第二話 農耕生活(ファーマーズ・ライフ)

 アルスメニア共和国はラムザール大陸の中央に位置する小国である。

 大陸を南北に横断しているギルザルム山脈の東に寄り添うように位置しており、大陸の西端にあった旧ミッドランド王国とは山脈を挟んで隣同士だった。

 しかし、その地理的な近さに反して両国の交流は殆どない。四〇〇〇目取メートル級の山嶺がそれを阻んでいた。

 アルスメニアの国土の大半は、緑豊かで風光明媚な湖水地域で占められており、気候も山脈の西側に比べると穏やかである。

 平野部では山脈に降った雨が伏流水となって豊富に湧き出すため、それを一時的に溜めておく池が無数に設けられており、そこで太陽により温められた水は水路によって国の隅々まで送られていた。

 水路は天然の湖とも結ばれているから、舟を使えば国内を自由自在に移動することが出来る。点在する湖と池を網目のように水路が結び付けている光景――それがアルスメニアの特徴となっていた。

 また、水路というインフラと豊富な伏流水という資源は、農業と淡水魚の養殖に利用されており、さらに日当たりのよい山脈の東斜面を利用して、牧畜業と果実栽培が営まれていた。

 領土の面積は、下から数えたほうが早いほどの小国であるにもかかわらず、野菜、果物、淡水魚、肉および乳製品とそれらの加工品の生産高は、大半の品目で上から数えたほうが早い。

 それを隣国輸出は勿論のこと、その更に向こうの国へも供給していた。計画当初から舟の往来を考えて広めに整備された水路を、小型船舶が縦横無尽に行き交い、迅速に産物を隣国市場に向けて運んでゆく。

 時にはその先への物資輸送も請け負う。食料品の輸出と輸送の請負により獲得した外貨が、国庫を潤していた。昔から政府主導で推し進められてきたインフラ整備が功を奏して、豊かに実を結んだ形である。


 また、自国民の食料確保という観点から、領土拡大を目論む隣国もアルスメニアには容易に手を出すことができなかった。

 もし、アルスメニアの併合に成功すれば、食料を同国からの輸入に頼っている各国から袋叩きにあうのは目に見えている。

 そしてもし、アルスメニアの併合に失敗すれば、報復措置として食料供給が停止されるから、自国民から激しい不満の声が沸き上がることになる。

 それほど近隣各国はアルスメニアに食料を依存していた。

 同時に、戦争による国土の荒廃はアルスメニアにとって最も忌避すべきことである。従って、食料の一大供給地という自らの特徴を最大限に生かすため、アルスメニアは対外的に中立を貫いていた。

 更に、他国の商人が食料を独自のルートで大量に運び出すことがないように、監視しなければならない。市場価格を安定させる意図もあるが、隣国が戦争準備のために備蓄する可能性があるからだ。

 そのため、アルスメニア共和国は国内輸送を自国民にしか認めておらず、隣国商人は国境で開かれる市場で食料を買い付けるしかない。それ以外の国境線は武装兵士により隙間なく固められていた。

 どうにも一筋縄ではいかない国である。

 表向きはにっこりと笑って商売しているのに、後ろ手で入口の扉を堅く閉めて自宅には決して誰も入れようとしない。余所者の流入を極端に嫌う国だったが、これには安全保障以外の理由があった。

 アルスメニアは最初から裕福な国だった訳ではない。過去においては、荒れ果てたどうしようもない湿地帯が広がっているだけの土地であり、他に行き場を失った者達が最後に向かう地であった。

 涌き出る伏流水は澄んでいるものの冷たいため、そのままでは農業用水には使えない。自然状態の湖水地方は、見た目がどれほど麗しくても水はけが悪かったから、やはり農業には不向きだった。

 気候が悪化した途端に大量の餓死者が出るし、伝染病が流行すると湿気の多い土地柄では防ぎようもなかった。悪夢のような場所で、先人達は黙々と溜め池や水路を切り開き、灌漑を進めてきた。

