*かくて由あり

 ガネカルを倒し十日ほど馬を走らせると比較的大きな街にたどり着いた。モンスターなどに対する防備だろうか、街はやや高台に作られており一定の距離に監視塔がぐるりと建てられている。

 ナシェリオは街の始まりを示す石の門を見上げて馬から下り、マントのフードを目深に被り馬の手綱を引きながら人混みを歩く。

 この街は十数年振りだろうか、当時と変わらず商店が多く活気に満ちている。時折すれ違う幾人かは、フードから垣間見えたナシェリオの顔に振り返っていた。

「そこの旅人」

 ふいに女の声に呼び止められ視線を向ける。声の主は見たところ占い師だろうか、青い布がかけられた小さなテーブルの前に腰掛け、女の小さな頭ほどもある透明の水晶球が赤いミニクッションに乗せられていた。

 青みのある灰色のドレスは高級な生地で作られているのか、女が腕を動かす度に大きく開いた袖口が上品に揺れる。

 女はナシェリオがこちらに気付いた事を確認すると、うっすらと笑みを浮かべた。

 黒いヴェールは頭をすっぽりと覆い、詳細な表情までは窺い知れないものの緩いウェーブのかかった黒髪は長く、ちらりと覗く紫の瞳には神秘性が見て取れる。

「麗しい旅人よ」

 ナシェリオは再びの呼びかけにも近づくことなくいぶかしげに女を見やった。周囲の雑踏と彼ら二人との間には分厚い壁でもあるかのように、ナシェリオは酷い違和感に包まれた。

「世捨て人となるにはまだ早い」

 唇の動きと呼応するように頭に響く声に片目を眇め、手綱を持つ手に力がこもる。そうだ、この雑多のなかにおいて馬の背丈ほども離れている距離で女は声を張り上げることもなく呼び止めた。

 ナシェリオはゆっくりと近づき占い師を見下ろす。女はそれに動じることもなく、水晶にかざした右手を愛おしげに流した。

「貴方の瞳はとても深い海のように揺らぎ、曇り空のように鈍く光を映し、引き裂かれるその哀しみに身を委ねている」

「──っ」

 全てを見透かしたような口振りに嫌悪を募らせ、苦い記憶に胸の痛みを呼び覚ます。あの出来事を知っているはずがない。

 なのに、どうしてこの女は私にそんな瞳を向けるのか。

「あなたはこの世に善き者か否か」

 わたしはそれを見定めなければならない。静かに見上げる瞳に心を覗かれる感覚を覚え整った面持ちを苦痛に歪める。

「──黙れ」

 未だナシェリオを苦しめる記憶に息を切らせ、かろうじて手に持つ手綱が彼の体を支えていた。

「行く末に幸あらんことを──」

 その刹那、体は軽くなり目の前にいたはずの女の姿は痕跡すらも見あたらなくなっていた。幻覚だったのだろうかと額の汗を拭い、ふと左手の小指に見慣れない指輪がはめられている事に気がつく。

「これは……」

 女の瞳と同じ色をした宝石が静かにナシェリオを映し出していた。

 考えても仕方がないと気持ちを切り替えて宿を探し、宛がわれた部屋を見渡して溜息を吐きつつ疲れたようにベッドに腰を落とす。

 ニサファを思い起こし自分の人の良さにつくづくだと呆れて横たわった。

「そうでなければ、あなたはすでにこの世の驚異となっているでしょうね」

 突如、透き通るような声と共に眼前に現れた幻影に上半身を起こし顔をしかめる。

「先ほどの占い師か」

 それは徐々に実体化してゆき、窓から差し込む陽の光に影を作り出した。ナシェリオは小指にはめられている新たな指輪を一瞥し、女の顔を見上げた。

 黒いヴェールは取り払われ、華やかではないものの充分に異性を引き付ける静かな美貌には感情があまり見られない。

 全身を包んでいるドレスはシンプルながらも女の神秘性を強調するようにしなやかに裾を揺らしていた。

 しかしナシェリオはその風貌に怪訝な視線を送った。

「ハーフエルフか」

 どうりで不思議な力があるはずだ。エルフは美しくすらりとした容姿と尖った耳が特徴だが、彼女の耳はエルフよりもやや丸みを帯びており、エルフとは違った存在感をまとっていた。

 エルフは人間よりも太古の昔から存在し、この世界を支配してきた種族の一つだ。彼らはとても美しく永遠の生命と強靱な肉体、不可思議な力を持っている。

 ラーファンはよく「エルフはずるい」と言っていた。美しさも強さも、永遠の命まで持っているなんてエルフはなんてずるいんだ。それに引き替え俺たち人間のなんと脆弱ぜいじゃくなことか。

 彼はよくそう述べて立腹していたが、世界が形作られた頃に必要だった種族に過ぎないのではないかと私は考えていた。

 エルフ族は全盛期に比べて著しく数を減らしている。永遠の命なれど、決して死からは逃れられないのだ。

 穏やかな感情は人間ほどの豊かさもなく目の前が見えなくなるほどの強い欲望もない。古から続く種族はしかし、変化に対して著しく弱い。

 人が現在、これほどの繁栄を見せているのは世界の変化に対応してきた事によるものだ。人は今や、数を減らしている種族の隙間を埋めるかのように増え続けている。

 その中で、エルフは人との間に子をもうける事が出来た。互いに愛し合える種族であることはそれで証明された。しかし、両方の血が混じった子らはどちらからも忌み嫌われる存在となってしまう。

 エルフのように永遠の命もなければ不思議な力も制限されているというのに、他の血が混じっているというだけで忌み子として扱われるのはいささか悩ましい事だ。

 無論、全てのハーフエルフが不遇という訳ではないだろう。それでもなお、大半のハーフエルフは己の正体を隠して生活しているという。

「私に何の用だ」

 女は軽く睨みつけるナシェリオから視線を外し、形の良い自分の指を見つめる。

「わたしは北のエルフが父アナケスと森の民ロロネルの子、エスティエルと申します」

 おもむろに名を名乗り威圧的な目を向けた。その堂々たる姿は自らの存在を誇りとしている者のそれであり、揺るぎのない信念に基づくものに他ならない。

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