第三話 疑心暗鬼(サスピション)
「また戦場に来てしまった。何でだろう」
佐伯琴音は
「ミッドランドが駄目になっちゃったから、自分も御役御免かと思ったんだけどなあ」
そんな愚痴を溢していても、身体は自然に動く。
『白蓮』は右から左へと両刃の直刀を薙いだ。
目の前にいた騎馬兵の上半身が、血飛沫の航跡を残して左へ飛び去る。
下半身は馬に似ているが毛並みの長い
そのまま刀を旋回させ、赤い
その衝撃で妖精の身体は四散し、霧のように肉片と体液が舞い散った。
(琴音、集中!)
(はあい)
と琴音は返事をしつつ、左上腕部を撫でられるような感触と共に『白蓮』を左に旋回させる。
背中では劉の『
正面から襲ってきた攻撃系使役獣を真っ向唐竹割りする。
獣は左右に分かれ、血を『白蓮』にたっぷりと浴びせかけてゆく。
個蟲との
「帰ったら洗わなくちゃいけないや」
左上腕部の感触が継続しているので、更に左旋回。
背中を押される感覚にあわせて前方に足を踏み出し、刀を突き出す。
ボルザ歩兵がその勢いで断ち割られ、血飛沫を上げた。
項の毛を引かれるような感触と共に後退する。
後方から複数の叫び声。
『龍』が一気に何人かのボルザ兵を掃討したに違いない。
それが合図であるかのように、周囲を取り囲んでいた兵は引き潮のように後退を始めた。
『白蓮』は刀を下段右に据えて、滑らかに左旋回し続ける。
『龍』も同じ構えで、滑らかに左旋回し続けているに違いない。
そうやって三百六十度を見渡しても、もう骸以外転がっていない戦場の中央で、二体は
そこに
(敵兵敗走、追尾無用につきヘルムホルツ兵は撤収されたし)
それでやっと死の輪舞は止まり、代わりにつむじ風が残った。
*
「こんな時に申し訳ない。ミツドランド王国が崩壊した以上、我々が闘う意味はなくなったと思うんだが」
「まあね。俺達もそんな気分じゃない。それに今ここで『ミッドランドの踊る双子の死神』を相手にしたいとは思わないのでね」
「ほう、そんな呼び名は初めて聞いたよ」
「最近流行り始めたやつだからな。で、あんた達はこれからどうするつもりなんだ。『神白狼』と『政宗』は最期まで王国に殉ずる勢いだけど」
進藤は生体装甲『
「そこで相談があるんだが――」
劉は大きく両腕を広げた。
「俺達をヘルムホルツの生体装甲部隊の責任者のところまで案内してくれないかな」
「売り込みか?」
「そういうことだ」
「そいつは……まあ、結構なことだ」
進藤は途中で言葉を飲み込むと、社交辞令に切り替えた。
「俺達も大きな痛手を受けたばかりだから、責任者は喜ぶだろうよ」
「それでは宜しくお願いする」
「ああ、それじゃあ一緒にきな」
『韋駄天』は踵を返して、遥か彼方まで後退したヘルムホルツの前線に向かって歩き始めた。その後ろにアーノルドの生体装甲『ターミネーター』が続き、『龍』と『白蓮』が従う。
そして、琴音は『白蓮』の中で黙って考え込んでいた。
――何も相談はなしか。
別に琴音が何か他の案を持っていたわけではないのだが、一言、
「琴音はどうする?」
と聞いてほしかった。雄一ならば絶対にそうしただろうし、彩ならば雄一が勝手に決めようとした途端に、激怒していたに違いない。しかし、自分と劉の関係はそんなものではなかった。
劉は当然のように琴音が自分の決定に従うものと思っていたし、琴音も劉の判断したことだから仕方がないと思っていた。その間にある微妙な温度差は、時間が経てば解消される。
これまでそうしてきたし、これからもそうなるだろう。琴音もそのほうが楽だし、間違いはないし、安全であることが分かっている。
――でも。
この時は何故か釈然としなかった。
視界の隅にモミジが浮かんでいることに気づき、琴音はそちらに目を向ける。モミジは下を向いていたので表情は全く分からなかったが、琴音には彼女が泣いているように思えた。
モミジが雄一の従者に潜り込むことになったのは、劉の指示である。
負の影響から解放された直後、彼は自身の人脈をフルに活用して暗躍し、新しく転写されてきた少年の従者に他人の従者を紛れ込ませる、という荒業を成し遂げた。
彼自身の従者は顔が知れ渡っていたので使えない。そこで、前回の戦闘で従者を失った琴音が、モミジと契約した直後だったことを利用した。
教授はそもそも他の人間の動向には淡白であったし、雄一は転写直後で右も左も分からない。本来の
「彼の従者になったつもりで傍に仕え、その指示に従うこと。そして、正体がばれそうになったり、こちらの指示があった際には即座に離脱すること」