 今の長閑な風景には、そのような苦難の日々が深く刻み込まれている。住民の共同体意識は、その暗黒の歴史から涵養されてきたものであるために、極めて強固で異物混入を容易には認めなかった。


 また、アルスメニア共和国は、北側をアムラン王国、西側をヘルムホルツ共和国、南側をベルン王国と国境線で接している。

 アムラン王国は最大の食料輸出先であり、アムラン王国に通行税を支払うことで、さらにその北方にある国家にも食料輸出を行なっていた。

 ヘルムホルツ共和国はミッドランド王国の併合により、最も長い国境線で接する国となった。ただ、それ以前も山脈が途切れた先のごく限られた国境線に市場が設置されており、付き合いは意外に古い。

 ベルン王国は小国で、僅かにアルスメニアよりも面積が大きい。ただ、湿地帯を避けて国を構えたためにアルスメニアのように水資源を有効活用できず、中途半端な農業と鉱物資源の採掘に依存していた。

 アルスメニアはベルンに通行税を支払って、さらに南方の国家へ食料を輸出しているが、税の値上げ要請が年々激しくなっている。国家財政に占める通行税の割合が、次第に高まっている証拠だった。

 そして、アルスメニアの東側、ラムザール大陸のど真ん中にあるラムザ高地は、三つの大国が接する場所である。

 ここを制した国は、他国に対して戦略的に有利な拠点を構えることになるため、古来より幾多の高地争奪戦が行われてきた。

 ただ、数年前に行われた無益な大戦の反省から、現在は国際条約により緩衝地帯に設定されている。

 どこの領土とも定められていない代わりに、各国の思惑が複雑に入り乱れる不安定な場所となっており、それに隣接しているアルスメニアは余計に流入者に警戒せざるを得ない。

 現在進行形で抗原抗体反応が激しいその国に、異物の最たるものである彼らは身を潜めていた。


 *


 アルスメニア共和国とヘルムホルツ共和国――旧ミッドランド王国――に挟まれた国境線のアルスメニア側に、ホーニアという小さな村がある。

 人口は二千人程度。主な産業は農業及び林業という、これといった特色のない平凡な村だ。

 アルスメニア政府は、他国民が自国内で物資を買い付けることを禁止していたものの、商談や観光を目的とした滞在は規制していなかった。従って、市場に近い町には隣国商人が頻繁に訪れる。

 また、美しい湖を有する町は景勝地として隣国住民を引き付けて賑わっていた。アルスメニア国民の表向き穏やかだが毅然とした国民性は、ホテルの従業員に適しているらしく観光客の評価は高い。

 しかし、国交のない旧ミッドランド王国との国境線沿いにあり、市場から遠く離れ、これといった景勝地を持たないホーニアを訪れる他国の者は殆どいなかった。


 そんな平凡で長閑なホーニア村の外れにある小さな家に、十歳になったばかりのアイリス・ホーガンは父親のジェイムズ・ホーガンと一緒に住んでいた。

 褐色の肌と、よく動く大きな黒い瞳。色素の薄い亜麻色の髪を三つ編みにしており、彼女が起きている間はその髪がじっと停止していることが殆どなかった。

 朝起きたら、すぐに学校に行かなければならなかったし、学校から戻れば父親が切り開いた畑の手伝いや家事で忙しかったからだ。

 勿論、時には学校の友達と遊ぶこともある。父親は人付き合いが極端に悪い男だったが、アイリスが同じ年の子供と遊ぶことを奨励しており、その時は黙ってアイリスの分も働いていた。

 ただ、アイリスはそれが申し訳なくて、気楽に遊びに行けなかったが。

 父はかなり歳を取っていた。アイリスが彼の娘だと言うと、大抵の者は「随分と歳の離れた娘だな」と言って驚くほどである。

 その度にアイリスは背の高いジェイムズの顔を見上げたが、彼は特に何の感情も浮かべることはなかった。


 さて、その日アイリスは農作業を手伝っていた。

 気候の穏やかなアルメニアでも、この春の時期が最も穏やかで過ごしやすい。先程から農地を微風が渡り、咲き始めたばかりの野の花の香りを運んでくる。

 彼女は野菜の芽についた個蟲を取り除きながら、目の前で繰り広げられている光景を観察していた。

 それが不思議でならなかったからだ。

 アルスメニアの山間部には妖精ピクシービーストが生息しており、生まれてから一定年数を過ぎると武装妖精アーマード・ピクシー使役獣エンプロイメント・ビーストに変化した。

