*流される血の理由
世界は今でこそ落ち着いているが、数千年前までは混沌としていた。それまでは多くの民族が
各地で領土争いが繰り広げられ、数百年続いた先の大戦でようやくの決着を見せた。長らくの大戦で多くの者が命を落とし、淘汰され世界は再び落ち着きを取り戻した。
この世界は大小いくつかの大陸と小さな多くの島々からなり、それらを囲む海を通じて交流がなされている。その中で、最も大きな大陸の東の地に王都メナ・アラシエスが築かれていた。
各地に住む民族はそれぞれに王や女王を据え、メナ・アラシエスは人間種族を統括する役目にある聖王が住まう最も大きな都市だ。
街を見下ろすように建てられた聖王の城は大陽の輝きにも負けぬほどに美しく荘厳でその眺めは人であることが誇らしく思える事だろう。
ナシェリオの両親は大陸の北を住処とする民族の出身で闘いや狩りに長け、多くの渡り戦士や名のある騎士を生み出している。彼の両親も共に
ナシェリオがこの村で少し浮いていたのは両親が遠い地の者だったという理由に他ならない。
ラーファンはその血を受け継ぐナシェリオに期待していたのかもしれないが、なまじ闘えた事によって死んだ両親を思えば、その期待はナシェリオには酷な事でしかない。
小さな集落というものが閉鎖的であるのは珍しいものではなく。村は遠方からの新しい仲間に敬遠し、二人はなかなか馴染む事が出来なかった。
それでも、子の事を思えば出来る限りを尽くしていたのだろう。故郷に帰るにその旅路を思えばナシェリオはまだ幼すぎた。
成長し言葉が解るようになってきたナシェリオに二人はこの世界の話をよく聞かせた。優しいだけではない世の中、生き抜く術、武器とはどういうものか──そんな物語や知識をナシェリオはいつも嬉しそうに聞き入っていた。
そうしてナシェリオがまだ九つほどの頃、村の近くに獣が現れた。そいつは何かと闘ったのか、手負いで気が立っていた。
本来は村などの集落は襲わないはずのその獣が次々と村人を襲い始めた。戦う術を持たない人々は逃げまどうしかなく、ナシェリオの両親は村人たちを守るため獣に立ちはだかった。二人には魔法の資質はなく、その腕だけでこの世を生き抜いてきた。
全ての村人が家にこもれば獣の過ぎ去るを待つだけで事は足りた。されども、気が動転しあわてふためく人々の耳にそんな言葉は聞こえはしない。
とにかくも言い聞かせられる者を家にこもらせ、最後に自分たちが戻るはずだった。しかし獣は狂ったように動くもの全てに反応し、二人は逃げ遅れた村人を助けたがために、ついには命を落とした。
油断が死を招いたのだと言われればそうだろう。だけれども、彼らの言葉に村の人たちが従っていれば両親が死ぬことがなかったのもまた事実だ。
あのとき、ナシェリオは窓から二人が命を落とす瞬間をその目で見ていた。獣の牙に倒れた二人を視界に捉えたとき、足元から冷たい何かが這い上がり心臓を強く掴んだ。
命は無感情に、無慈悲に摘み取られてゆく。そこに何があるかなど、この世界は考えはしないのだ。ただ結果だけが虚しく転がっている。
二人の亡骸を前に、ナシェリオは叫べばいいのか怒ればいいのか解らなかった。それでも、頬をつたい落ちる雫にようやく自分は哀しめばいいのだと静かに涙を流した。
村人たちは二人に感謝し、残されたナシェリオには出来る限りの助けをすると約束した。遺体は高台に埋められて今でも石の墓標があるのだろう。
ナシェリオは二人の墓に数度ほど顔を見せたが、湧き上がるやりきれない感情に訪れる事をぷつりと止めてしまった。
誰かが悪い訳じゃない。誰かを責めたい訳じゃない。二人がそれを望んでいない事も充分に解っている。だから、悲しい記憶を呼び覚ます場所へは行かない。胸の中にある記憶だけを閉じこめておこうと決めたのだ。
彼らは元々、
彼らのためにも私は誠実でいなければならない。二人が教えた優しくない世界は、誰をも憎まずにいられる術を説いたものだと、ナシェリオはそう考えていた。
それからしばらくして、同い年のラーファンがうちに尋ねてくるようになった。初めは孤独になったナシェリオのためにと、彼の両親がラーファンを寄こしていたのだろう。
次第に二人はうち解けあい、成人してからも仲良くしていた。
「じゃあまたな」
野菜を届けに来たラーファンは、ナシェリオの仕事の邪魔はしないようにと家族から言いつけられているのか、やや不満げに帰ってゆく。その背中を見送ったナシェリオはどうにも仕事をする気にはなれず溜息を重ねた。
どう話そうとも、きっとラーファンには通じない。彼の視点は常に自分を中心としているのだ、他人からの視点など想像は出来ないのだろう。
わだかまりを抱いた心のままでは細かい作業をこなす事は難しい。幾度めかの溜息を吐いたあと裏口に向かい、庭に立てかけている練習用の剣を手にした。刃もなく質素なそれは、練習用であるには充分な重さと長さがあればいい。
裏庭には彫刻や細工に使う木材が囲いに沿っていくつか積まれており、料理に使用するハーブも何種類か植えられている。
ナシェリオは静かに目を閉じ、ゆっくりと呼吸を整えてゆく。剣の重さと周囲の大気を確認したあと、目を見開いて剣を振り下ろす。
それは切るような鋭さもなく、風のような素早さもない。しかしその動きは留まる事なく展開され、流れるように振る舞われる姿はまるで踊っているかのごとく優雅に美しい。
そんな動きでも体力を使うのか、ナシェリオの額にはじわりと汗が
ふいに手を叩く音がして動きを止める。振り向くとネルオルセユルが堂々とした拍手を送りながら歩いてきた。
「まさかこんな辺境の地で見事な剣舞が見られるとは」
「何かご用ですか」
親しみを込めた笑みに眉を寄せて返す。
「腕のいい細工師はいないかと訊いたらあんたを紹介された」
ナシェリオを手で示した。
「それで?」
「パイプが欲しい。ここに来る途中で壊れてしまった」
肩をすくめる渡り戦士に軽い睨みを利かせ、荒い息を整えると剣を立てかけて家の中に促した。
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