第六話 双子(ツインズ)
アルスメニアは年間を通じて気候が穏やかな土地だが、ここでいう穏やかは「変化が乏しい」という意味に等しい。
過ごしやすい春が終わると、季節はそのまま梅雨に移行する。そして梅雨の間、雨は激しく降ることなく一日中細々と降った。
激しい雨は山を削って大きな被害をもたらす一方で、効率的な水のはけ口も準備する。
細々と降る雨は人を押し流さない代わりに、水もなかなか押し流さない。
ただ、おかげで梅雨になると単純に水路の幅は二倍となるので、水上運送の便がよくなる。春の間は観光客が多いが、梅雨になると商人の姿を見かけるようになった。
ところで、この「春」や「梅雨」というのは地球人が持ち込んだ概念であって、もともとのアルスメニアには雨が少ない時期と雨が多い時期という区別しかない。それ以上の細かい分類には意味がないからだ。
逆に雨の多い、少ないには大きな意味がある。
雨の多い季節がやってくる前に、地面の湿り気に弱い根菜類は収穫を終えなければならないから、季節の変わり目になると農家は大忙しだった。
それは自給自足の生活から、多少なりとも商品として出せる作物が増えてきたホーガン家も例外ではない。毎年この時期になると朝から晩まで作業が山積みで、アイリスも学校に行く時間以外は農作業の手伝いをしている。
もちろん、アルスメニアは農業立国であるから、その繁忙期には学校が休みになる。それでも父親だけでは手が足りず、最後のほうは収穫しきれずに腐ってしまうのだが、ジェイムズは「学校を休め」とは決して言わなかった。
そして、その年は事情が違っていた。アイリスが生まれてから初めて、育てた野菜を腐らせることなくすべて市場に供給することができたのだ。それは作業の手伝いをしてくれる者が増えたためであり、彼らがきわめて優秀だったからでもある。
*
「さあ、今日も元気よく働きましょう!」
エリイが相変らずの元気な声をあげた。
その顔を見ながらアイリスは、
――妖精は日焼けをしないのだろうか?
と不思議に思った。日中は赤いシャツを腕まくりして働き続けているのに、彼女の顔は白いままである。
一方で、
「おりゃあ」
と、言いながら根を引っ張り上げているミキは、日に日に日焼けしていく。もともと
タンポポはいつものようにマイペースで作物の生育状況をチェックしている。天然の個蟲が作物についていることがあるので、それを丹念に取り除いては袋に入れていた。収集した個蟲は、後で自宅の裏にある「培養槽」と呼ばれる竪穴に放り込むように父から言われていたが、随分昔から放り込んでいるのに培養槽が一杯になったことはない。よほど大きいのだろう。
この間まで、タンポポの傍にはカオルが常に黙って従っていたが、今は姿が見えない。
彼は家の中で服を作っていた。
雄一、彩、ライナの服はもちろんのこと、その端切れで仲間の武装妖精達の服も作る。さらにはジェイムズやアイリスの衣装まで作ってしまったのには驚いた。
しかも、サイズを測る訳でもなく、目算だけでほぼ適切な大きさに仕上げてくる。後は、
「もうちょっとだけ、袖口を大きめにして欲しい」
と、自分の好みを伝えると即座に修正してくれる。
今までの生活でもアイリスは不便を感じたことはなかったが、服が選べるようになったことは素直に嬉しかった。しかも、カオルが作ってくれる服はとても着心地が良くて、動きやすい。
「これ、すごくいい! 有り難う!」
とお礼を言ったら、ひどく恥かしそうな顔をされた。褒められることに慣れていないらしい。
そんな優秀な武装妖精や使役獣に比べると、御主人様のほうはさして農作業の役に立たなかった。
彩は作業をこなせるだけの能力を充分に持っており、実際にやらせてみてもそつがなかった。
ただ、誠に残念なことに彼女は個蟲が大の苦手で、野菜の葉の裏側に個蟲がついているのを見つけると飛び上がって逃げる。最初からついているのが分かっている野菜には、近付くこともできない。
個蟲は軟体動物なので鋭い爪や牙は持っていないし、皮膚から毒を分泌することもない。だから素手で触れても何の問題もないのだが、アイリスがいくらそう説明しても彩はどうしても我慢出来なかった。