 主を持たない武装妖精は、魔法で強制的に自我核化することが可能である。また、主の承認なしには攻撃形態進化できない使役獣は、只の野生動物であるから捕えるのは容易である。

 彼らの捕獲を生業としている者もいて、その捕獲の様子や、軍人に従う彼らの姿を街で見かけることがあった。しかし、眼の前の彼らのような働き方をしているところは見たことはない。

 そもそも妖精は、植物の生育を助けたり、獣の世話をしたりするのが普通の姿である。しかし、人間が育てている農作物の世話をすることは、まずない。自分たちの仕事ではない、と割り切っているからだ。

 また、妖精が集まって一緒に作業をしている姿を目にすることもない。だから、妖精は個人主義の塊で他人のことなんか全然考えていない生き物だと思っていた。

 ましてや武装妖精に至っては、御主人様マスターの命令にしか従わないというのだから、さらに融通が効かない生き物に違いないとアイリスは考えていた。

 また、野生の獣は人の言葉を理解できないし、話さない。魔法で知性を得た使役獣も、戦闘のことしか頭にない利己的な生き物だ、と父親から教えられていた。

 それなのに彼女の目の前で、彼らは普通に共同作業をしている。

「さあ、今日も元気よく働きましょう!」

 赤いシャツを腕まくりした、エリイという名の妖精が明るい声を上げると、

「おう」

 と、青い作業着を着たミキというごつい顔の妖精が、太い声で応じる。

 黄色いエプロンをつけたタンポポは、既に答える余裕もないほど作物の生育状況をチェックする作業に没頭しており、その後ろに緑の帽子を被ったカオルが黙って従っていた。

 水色の手拭いで頭を覆ったノラが、いつものように何から始めたらよいのか分からずにまごまごしていたので、足元にいた黒猫のヨルが、

「ノラ、私と一緒に雑草を抜かないか」

 と誘っていた。しかし、一旦作業を始めてしまえばノラは恐ろしく手際がよい。

 その上空には毛玉のようなフワという獣が、何をするでもなく浮かんでいた。ただ、あれは雨が降ってきた時に傘代わりとなる。

 共同作業をする武装妖精と、仲間に配慮する使役獣。訳が分からなかった。

 訳が分からないと言えば、彼らの御主人様も正体不明である。

 アイリスは作物についた小さな個蟲を摘まんで袋に入れながら、初めて彼らに会った日のことを考えた。


 *


 未知との遭遇は、深夜や嵐の晩に限った出来事ではない。実際、その日アイリスがジェイムズと共に森へ薬草を採りに出かけた時、時刻はまだ昼前だった。

 昼のご飯を食べるために、アイリスが都合がよさそうな切り株や岩を探していたところ、森の奥のほうで何かが輝いたような気がした。

「父さん、あっちのほうに何か光るものがあるんだけど」

 アイリスは即座にジェイムズに伝える。日頃から父親に、

「少しでもおかしいと思うことがあったら、直ぐに父さんに言ってくれないか」

 と言われていたからである。

 その言葉を聞いたジェイムズは、急いでアイリスの傍に駆け寄ると、森の奥の方に目を凝らす。

 しばらく二人が黙ってじっと森の奥を見つめていると――


 再び何かが輝いた。


「アイリス、私の背中に隠れなさい」

 ジェイムズは落ち着いた声で彼女に言った。

 彼はゆっくりと森の奥に足を進めてゆく。それは、彼がよく見せる「気配を殺した動き」だったので、アイリスもそれを真似た。

 彼女はいつの間にか父親を真似て気配を消すことを学んでおり、最初にジェイムズがそのことを知った時には、大層驚かれた。普段冷静な父の驚きように、自分も驚かされたほどである。

