第九話 訪問者達(ヴィジターズ)

 彩は男の腕を掴んだまま店を出ると、隣の路地に男を引きずりこんで、表から見えないところまで連れていった。

 周囲に人目がないことを確認してから、男の腕を離す。そして、

「どうしてあんな不用意なことをするの!」

 と日本語で叱責した。


 *


 男が、

「どうして俺が日本人だと分かった?」

 と、驚いた顔をしつつ黙っているので、彩は種明かしをした。

「片手拝みなんかボルザ人はやりません。しかも地球人でも日本人しかその仕草はしませんよ」

 それを聞いた男は目を見開くと、

「そいつは失敗した。これ以上隠しても仕方がないな。俺は確かに日本人だよ」

 と白状した。続けて、苦笑いしながら、

「しかし乱暴だなあ。俺はただ人探しをしていただけじゃないか。まさか他にも日本人がいるとは思わなかったけどな。ところで、あんたこそ誰だよ。こんなところで一体何をしているんだよ?」

 と、男は逆に彩の素性を問い質してくる。

 彩は目を細めて男を睨むと、怒った表情で言った。

「しらばっくれても駄目よ。どこかで聞いたことがある声だと思ったら、貴方、ヘルムホルツの進藤さんね?」

 進藤は恥ずかしそうに頭を掻いた。

「どうして声だけで分かるんだ? ミッドランドは武装妖精の教育以外にもおかしな訓練をやっているのか?」

「女優を馬鹿にしないでよ。一度聞いた声を私が忘れるわけ無いでしょう? それに何よ、武装妖精の教育って?」

「いや、そいつは特に意味はないんだが――君は『ミッドランドの踊る双子の死神』を覚えているか?」

「もちろん、劉さんと佐伯さんでしょう? 二人がどうかしたの? まさか、ヘルムホルツに捕まっているとか?」

「その逆だって。二人は今『ヘルムホルツの踊る双子の軍神』と呼ばれている。

「ヘルムホルツの軍神? どうして?」

「そこは説明すると長くなるんだが……それよりも俺は安藤さんに話があるんだよ」

「何を今更。さっきは知らない振りをしようとしていたじゃない」

「まあまあ、一応手順というのがあってだな」

「何の手順よ?」

「劉の奴に言われたんだよ。最後の最後まで正体を明かさないように、とさ。それで、どうしてもばれたら話をしてくれと」

「どういうことよ? 意味が全然分からないんだけど」

「だから、取りあえずは黙って俺の話を聞いてくれないかな」

「……分かった」

 やっと落ち着いたらしい彩の様子を見て進藤は溜息をつくと、姿勢を正して真面目な顔になってから、話を切り出す。

「まず、今回どうして俺がここにいるのか説明する。俺は君がアルスメニアに潜伏している情報を掴んだ劉に命令されて、ここまで事実関係を確認するためにやってきた」

「……質問はあり?」

「構わないよ」

「私がミンツに来ることになったのは、ほんの数日前に決まったことだけど、どうして貴方はここに――」

 質問している途中で、彩はその理由に気がついた。

「――つまり、私が潜伏している先までお見通しということなのね」

「ご名答」

「なら、私をどうするつもりなのかしら。潜伏先ではなくミンツまで追いかけてきたということは、ここで私を捕まえるという作戦なの? だったら連れの子は見逃して頂戴。彼女はアルスメニアの人だから関係ない」

「おいおい、そんなに先回りしないでくれ。今回の任務はあくまでも事実関係の確認だよ。ばれたからここまで明かしているんじゃないか。今すぐどうこうしようと思っているわけじゃない。それに、劉はこう伝えてくれと言っていた」

