエルの言葉は間違いだと思いたい。考えていてもどうにもならないのだから、行って確かめるしかない。
ナシェリオは再びワイバーンの背に乗り、意を決して空に舞い上がった。ヒュプニクスに近づくにつれ、気流は渦を巻くように激しくなってゆく。
上下左右の感覚はすでになく、強風に煽られるように一気に高くまで登る。己の勘を頼りに風の流れを読みながら陸地はまだかと目を凝らす。
いつ突然の強風で落下するか解らない。下が地面なら例え落ちたとしても目的は達成されると、死ぬ事のない己を自嘲するように口角を吊り上げた。
しばらく気流のなかを突き進んでいると突然、眼前に白い大地が姿を現した。集中して忘れていた肌に冷たい空気が触れる。
あれほど激しかった気流はナシェリオの上空にあり、嘘のように静かな景色が広がっていた。
初めて見る大地に関心をしながらもふと、突き刺さるように高くそびえる黒い塔に眉を寄せる。黒曜石ででも出来ているのだろうか、厚い雲の隙間から差し込む陽射しを照り返している。
それは禍々しく大地から突き出し、まるで世界に
塔そのものからは、ずしりと重たい威圧的な何かが放たれているようにも感じられ、中には何が待ちかまえているのだろうかと重厚な二枚扉を前に強く踏みしめた。
腕を伸ばすと扉は驚くほど軽く開き、唸るようなきしみを上げる。中はがらんどうで、天井は頂上まで伸びているのか暗く果てが見えない。
見渡すと奥に玉座らしきものが見えた。塔と同じ素材で造られているのか、漆黒の玉座はこの広い空間にも充分な存在感を与えていた。
否、その存在感を与えているのは玉座だけではない。そこに座している者のそれが、さらに異様な
「遅かったじゃないか」
近づくナシェリオに少しも臆することもなく、低い男の声はやや嬉しそうに発した。
「──ラーファン」
余裕の笑みを浮かべる男を、ナシェリオは我が目を疑うようにじっと見つめた。
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