 二人は息を詰めて木々の幹を伝いながら前に進んでゆく。次第に前方の様子が木々の隙間からアイリスの眼に飛び込んできた。


 そこにいたのは三体の巨人だった。


 黒くてそこら中がごつごつとした巨人が前方に立ち、その後ろに白い華奢な巨人が、同じくらい華奢な黒い巨人を抱きかかえている。

 恐らく、前に立った黒い装甲が陽光を反射したのだろう。意外に滑らかな黒は光を反射し、白は拡散させる。

「むう、生体装甲とはな」

 そんなジェイムズの声がアイリスに聞こえた。

 アイリスは生体装甲を見るのが初めてだった。

 小国アルスメニアは軍備拡張を支える資金が潤沢であったから、生体装甲の開発競争に参入したとしても問題はなかった。しかし、余所者を嫌う国民感情が生体装甲の導入を妨げていた。

 それに水郷地帯であるアルスメニアは、動きの速い水軍による縦横無尽な展開を得意としていたから、どう見ても陸戦兵器であり、輸送に手間がかかりそうな生体装甲はお荷物でしかない。

 彼らは周囲を頻りに警戒しながら、話をしていた。

「彩さん。ここはどこでしょうね」

 白い華奢な装甲から声が聞こえた。それに前方の黒い装甲が答える。

「雄一君のほうが先にこの世界に来たんだから、貴方のほうが詳しいんじゃないの」

「いやあ、僕はミツドランド王国から離れたのは初めてなので」

 その言葉で、ジェイムズとアイリスには彼らがミッドランドからの逃亡者であることが分かった。

「追っ手を振り切るために、山脈の中を無闇に走り回りましたからね。ヘルムホルツの領土でなければよいのですが」

「最期に出来る限り保存した共有概念を保存したけど、地図があっても現在位置が分からないのではしょうがないわね。ライナ姫なら知っているかもしれないけど、目を覚ます気配はないし」

 その言葉を聞いたジェイムズは、

「何だと!」

 と呟く。

 そして、驚いたことに自ら木立の陰から彼らの前に姿を現した。

 それに気づいた前方の生体装甲が、即座に腰から下げていた剣を抜く。凶悪な鋼の塊がアルスメニアの穏やかな陽光を反射して輝いた。周囲にいた武装妖精や使役獣もこちらに向かって隊形を整える。

 しかし、それに頓着することなくジェイムズは大きな声で言った。

「お前たち、今、ミッドランド王国のライナ王女の名を呼ばなかったか!」

 現れた人物が軍人ではなく、むしろ一般人であることが分かったのだろう。前方にいた生体装甲が剣を降ろして、問いに答える。

「確かにライナ姫と言いましたが、貴方は何者ですか? いや、その前に我々から名乗りましょう」

 黒い生体装甲は剣を収めると、敵意がないことを示すために腰を下ろして片膝立ちになり、言った。

「私はミツドランド王国所属の生体装甲『政宗マサムネ』の生体融合者パイロツト、安藤彩です」

 同じように後ろにいた生体装甲も片膝立ちになる。

「同じく、ミツドランド王国所属の生体装甲『神白狼ヂンパイロウ』の生体融合者、相田雄一です。僕が抱えているのは『黒神姫コクシンキ』、中にライナ姫がおります」

 それを聞いたジェイムズは驚愕した。

「王女が生体融合しただと!」

しかし、その彼の問いに答えはなかった。

 前方の生体装甲は片膝立ちの姿勢を崩すことなく、沈黙している。ジェイムズは苦笑した。

「ああ、すまない。つい興奮してしまった。私の名前はジェイムズ・ホーガン。そして――アイリス、出ておいで」

 父の呼びかけに応じて、アイリスは森から出る。そして、父の背中に隠れた。

「私の娘のアイリスだ。それから、先程の君達の疑問に答えよう。ここはアルスメニア共和国のホーニアという村だ」

「アルスメニアということは、ちょうど山脈を挟んだミツドランドの向かい側に出たということですね。よかった」

 白い生体装甲から安堵の声が漏れる。

「私はミッドランドの者ではない。しかし、ライナ王女にはそれなりの因縁がある。詳しくはここでは言えないが、少なくとも敵ではない。それで、最前の問いに戻るが、王女が生体融合したのか?」