 進藤は両手を前に出して、彩を制止しながら話を続ける。

「出来ればヘルムホルツの自分のところに出頭して欲しい。そうすれば悪いようにはしない、だそうだ」

「……それは全員でという意味かしら?」

「全員? どういう意味だよ? 他にも仲間がいるのか?」

 進藤が不思議そうな顔をした。彩は彼のその表情が嘘ではないことを確信する。

 彼はそんな器用なことが出来る人ではない。もっとシンプルな男だ。

「ボルザ人の家族に匿われているの。だから、彼らも一緒かという意味だけど」

 彩のほうはそう単純な人間ではないから、顔色一つ変えることなく嘘をついた。

「そんなわけないだろ。俺は詳しいことは聞いていないが、君と生体装甲の話だよ。劉は君のことを買っているんじゃないのか?」

 進藤はそう言い切ったが、彩はそう思わなかった。

 劉のことだ。彼女が雄一と一緒であると想定しているだろうし、ライナが行方不明であることと関連付けて考えているに決まっている。彼はそういう面倒な人間だ。

「多少時間がかかっても構わないから、最終的には行動で示してくれってさ」

「どうしてそんなに悠長なの? さっさと包囲して逮捕すればいいじゃない」

「俺に分かるわけないだろう? 他の連中だったら、全員そうやって捕獲していただろうけどな。劉はあんたのことを好きなんじゃないのか? だから捕らえられて不自由な身分になるよりも、自分から売り込みに来て欲しいと思っているんじゃないのか?」

