第十一話 阿修羅舞(ダンス・ウィズ・アスラ) 二
結局のところ、彩には何も出来なかった。
雄一達が戻るまでの間の時間稼ぎになったかといえば、そうではない。
恐らく天帝は、最初から雄一達が生体装甲に乗ってここに戻ることを確信しており、それまでの退屈しのぎとして彩の相手をしていたに過ぎない。彼がその気になれば、即座に雄一達の後を追うことも出来たはずだった。
それに、彼の姿が消えてから『インドラ』が現れるまでの時間は、極めて短かった。ということは、最初から生体装甲による戦闘を想定して、家のすぐ近くに隠してあったに違いない。
天帝の一連の動きから考えると、生体装甲を使わなくともジェイムズはともかく雄一では太刀打ちできなかっただろう。
にもかかわらず天帝は、わざわざ気配を隠すことなく家の前に現れて雄一達が家から脱け出すのを見過ごし、彩と適当に時間を潰してから
その、あまりにも人を馬鹿にした立ち振る舞いに彩は腹が立ったが、彼我の実力差を考えると、むしろ彩は命拾いしたともいえる。天帝が本気だったら、彩はもうこの世にはいなかったのだから。
左右から迫り来る震動。
滝のほうからやってくるそれには、僅かな動揺と焦りが含まれているように彩には感じられた。
一方、逆方向からのそれは、静かな湖面に静かに広がる波に似ており、心の動きは微塵も感じられない。
それだけのことで、彩はこれから起きることの予測が出来そうな気分になった。
三体の巨人が、ジェイムズの家を挟んで向かい合う。
そして、ジェイムズの『ハヌマーン』は、『神白狼』を庇うかのように前に出た。
「ここに何の用だ、『インドラ』」
ジェイムズが直接音声で語りかける。
「いや、君には用がないよ、『ハヌマーン』――」
天帝が先程までと同じ長閑な声で答える。
「――僕はそこの『
「彼は君のことなんか知らないと言っている」
「ふうん――」
そこで『インドラ』は、右の拳を顎の先端に当て、左の拳で右の肘のところを掴んだ。
「――そうかい。でもまあ、彼が『
「……どうしてアムラン王国所属のお前が、ヘルムホルツ共和国の生体装甲の敵討ちのするというのかね」
「彼女とは古い知り合いだからさ」
「それは
そこで『インドラ』が急に右腕を前に突き出した。
「いや、それは僕が君に言いたい台詞なんだけどね」
そう指摘した天帝の声はやはり落ち着いていたが、そこに若干の苦笑が込められていることを彩は感じ取った。
「……」
ジェイムズは黙り込むと、『ハヌマーン』の両腰のところに下げていた刃渡り一メートル程度の二つの刃を抜く。
彩にはジェイムズが今何を考えているのか、手に取るように分かった。それは事前に彼からライナ姫との因縁を聞いていたからだが――
(そういえばどうして天帝はそのことを知っているのだろう?)
知らなければ、天帝は先程のような言い方は出来なかったはずである。
生体装甲のサイズからすれば小型ナイフにあたる刃を両腕に持ち、心持ち腰を沈めた『ハヌマーン』に対して、『インドラ』は再び思案中のポーズに戻っていた。
「ふむ、不都合な真実を知っている相手は無言で即座に抹殺するに限る、か。流石は女王陛下直轄の諜報機関出身者だけのことはあるね」
その瞬間、『ハヌマーン』の巨体が僅かに揺れるのを彩は見逃さなかった。
ジェイムズの押し殺した声が漏れる。
「お前、何者だ? 日本人だと聞いているが、それに間違いなければ――」
そこで、『ハヌマーン』の気配が変わる。
彩は『ハヌマーン』の周囲に闇が凝縮するような感じを受けた。
「間違いがなければ――なんだというのかな」
「いや、それでお前のあのふざけた機関の名前が、何に由来するのか分かったよ」
「そうかい、そいつは結構だ。じゃあ、黙って見ていてくれないかな。同業者のよしみということで」
「それが出来ないことぐらい、同業者ならば分かるのではないかね」
「それはまあ、そうなんだけどね」
先程からまったく長閑な物言いが変わらない天帝と、いつもとは別人のように危険な空気を纏い始めたジェイムズ。
彩には二人の会話の意味が殆ど理解出来なかった。
しかし、それ以上のことは何にも分からなかった。
いや――もう一つ明らかなことがある。
それは、ジェイムズがサルフィス連邦の『ハヌマーン』である以前に、もっと凶暴な生き物であるという事実だ。
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