「はい。ミツドランドがヘルムホルツの手に落ちる前に」

「アイゼンやグイネルはどうした? やつらが守っていたはずではないのか」

「彼らは――多分、死にました。後を託されたのが我々です」

 しばし沈黙が続いた。

 アイリスはじっと父の背中を見つめる。話の内容は全く分からなかったが、それが極めて緊迫したものであることだけは分かった。

 なぜなら普段、決して動揺することのない父が、彼女が気配を消した時以上に驚いているように見えたからだ。

「それで、君達はどこに行こうとしているのだ?」

 父が元の穏やかな声でそう言ったので、アイリスはほっとする。

「目的地はありません。姫を安全に保護することが出来る場所を探しているのです」

 白い生体装甲が答える。

「あてはあるのか?」

「それもありません」

「ではどうするつもりかね?」

「正直、分かりません」

 父と白い生体装甲が短くやりとりを交わす。

 そして、ジェイムズは小さく息を吐くと、驚くべきことを言った。

「では私の言うことを聞きたまえ。決して悪いようにはしない」

「お父さん!?」

 アイリスは思わず声を上げた。

 普段、決して隣人と深く付き合おうとせず、市場でも作物の取引と生活物資の調達だけに留め、他人との関わり合いを徹底して避けているように思われた父の言葉とは思えなかった。

 しかし、振り向いてアイリスの顔を見たジェイムズの眼は、いつも通りの優しいものだった。

「いいんだ、アイリス。お前にもいつか話そうと思っていることがあるのだが、彼らはそれに関わりがあるのだ」

 そこまで言った父は、再び前を向いた。

 生体装甲は沈黙している。ただ、前にいた黒い生体装甲が身を捩って後ろを振り向いていたので、どうやら父の申し出を検討しているようだ。

 生体装甲同士の受発信神経結合レシーブアンドパッシブ・ナーブコネクトを知らない彼女には、その言葉のない光景は不思議に見えた。

「非常に魅力的な申し出ですが、どうして貴方が我々を助けようとするのか、その理由が分かりません。グイネルさんやアイゼンさんとお知り合いのようですが、ミツドランドの民ではないということですし」