「それこそありえないわ」

「どうだか」


 そこで、お互いの言葉が途切れる。


 その時、二人は同時に同じことを考えていた。先に進藤のほうが言葉を発する。

「しかし、これでは約束を果たしてもらうわけにもいかないよな」

「そうね。私も忘れてはいないんだけど、今は駄目よ」

「まったく、楽しい休暇を過ごすはずが、散々な結果に終わっちまった」

「ご愁傷様」

「じゃあ、任務は完了したので、俺はこれで帰るわ」

 そう言って彩に背中を向けて、数歩歩き出したところで進藤は急に歩みを止めた。

「なあ、安藤さん」

「何かしら」

「俺はあんたがヘルムホルツに来るというのならば、大歓迎するぜ。是非前向きに考えてくれ。それから――」

 進藤は顔だけを彩に向ける。

「――俺との約束を果たすまでは、君は死ねないからな」

 そう言い残すと、進藤は右手を軽く上げて立ち去る。

 その場に残された彩は、大きく息を吐いた。

 ――まったく単純な人なんだから。

 劉は恐らく、こうなることを予測して最も適切な男を派遣したのだろう。

 なぜなら、彩が進藤の言葉を疑うことはありえないからだ。


 *


 その時、船着き場の片隅にある闇に埋もれた桟橋の上で、男達が話をしていた。

「もう一度確認するが、彼女は本当にミッドランドの人間ではないのだな」

「くどいなあ。違うって言っているじゃないか。人違いだよ、人違い」

 進藤が迷惑そうな顔で言った。

「そりゃあ、お前達にしてみれば情報が間違っていたら金にならないだろうから、必死になるのも分かるんだがな。違うものは違うんだよ。残念だったな」

「……本当だな」

「くどいよ」

「……分かった。それでは他の情報に当ることにしよう。ご苦労だった」

 商人風の男は眉をしかめながら言った。

「速やかに船を出す。また船底に隠れていてくれ」

「またかよ、結局祭りすら楽しめなかったじゃないか」

 そう言いながら進藤は船に乗り込んで、素直に船底に降りてゆく。

 その後ろ姿を見送りながら、配下の一人が商人風の男に囁いた。

「本当に別人なんでしょうか?」

 商人風の男は笑った。目の奥に狡猾な光を浮かべて笑った。

「すぐに天帝インドラへ緊急通信を送れ。メッセージは『黒』、それだけだ」


 *


 周囲に敵の気配がないかどうかを確認していたために、彩が宿に戻ったのは夜もかなり更けた時刻だった。

 他の客に邪魔にならないように、足音を忍ばせて部屋に入る。アイリスは疲れて寝てしまったらしい。

「ノラ、もう出てきても大丈夫だよ。ただ、静かにしてね」

 と声をかけると、ノラは彼女の懐からゆっくりと外に出てきた。彩はノラに笑いかけると、アイリスの傍らにそっと近づいて――そして、はっとした。

 アイリスの頬には涙が乾いた跡が残っていた。

 彩は昼間のアイリスとの会話を思い出し、彼女が夜の時間を楽しみにしていたことを確信する。

「可哀想なことをしたわ」

 とノラに語りかけると、彼女はこう言った。

「でしたら、みんなで並んで眠りませんか」

 部屋にはベッドが二つあるから、わざわざ一緒に寝なくても良いのだが、彩は良い考えだと思った。

 ただ、どうしてノラがそんなことを考えたのかが分からない。彼女は寝なくてもよい武装妖精であり、なによりも気が利いている。そこで、

「ノラがそんなことを言うとは思わなかった」

 と素直に訊ねてみると、彼女は恥ずかしそうな顔をして言った。

「私も彩様と一緒にいた時、とても安心できたものですから」

 彩はその答えを聞いて、どれほど自分がアイリスやノラから大切に思われていたかを知る。

「そうね。じゃあ三人で寝ましょうか」

 急いで着替えを終えると、アイリスを起こさないように注意しながら、彼女の隣に横たわる。

 外からは月の光が差し込み、アイリスの顔を照らし出していた。彩はアイリスの髪を静かに撫でてみる。柔らかくて素直な髪だった。

「今日はごめんね。明日はもっと楽しみましょう」

 彩が小さな声で謝罪する。

 すると、アイリスは彩の身体に両腕を回して抱きつき、無言で小さく頷いた。

 彩は微笑みながらアイリスの髪を撫でる。

 夜は静かに更けていった。


 *


 翌日、彩は昨日の夜の顛末を朝一番でアイリスに包み隠さず話した。

 彩の潜伏先を知った旧ミッドランド王国軍の同僚が、知り合いを通じてヘルムホルツに投降するように勧告してきたこと。

 ホーニア村も彼らの監視下に置かれていて、今すぐに何かが起きるわけではないが、うかうかしてもいられないこと。

 そんな話を最後まで黙って聞いたアイリスは、即座にこう断言した。

「その話が本当ならば、ホーニアのほうはたぶん父さんがもう監視の目に気がついていると思う。だから大丈夫だよ」

「ジェイムズさんが? 昨日の話だと相手はヘルムホルツの軍関係者かプロの情報屋らしいけど」

「相手がプロでも問題ないよ。父さんはもの凄く勘が鋭いから。私達に何も言わないのは、彩と同じように相手がすぐに何かしてくるとは考えていないからだと思うし、教えたことで私達の普段の動きがおかしくなることを避けたんだと思う」

「それならよいのだけれど……それにしても、見知らぬ誰かに監視されているというのは、ちょっと気味が悪いわね」

「じゃあ、帰り道の途中で確認してみようか? 本当に監視がいるかどうか」

「そんなことできるの?」

「どこかの路地で曲がって、相手の素性を確認するぐらいなら」

「それは――可能ならばそのほうが良いとは思う。けれど、ちょっと危険じゃないかな。昨日買ったものが結構な荷物になっているから、身動きが取れないだろうし」

 彩は部屋の片隅に積み上げられた前日の買い物の包みを見る。

「相手の姿を確認するだけだから、そんなに危険なことにはならないよ――」

 そこで急にアイリスの目が鋭くなった。

「――本当だったらその人たちを捕まえて素性を聞き出したいところだけど。それに昨日の夜、せっかくの楽しみを台無しにされた件もちゃんと落とし前をつけてほしいところだけど、それは我慢する」

 その剣幕を見て、彩は苦笑した。

「いずれにしても相手を良く見てからにしましょうね」


 *


「彩さん、確かに誰かが追いかけてきているよ」

 宿を出て、ホーニア行き定期便の船着き場まで移動する途中で、アイリスがそう彩に呟いた。

「だから、決して後ろは振り向かずにそのまま前を向いて歩き続けて」

「分かった」

 彩は囁くようにそう言うと、アイリスの指示に従って前を向いてそのまま歩き続ける。

 アイリスのほうはさまざまな反射を利用しながら、尾行者の姿を捉えようとしているらしい。彩が横目で見ると、頭の位置は固定したままで視線だけを忙しく移動させている。そして、しばらくするとこう呟いた。

「……なんだか変」

「どうかしたの?」

「追いかけてくる人なんだけど、すごく素人っぽいの。身を隠す時の動きが大げさだし、距離も近すぎる。なによりも、たった一人で後ろから追いかけてくるなんて、プロなら絶対にやらない。普通は対象を見逃さないために複数で追いかけるはずだし。それに警戒している相手をわざわざ後ろから追いかけるのは、見つけてくれと言っているようなものだよ。私ならば、前もって行く先々に人を配置しておく。そのほうがばれる可能性が低い」