父親のジェイムズに聞いた話によると、「生体装甲は個蟲が集合して出来ている」ということなので、生体装甲の中にいる時の彩は、全身で個蟲と触れ合っているはずである。
しかし、生の個蟲に素手で触れることとは意味合いが違うらしく、実際に生体装甲に乗ったことのないアイリスには、その違いがよく分からなかった。
加えてアルスメニアは雨の多い気候であるため、自生している天然物の個蟲が非常に多い。彩は農作業のたびに大騒ぎしていたため、ジェイムズは何だか可愛そうになって農作業の当番から彩を外した。
その代わりに野菜の出荷管理をお願いしたところ、彩は野菜を市場に出すタイミングや売り上げの管理で抜群の働きを見せる。だから、それはそれで大成功だった。
ライナの場合は最初から問題外である。農作業そのものをお願いすることができない。
それは彼女が姫君だからという意味ではなく、彼女が手加減というものを全く知らないからだった。
――魔法を使えるのだから、仕事がはかどるかもしれない。
最初アイリスはそう思ったのだが、むしろ逆である。
制御の利かない魔法を使われると、一緒に作業しているものにとっては危ないことこの上ない。なにしろ根菜類を掘り起こすだけのことなのに、畑そのものをまるごとひっくり返しかねないのだ。
そこでライナ姫は、「決して手を出さないでね」と念を押されていた。今日も畑の隅にある切り株に座って、無表情にこちらを見つめている。
あの「滝での一件」以降、アイリスはライナとよく話をするようになった。
彼女の口調は初対面の時から一貫して「上から下へ」のものであったし、不機嫌な顔をしていることが極めて多い。無表情な時はむしろ機嫌が良いほうなのだ。だから話をするようになる前は、
――なんだこいつ?
と、アイリスのほうから敬遠していた。
しかし、ライナがぽつりぽつりと話す「姫君の日常」を聞くうちに、アイリスの嫌悪感は次第に変化してゆく。そして、最後にはライナに対する見方が根底から変わった。
――ライナは周囲からの大き過ぎる期待に応えるために、ずっと無理をしていたんだ。
アイリスは最近ではそう考えている。
上から目線の物言いは、王族としての威厳を保つために必要不可欠な自衛策だろう。本来のライナはアイリスと同じ年齢の、寂しがり屋の少女である。
しかも、小さい頃に母親を失い、王である父親は統治で忙しくて殆ど顔を見たことがない、と彼女は言っていた。その父親の生死も国が消滅した今となっては分からない、とも言っていた。
身近に父親がいる分だけアイリスのほうが恵まれている。ライナの無表情さは、その寂しさを表に出すまいと無理をした結果ではないかと、アイリスは考えていた。
それでも最近になって、アイリス相手であれば感情を表に出しても問題がないと分かったらしい。二人だけの時には、やっと微笑んでくれるようになった。
それはまだぎこちない不自然な微笑だったが、王宮でライナの傍に仕えていた者がそれを目にしたら、仰天したことだろう。
そして、一番有望と思われていた雄一が全然駄目だった。
ぱっと見、雄一の身体つきはしっかりとしたものだったし、服の上からでも必要な筋肉が過不足なくついていると分かる。
だからアイリスはてっきり、「兵士として過酷な訓練を毎日行っていた」のだろうと思っていたのだが、
「訓練も農作業も、全然やったことがないよ」
と、彼は言った。そこでアイリスが思わず、
「じゃあ、今まで一体どうやって生き延びてきたのよ?」
と突っ込みを入れると、
「僕と同じ時期の地球人の多くは、農作業なんかやったことはないんだよ。他の人が作ったものを手に入れることで、充分生きていけるんだ」
と、雄一は恥ずかしそうに言った。
アイリスにもその仕組みはなんとなく分かる。それにアイリス達が作った野菜は、誰かに買われて食べられるのだから、それと同じことだろうとも思う。
しかし「まったく労働をしたことがない人間」というのは理解できなかった。王侯貴族ならばありうるだろう。しかし、雄一はどうみても貴族ですらない。
