【書籍化記念SS】第6章挿話 タウリスの芸妓の美しいところ

 肉にやいばを突き立てた時の感触が、手から消えない。


 エルナーズは、タウリス城の自室の寝台の上でうつ伏せになり、背中から掛け布団をかぶって震えていた。


 初めて人を刺した。あんなに深く刺さったのだから、あの兵士はきっと死んだだろう。


 軍属になってからすでに三年が経つが、その間戦闘行為に関わったことはなかった。一生ないと思っていた。軍属といっても十神剣は神官で、前線に出るのはもともと騎士のナーヒドと戦士のサヴァシュだけのはずだった。少なくとも元はタウリスの花街の出身であるエルナーズは、儀式以外で神剣を抜くことはないはずだったのだ。


 めったに姿を見せることのない翡翠色の剣が、エルナーズが抜いてから初めて血に濡れた。


 殺してしまった。


 顔も名前も知らないどころか、斬らなければこっちが斬られるかもしれない敵兵だった。けれど、今、また新たな形式の地獄の口の中に放り出されたのを感じる。


 扉を叩く音が聞こえてきた。誰か訪ねてきたのだろうか。


 人間と口を利くのが恐ろしくて、何と答えようか悩んだ。


 一呼吸置かれた。


「おい、エル」


 声の主は、ナーヒドだった。


「起きているか?」


 いつの間にタウリスに入ってきたのだろう。行動が早すぎる。有能であることに腹が立つ。


 十神剣で一番うるさい奴だ。一番物事の情緒を解さない男である。しかもいつも軍人としての何たるかという心構えを振りかざす。今のエルナーズの恐怖などけして理解してくれないだろう。


 彼は、人を殺すことに慣れた人間だ。

 今のエルナーズに何も言ってほしくない。


「……反応がないな。寝ているのか?」


 するとこんな声も聞こえてきた。


「ほっといてやれや。初めてドンパチの中に置かれて疲れてるんだろうよ」


 バハルの声だ。どうやらナーヒドと行動をともにしているらしい。


「だってエルだぞ。無茶だったんだろ」


 それはそれでもやもやする。

 彼は思いやりのつもりかもしれないが、癪に障る。

 侮られているように感じる。


「エルに軍神様らしい態度は求めないでやれよな」


 ユングヴィは、軍神として戦った。

 エルナーズは、軍神として戦えない。


 確かにそのとおりだ。無茶だ。無理がある。軍神として戦うことを肯定的に捉えることができない。軍人として規範になることはできない。


 でも、ここで舞台から降ろされるのも嫌だ。

 十神剣でありながら十神剣として扱われないのも、なんだかかっこ悪い。


 エルナーズの堪忍袋の緒を切ったのは、ナーヒドのこんな言葉だった。


「おびえているのか。しょせんエルだから仕方がないということだな」


 エルナーズは寝台の上で上半身を起こした。掛け布団を払い除け、寝台をおり、部屋の壁に立てかけておいたウードを手に取った。


 扉を開けると、ナーヒドとバハルは立ち去ろうと思ったらしく、廊下の奥に向かって踏み出していたところだった。


「あんさんがた、ちょいとお時間あらはります?」


 二人が振り向いた。二人とも驚いた顔をしていた。


「よろしかったらやけど、俺の唄を聴いてくれはらしまへんやろか」


 その場に立ったまま、左手でウードの首を持ち、右手で胴を抱えて弦を掻き鳴らした。


「酔いたれや 葡萄の娘よ き人よ 

 鉢に覆われし 世にまう者よ

 砂漠とて さかずきあれば 楽土たり

 土塊つちくれの日に 草ぞ萌えゆる」


 唄よ、その声よ、朗々たり、逃げ隠れせぬ。

 麗しき、美しきはその唄う一夜の恋人よ。


「ええ声やろ」


 ナーヒドは呆気に取られた顔をしていた。


「俺、元気やで。塵芥ちりあくたの一粒分も変わりはあらしまへんので、よろしゅうおたのもうします」


 バハルが軽く手を叩いた。ナーヒドが渋い顔をした。


「タウリスは、俺が守る」


 背を正し、前を向き、一歩も引かず、気高くあれ。



<おわり>




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蒼き太陽の詩 日崎アユム/丹羽夏子 @shahexorshid

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