 そう言いながらアイリスが彩を横目で見ると、彼女は前方を向いたままでひどく驚いた顔をしていた。

「アイリス、私には貴方がどうしてそんなに尾行の方法に詳しいのか、そっちのほうが不思議なんだけれど」

「全部、父さんから教わったことだよ。何が起きるか分からないから覚えておくようにって。こんなところで役に立って良かった」

 彩はそのアイリスの言葉で思い出した。

 そういえばジェイムズは普通の人間ではなかった。先日のライナ逃走劇の最中、彩はジェイムズから「どうして彼がライナのことを知っているのか」の理由を聞いていた。

 彩がそのことを考えている間も、アイリスは後方の監視を続けており、そして――急に溜息をついた。

「今ちらっと見えたんだけど、相手はただの子供のようだよ。これじゃあ警戒しているこっちが馬鹿みたい」

「子供だからって安心は出来ないんじゃない?」

「ううん、全然素人だよ。顔は丸出しだし、それがすごく必死そうなの。可哀想になるぐらい。あんまり引っ張るのはどうかと思う」

「分かった。じゃあ、捕まえましょう。ノラもいつでも出られるように準備してね」

「分かりました、彩様」

 彩は背中に負っていた荷物の肩紐をずらして、いつでも傍らに置けるように準備する。ノラも懐のポケットから顔を覗かせていた。

「次の角を左に」

 アイリスが短く指示する。

 彩は小さく息を吐くと、次の十字路まで来たところで左側にある狭い路地に駆け込んだ。

 曲がってすぐのところに荷物を降ろす。

 そして、二人は左側の壁に背中をつけて腰を屈めると、耳を澄ました。

 慌てたような足音が近づいてくる。

 続いて小さい人影が路地に走りこんできたかと思うと、下に置かれた荷物に足を取られて、見事に横転した。

 そこへ彩とアイリスが飛びかかる。

 二人分の身体で相手を地面に押し付けると、彩は小さな声で懐にいるノラに指示を出した。

「ノラ、軽く焼いて!」

「承知!」

 それを聞いて、下敷きになった男が慌てた声をあげる。

「うわっ、ちょ、待て、話を――」

「問答無用!」

 彩の懐からノラが飛び出す。

 周囲の温度が一気に下がった。

「だから、ちょっ、ああもう――疾風フレイズ!」

 男の言葉と共に風が沸き起こり、彩とアイリスとノラを宙に巻き上げる。

メイズ!」

 続いて、三人の身体はその場に固定された。

 彩は路地の壁に全身を叩きつけられる寸前のところで、頭を下にしたまま空中に浮かんでいる。

「いきなり火焔魔法はあぶねえだろうが! ちゃんと人の話を聞けよ、安藤さんよ!!」

 男のその怒鳴り声を聞いて、彩はやっと相手の素性に気がついた。


「あの……貴方、もしかしてグイネルさんかしら?」


「ああ、そうだよその通りだよ。もしかしなくてもグイネルさんだよ。久しぶりの再会なんだから感動して泣けよ!!」

 そう言いながら頭から湯気を上げているグイネルの外観は、十代前半の坊主頭の小僧そのものだった。

「グイネルさん、その姿は一体……」

 ゆっくりと地面に降ろされながら、彩はまずその点を追及する。

「こいつか? なかなかだろう」

「あの時、王宮と共に爆散したものと思っていたのに――」

「いやあ、それがよ。最後の最後、師匠が俺に緊急転用エマージェンシー・リ・バースをかけて、国外まで放り出したんだよ。再生リ・ビルドじゃないから素材が足りなくて子供の形に縮んじまったんだけどよ。お陰で胃の痛みまで消えてすっきりだよ」