そこで次に「優秀な戦士は労働や訓練を免除されるのだろうか」とアイリスは考えてみる。しかし、身体つきは確かに戦士のように立派だけれど、雄一の表情には緊張感がなかった。
ともかく、農作業の経験がないことと農作業が出来ないこととは別問題であるから、アイリスは農作業の道具を雄一に手渡して、やり方を丁寧に教えてみる。
――優秀な戦士であれば、おのずから農作業の手際も良いに違いない。
そんな風にアイリスは期待していたのだが、彼が地面を耕す道具であるクイッチを振り上げた瞬間、慌てて止めに入った。
「ちょ、ちょっと待って頂戴! その足の位置じゃあ間違いなく怪我をするわよ」
「えっ、これだと何かおかしいんですか」
雄一はきょとんとしている。自分がいかに危険なことをしようとしていたのか分からないらしい。
彼は左腕を上、右腕を下にしてクイッチの柄を握り、身体の右側に大きく振りかぶりながら、同時に右足を前に出していた。
どうしてそんな不可思議な姿勢をとったのか、アイリスには想像もできない。そもそも、左腕を上、右腕を下にして、右側に振りかぶると身体が窮屈に感じられるはずである。
その状態で右足を前に出してしまったら、容易にバランスが崩れてしまうし、場合によってはクイッチを右足の上に振り下ろすことになる。
アイリスは剣の使い方を習ったことはないが、少なくとも農作業の時の自然な構えと、剣の自然な構えには大差がないはずだと思っている。
にもかかわらず、雄一の構えが出鱈目なことはすぐに分かった。そして、本人はそのことを疑問にも思っていないことに驚いた。
「貴方、本当に戦士なの? 構えが全然なっちゃいないじゃない」
アイリスは両腕を腰のところにあてて、雄一を見上げながら言った。すると彼は、顔を真っ赤にする。
「ごめん。生体装甲に乗っている時は、ミツドランド王国近衛騎士団の
「……えっと、
「すべての動きがそうだという意味ではないんだけど。まあ、確かに自動で動いているかな。そうでもなければ地球の日本人高校生が、転写先でいきなり剣を使えるようになるわけがないからね」
「ふうん。でも、それだったら生体装甲の操縦者は全員、同じ技を使っていることになるんじゃないの。だったら、勝負を左右するのは技の差じゃなくて、ただの偶然になるよね」
アイリスがそう訊ねたので、雄一は大きく首を捻った。
「うん、そう、だよね。そのままだと確かに力の差が出るのはおかしいよね」
「おかしいよねって、あなたは今まで戦い方を考えたことはなかったの?」
「うん。実はそうなんだ」
そう言って恥ずかしそうに微笑む雄一の屈託のなさに、アイリスは思わず溜息をつく。
――これで戦士だなんて。
ミッドランド王国が消えてなくなるのも無理はない、とアイリスは思った。
ともかく何をさせても不器用な雄一に、アイリスは当たり障りのない軽作業をお願いすることにした。畑の雑草を抜いたり、収穫した後の使えない根や茎を集めるなど、さして難しくない作業だ。
それでアイリスは、最初のうちこそ雄一の様子に目を配っていたものの、収穫作業は極めて多忙であるから自然に雄一の存在を忘れてしまった。
そんなある日の出来事である。
アルスメニアにおける農作業は、朝早くから開始して、昼になる前に終わるのが標準である。昼食の後は日陰や屋内での作業が中心となり、手元が見えなくなるほど暗くなったら作業は終わりだ。
ところが、その日は収穫の最盛期で朝から作業が山積みになっており、出荷作業にかかっている頭脳労働の彩ですら余裕がなくなっていた。
昼食すらとることができないほどに忙しい時間が過ぎ、日が落ちたところでやっと各自が受け持ちの作業をやり終えて、それぞれ母屋に戻ってきた。
全身を覆う重い疲れと身を削るような空腹感を感じながら、アイリスと彩が夕食の支度に取り掛かろうとする。
その時、部屋の片隅につまらなさそうな顔をして座っていたライナが、ぽつりとこう言った。
「ところで、雄一はどうした? 姿が見えないのだが」
全員が顔を見合わせる。誰も覚えがない。
午前中は畑で草取りをしていた。そして、その姿は全員が目にしていた。ところが、午後になると記憶にない。