 前に向き直った黒い生体装甲がそう言った。

「弱ったな。それは私自身の秘密を明かすことになるのでね。ところで、君達はいつごろ転写されてきたんだ?」

「二人とも最近です。一年も経っていません」

「ふうむ、そうか。よかろう、それならば見て欲しいものがある。私の後についてきて欲しい」

 ジェイムズはそういうと、アイリスの手を引きながら歩き始めた。

 彼らの後ろに、生体装甲がゆっくりとした動きで従う。

 山歩きに慣れたジェイムズとアイリスの歩みは早かったが、流石に歩幅が違い過ぎるために生体装甲は動き難そうだった。

 巨人が足を踏み出すと地面が軽く揺れる。アイリスはその度にその巨体を見上げた。彼らが倒れてきたら、二人ともひとたまりもない。その恐れが顔に出ていたのだろうか。

 宙に浮かんでいた武装妖精の中から、赤い服を着た女の子がアイリスのほうに向かって近づいてきた。

「初めまして、アイリス様。私、雄一様の従者ジウサを務めておりますエミイと申します」

 空に浮かびながら丁寧に頭を下げるその姿に、アイリスは目を丸くした。

「えっと、こんにちわ。貴方は炎の妖精さんですか?」

「はい。火炎系武装妖精フレイム・アアムド・ピクシイです」

 そう言ってエミイはにっこりと笑う。そしてこう続けた。

「雄一様も彩様も、とてもお優しい方なので心配はございませんよ」

 武装妖精は嘘をつくことができないし、もし嘘をつくと身体が硬直して動けなくなると父から聞いていた。

 アイリスはほっとすると、自分も笑顔になって言った。

「有り難う。でも、それは全然心配していなかったわ。声が穏やかだったから。私はあんなに大きなものが倒れてきたらどうしようかと思っていたの」

「ああ、そうでございましたか。それも大丈夫です。お二人とも最高の生体融合者ですから、決してそんなことはありませんよ」

 エミイが答える。

 そのまま二人が談笑する姿を、ジェイムズは横目で見ていた。

 彼の顔色は平静のままだったが、内心では訝しく思っていた。

 ――どうしてこの武装妖精は、他人に配慮することが出来るんだ?


 目的地には落差の大きい滝があった。

「この滝の上には大規模な湧水地があり、その豊富な水が直接ここに流れ落ちている。だから、この下は大きく抉れているんだ」

 そのことはアイリスもよく知っていた。危険だから近づいてはいけないと、父に厳しく言われていた場所である。

「ここに潜ってみてほしい。生体装甲なら簡単だろう。そして、そこで見たもののことは誰にも話さないでほしい」

 父がそう言ったため、アイリスはその顔を見上げた。とても真剣な顔をしている。

 間違いない。彼女にはとても行けない滝壺の中に、父の秘密があるのだ。

 生体装甲は顔を見合わせた。そのまま暫く動かなくなる。

「まず私が行きます」

 黒い生体装甲がそう言って、滝壺に足を踏み入れた。人間だったらたやすく流されてしまうに違いない激しい流れに、その巨体はびくともしない。流れを押しのけて黒い巨体が姿を消してゆく。

 頭の先まで水面の下に消え去ってからしばらく間が開いて、再び黒い生体装甲の頭が現れた。

 彼女は何も言わない。

 黒い生体装甲が水面から完全に姿を現した後で、白い生体装甲が抱えていた似たような装甲を下に降ろすと、同じように滝に向かって足を踏み出した。華奢な姿ではあったが、やはり流れに負けることはない。

 そのまま水面下に沈んで、こちらも暫くして再び姿を現した。

 彼も下に何があるのか言わない。代わりにただ、こう言っただけである。

「承知しました。とりあえず、貴方のお世話になろうと思います」


 そうと決まれば、次に問題となるのは巨大な生体装甲で意識を失っているライナである。

 雄一と彩は自身の経験から、生体融合者の意思によらずに生体装甲者を装甲外に出す手段があることは分かっていた。しかし、それがどのようなものなのかが分からない。

「恐らく、姫が目を覚まさないのは魔法による制限が施されているからでしょう。いつかは目覚めると思いますが、それがいつかは分かりません」

 白い生体装甲がそう言って、ジェイムズのほうを見る。

「いや、私にも分からない」

 と、ジェイムズはその視線に呼応するように答えた。

 それがアイリスには何故か不自然なやりとりに思えた。生体融合者ではない父に分かる訳はない。だが、博学で何でもよく知っていたからそれを期待したのだろう、と彼女は考えた。

「そうですか、それは困ったな」

 白い生体装甲は腕を組む。そこで黒い生体装甲が話しかけた。

「あの、申し訳ないんだけど雄一君。教授プロフエサア――亜里沙ならば知っているのでは?」

 その声に逡巡があることにアイリスは気がつく。

「そう、ですね。彼女ならば知っているかもしれませんね」

 白い生体装甲の言葉にも僅かに不自然な間があった。

 アイリスは父親を見上げる。すると彼も怪訝な顔をしていた。

「ちょっと待っていて下さい。聞いてきますから」

 そう言うと、白い生体装甲は地面に横たえられた生体装甲の横に跪く。そして、しばらくの後に、

「分かりました。緊急排出用のコードがあるそうです。それを使うと暫くは生体装甲の起動が出来なくなるそうですが、戦闘中ではありませんから構わないでしょう」

 と、彼が言った。

 そして、その声に悲しみの色があるのをアイリスは聞き逃さなかった。

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