 グイネルは小さい身体を目一杯にそらして自慢する。

「いやあ、朝の散歩をしている時にお前さんを見かけて、俺ぁびっくりしたね。目を疑ったよ」

「あの、だったらすぐに声をかけてくれればよかったのでは?」

 彩が毒気を抜かれたように唖然として訊ねると、グイネルは上機嫌になって答える。

「ああ、それがよ、そっちの子が姫様かどうか見分けがつかなくてよ。それを考えていたところだったんだよ。で、さっきやっと分かった。こいつは別人だってな」

「どうして?」

「なんでって、お前――」

 グイネルは当然だろうという顔をして、彩に言った。

「姫様だったら、あんなに機敏に俺の身体の自由を奪ったり出来ないだろう?」


 帰りの船の上、彩とグイネルはこれまでの敬意に関する情報交換を行った。

 彩は、ライナ姫が無事であることと、アルスメニアのホーニア村でジェイムズとアイリスという家族に匿われていること、そして、アイリスが同行しているため曖昧にだが、ジェイムズがライナ姫のことを知っているらしき話をした。

 ライナ姫が無事であることを知ったグイネルは、見るからに安堵する。ただ、いまやライナ姫のほうが外見上は年上に見えるから、まるで「姐の無事を知って安心した弟」のように見えるのがおかしかった。

 グイネルのほうはというと、アイゼンによってアルスメニアに飛ばされた後、落下したところの一番近くにあった魔法寺院に「修行中の少年神官」としてお世話になっていたらしい。

 中身は一国の筆頭大神官チーフ・グランドマスターを務めたほどの男であるから、力を抜いてもその実力は際立っている。すんなりと客分扱いで遇されたという。

「ただよ、見た目が見た目だから、怪しまれないように筆頭大神官の技を使うわけにはいかない。しかし、それなりの天賦の才は見せておかないと、扱いが雑になる。その加減が難しいんだな。例えば、共有概念コモン・イデア経由で大神官グランドマスター殿のありがたい説教を聴いている時も、言葉は聞こえても絵は見えていないような振りをしなければならない。絵は成人してから習う、大人の技能だからな」

「あら、年齢によって習得する魔法マヂカの中身が違うんですか? しかも子供は声だけっていうのが、なんだか子供用携帯電話とスマアトフオンの違いみたいですね」

 そこでグイネルが、急に不思議そうな顔をした。

「安藤さんよ、もしかしてお前さんは逃亡中の身の上ということで、アルスメニアの共有概念に結合コネクトすることが出来ないのかい」

「そうですよ。ミツドランド王国から脱け出してから、どこの共有概念にも接続はしていません。それがどうかしたんですか? 居場所を知られないためにはやむをえない措置と思っていましたが」

「いやいや、共有概念に結合しただけで居場所が分かるなんてえことはない。しかし、そうなると変だな。今、ボルザの言葉を使っていなかったか?」

「使いましたよ。そうじゃないとアイリスと話が出来ませんから」

「ふむ、それがおかしいんだよ。どうして共有概念なしでボルザの言葉を話すことが出来るんだ?」

「それは――ミツドランド王国から出る前に、可能な限り共有概念上の概念イデア生体装甲バイオ・アアマと自分の中に取り込んだからですが」

「概念の取り込み? 何だそりゃ? そんなこと出来るのか?」

「あの、それはどういう意味でしょうか? 私のほうが聞きたいぐらいです。私は雄一君から教えてもらった通りに概念取り込みを実行して、問題なく出来ましたが」

「そうか、ふむ……雄一か……」

 グイネルは腕を組んで考え込んでしまった。

 彩はその姿を見て不安になる。悪いと思ったが、話しかけた。

「あの――もしかして、他の人には概念取り込みなんて出来ないということですか?」

「ああ、出来ないよ。そんなことが出来るなんて話は一度も聞いたことがない。ボルザ人が可能なら、ゲルトフェン・ミッドランドが知らないはずがない。地球人が可能なら、教授プロフェッサーが利用していたはずだ。それに、同じ共有概念にボルザ人と地球人が一緒に結合するから、ボルザ人でも地球人の言葉が分かるのだし、概念汚染イデア・ポリュージョンなんていう面倒な事態が起こるんだ。概念を取り込めるんだったら、その心配をする必要ないではないか。地球人が一方的にボルザ人の言語や文化を概念として取り込めばよい。そっちのほうが助かる」