農作業の最中やライナがアイリスと一緒にいる時を除き、雄一はライナの傍らに従者のように控えているのが常だった。いくらライナが迷惑そうな顔をしても、雄一は苦笑しながら黙ってその傍らにいた。
だから、全員が自然にライナと一緒にいるものと思っていた。むしろ、ライナだからこそ雄一がいないことが不自然に思えたのだとも言える。他の者は、今の今まで彼がいないことに全く気づいていなかった。
エリイの顔色が変わる。
彼女は鋭い眼差しで身体を空中で一回転させると、
「御主人様はまだ畑にいらっしゃいます!」
と叫び、即座に部屋を飛び出していった。その動きに彩とアイリスが呼応する。
既に外は夕暮れから夜へと変わっており、太陽は残照すら残さずに姿を消していた。しかし、その日は二つの月が同時に昇る夜であったから、肉眼でもおぼろげに景色が見える。
白々と木々が浮かび上がる中を、三人は交差する影を引き連れながら、畑のほうに向かって進んだ。
「エリイ、雄一君の様子は!?」
彩が叫ぶように問う。
彼が体調を崩して畑に倒れていることを想定したのだろう、とアイリスは考えた。
「
エリイは極めて事務的な声でそれに答える。
武装妖精は御主人様のプライベートなことについて、基本的に答えることができない。客観的な事実だけを端的に答えることだけで精一杯である。
そして「
三人は林を抜けて、家から一番離れたところにある農場に着いた。
そして、農場の中央、二つの月に白く照らされている雄一を見つける。
その途端、全員が言葉を失った。
雄一は農場の真ん中で、ただぽつんと棒立ちになっていた。
顔を上に向けて、二つの月を見上げている。
一日中雑草を抜き続けていたのだろう。日に焼けて赤くなった顔と、土まみれになっている両腕、汗が染みとおった上着から、そのことが分かる。
普段は昼食が合図となって作業を止めるのだが、それがなかったために愚直に草取りを続けていたらしい。
昼食の時間をとっくの昔に過ぎていることや、途中で全員がいなくなっていることに気がつかないところが、実に雄一らしかった。
彼の顔には穏やかな笑みが浮かんでいる。
全員から忘れ去られ、置き去りにされていたことを気にしている様子はない。
そして、彼はしきりに口を動かしていた。
まるで何者かに語りかけているかのように、唇は言葉もなく親しげに動き、その頬を止め処なく涙が伝っている。
それが月の光を反射して輝いていた。
彩の顔が歪む。
「なんということを……そんなことをしたら、自分が苦しくなるだけなのに――」
そう言うや否や、彩は口を押さえて踵を返し、背中を向けて林の中を走り去っていった。
エリイは静かに空中を、雄一に向かって滑ってゆく。
そして、何事かを呟いている雄一の左肩に静かに腰を下ろすと、彼の頬に右手を軽くあてて、
「御主人様、皆さんが心配されておりますよ」
と、囁くように告げた。
「あ――」
雄一の唇から言葉が漏れる。
それは何故か、何処か遠いところから響いてきた声のようにアイリスには聞こえた。
「――ごめんなさい、エリイ。時間を忘れていたようだね」
「こちらこそ割り込んでしまいまして、申し訳ございません。お話はお済でしたか?」
「ああ、ちょうど切りの良いところだった」
雄一はとても澄んだ瞳でそう答える。
「それはようございました。それでは家に帰りましょう」
エリイがにこやかに笑ってそれに応じる。
そして、二人はアイリスが立っているところに向かって歩き始めた。それはいつもの雄一とエリイの姿のように見えるが、アイリスは見逃さない。
雄一の襟をつかむエリイの右腕には、いつも以上に力が入っている。
それはまるでどこかにいってしまいそうな雄一を、しっかりとつなぎとめようとするエリイの意志の現れのように、アイリスには感じられた。
そして、雄一とエリイの後ろを黙って歩くアイリスには、雄一の姿がまるで双子が重なって歩いているように二重写しに見えて仕方がない。
最初は二つの月の光による錯覚だと思っていたのだが、それでは説明がつかない点があることに気づく。
一方の気配は明らかに「女の子」だった。
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