「グイネルさんの仰っている話の意味は分かりますが――」

 彩はそこで頭を捻る。

「――でも、それではグイネルさんは途中までどうやって私と話をしていると思っていたんですか? 自動で同期する訳ではないですよね」

「俺はミッドランド王国の筆頭大神官だからな。呼ばれて他国の魔法寺院に行くことがたまにある。だから、近隣諸国の共有概念であれば登録済みになっているのさ。ただ、概念汚染が拡大することを防ぐために、どこの国も外国人専用に構成した共有概念を持っているから、そちらを使うのだがな。それでも概念共有すればアルスメニアで日本語を使うことは可能だ。それで、てっきり安藤さんは日本語で話をしているものと思っていた。しかし、さっきの話の中に理解できない言葉が混じっていたので、これはおかしいと思ったわけよ。恐らく、アルスメニアの共有概念には登録されていない、ボルザにはない日本語の概念だな。だから、安藤さんがボルザの言葉を話していると分かった」

「ああ、だから突然、不思議そうな顔を――いや、でも、それだともっとおかしなことになりますね」

「どうしてだよ? どこがだよ?」

「だって、グイネルさんの話が事実でしたら、私が日本語で『スマアトフオン』と話したら、それが理解出来るということになりませんか?」

「出来る。それに、今の言葉は確かに分かった。携帯電話の進化版だろ?」

 グイネルのその無造作な言葉に、今度は彩のほうが驚く。

「だからおかしいのです。だって、携帯電話やスマアトフオン自体はアルスメニア――それどころかボルザ世界には存在しないじゃないですか」

「それが分かるから概念共有なんだろ。言葉しか分からなかったら意味ないじゃないか」

「……待って下さい、グイネルん。やはり変です。そうなると、ミツドランドの共有概念には、ボルザには存在しない『スマアトフオン』という概念が、ボルザ語で登録されていたことにある」

「確かにそうなるが、何か問題でもあるのか? 地球人がその概念を作ったのではないか。安藤さんも何の疑いもなしにボルザ語で話したではないか」

「……確かに私は先程、ボルザ語で『スマアトフオン』と言いました」

「それだ、今のは俺には何のことか分からなかったぞ」

 彩は顔をしかめて、右手でグイネルを制す。それは地球人の仕草だったが、彼女は今、それどころではなかった。

「ちょ、ちょっと待って。なんだか頭が混乱してきました。アイリスにも分かるようにすべてボルザ語で話しますが、私は『フマアトフオン』という言葉をボルザ語でも日本語でも、同じ感覚で問題なく話している。グイネルさんはアルスメニアの外国人専用共有概念を経由したボルザ語で、それを理解することが出来ない。しかし、アルスメニアの外国人専用共有概念を経由した日本語であれば理解出来る。そういうことになってしまいますが、正しいですか」

「その通りだ。が、しかし――ふむ、確かにおかしい。では、アルスメニアの日本語は誰が登録したのだ? 安藤さん以外のボルザ語を知らない日本人が、外国人専用の共有概念に結合したことになるが」

「ああ、逆にそれであればすんなり理解出来ます」

 進藤がそうしたに違いない、と彩は考えた。

 ただ、その疑問が解消されたとしても、「異世界の言葉が概念で伝わる」という仕組みが、今ひとつ理解しきれない。

 それに別な問題が彩の頭の中に沸き起こる。

「それでは、武装妖精は何語で話をしているのですか? 共有概念経由であれば分かります。共有概念が使えないと話が出来ないということならば、私は従者ジウサであるノラと意思疎通が出来ないはずです。それに、確か御主人様マスタアの思考は読むことが出来ないという話でしたよね。だったら余計におかしくないですか?」

「ふむ、それについては安藤さんの言う通りだ」

「だから、概念取り込みは可能であって、武装妖精はそうしているのだと考えたわけですが――」

 グイネルがそこで急に激しくいきどおる。

「まさか! そんなことは絶対にありえない!! ボルザ人より下等な妖精ごときに、そんなことが出来るはずがないではないか!!!」

「しかしですね、そう考えないと――」

「いや、ありえんものはありえん!」

 それまでの理性的な彼とは別人に見えるほど激しく否定され、彩は黙り込む。

 グイネルの怒りは収まらない。その隣でアイリスが不思議そうな顔で彼を見つめている。

「妖精や獣にそのような知性なんかない! 絶対にそんなことはありえんのだ!!」


 グイネルの怒りが収まるまで、彩は何も言えなかった。

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