という指示を与えれば、モミジが雄一の傍に従っていても何とか
どうやら劉はライナ王女にもその謀を進言したらしく、王女の横槍で無理は通っていった。
途中、御主人様の意識を読み取ることが出来ないはずのモミジが、雄一の意識に返答してしまったことがあったが、事情がよく分かっていない雄一は気が付かなかった。
それが最大のミスであり、他は違和感なく進行し、最終的に戦闘モードに移行する直前、レールガンの直撃に紛れてモミジは離脱した。正確には衝撃波に意識を吹き飛ばされて、結果的に離脱した。
誤算だったのは、モミジの意識である。
劉は最初からそんなことは問題にしていなかった。琴音も、劉がその点に言及しなかったために見過ごしてしまった。
モミジと琴音が二人だけで話をすることはもちろん可能だが、表向きは雄一の許可を受ける必要がある。琴音と雄一はさほど親しくないから、勝手に話していると不審に思われる。
そのため、途中経過の報告は受けていなかった。遠目で、モミジの元気そうな姿を確認していただけである。それで安心していた。任務が順調だから元気なんだと考えていた。
ところが、最初のレールガン騒動が収まった後で彼女の元に帰還したモミジの姿を見て、琴音は愕然とした。
モミジは、自分の裏切りが生みだした結果に打ちのめされて、全身を小刻みに震わせて、顔面を蒼白にしていた。
「御主人様、私……私……」
禁忌に抵触するためにその後の言葉が続かない。しかし、琴音には分かった。
モミジは雄一や仲間の武装妖精と一緒に戦いたかったのだ。それが禁忌に触れる行為だとしても。
モミジは雄一の傍にずっといたかったのだ。それが禁忌に触れる行為だとしても。
そして、モミジは考えるだけでも禁忌に近いその思考から、暫く抜け出すことができなかった。琴音が励まし、近距離から徐々に外出可能な距離を伸ばしていったからこそ、復帰できたのである。
それでも、途中でモミジが新しい雄一の従者に出会い、モミジが雄一に教えたという歌を聞いた時は、かなり危なかった。その後、モミジは一晩中泣き続けていたほどである。
モミジがやっと外出に慣れ、戦場に連れ出すことが出来るようになっても、琴音は雄一から極力距離を置こうとした。彼の眼が届くところにモミジを置くことを、避けた。
それでもやはり、モミジと雄一の進路は重なってしまったのである。『喰人・訶梨帝母』の触手を断ち切ったモミジの火炎は、いつも以上に鋭く、いつも以上に激しかった。
「モミジ、大丈夫?」
琴音は声をかけてみる。
モミジは顔を上げた。彼女は泣きながら笑っていた。
「御主人様、これでもう私はこそこそとしなくてもよいのですね。琴音様の従者として正々堂々と雄一様の前に立っても宜しいのですね」
「……うん、そうだよ。よかったね、モミジ」
「有り難うございます、御主人様」
笑ってそう言いながらも涙を流すモミジを見つめながら、琴音は心の中に痛みを感じていた。それは羨望だった。
――どうして彼はここまで従者の心を引き付けることができたのだろう?
*
ヘルムホルツ共和国軍の駐屯地に戻ると、『白蓮』から降りた琴音は武装妖精に指示を出した。
「ヒイラギ、いつものように洗って頂戴ね」
「はい、御主人様」
人間だと二十代前半の青年に見える氷結系武装妖精のヒイラギは、実直な執事のように丁寧に頭を下げた。
「ヒマワリはその後でこびり付いた汚れを落として頂戴」
「はい、御主人様」
人間だと四十代後半の女性に見える雷撃系武装妖精のヒマワリは、実直な召使のように丁寧に頭を下げた。
土石系武装妖精はミッドランド決戦で失って未補充である。ヒイラギとヒマワリが動く姿を眼で追いながら、琴音は考えた。
――二人とも、最初のうちはこんな感じではなかった。
ヒイラギは気のいいお兄ちゃんタイプだったし、ヒマワリは保育園の先生のような穏やかさだった。そこに惹かれて従者に選んだはずなのに、今は下僕のように畏まっている。
今までその繰り返しだった。琴音が選んだ従者たちは、最初のうちこそ瞳を輝かせていたが、次第にその光を失って、最後には死んだ魚のようになってゆく。
これは、琴音が彼らを酷使するからではなく、劉の従者と始終行動を共にしているために、その影響を受けてしまうからだった。
モミジだけが、その影響を受ける前に雄一の贋従者となり、戻ってきた。そして、彼女は未だに個性を失うことはない。
――この違いは一体何なのだろうか。
劉の従者は完全に下僕である。自由意思を持たない作業者で、決まりきったことを完璧にこなすように教育される。
判断は必要ではなく、指示に対する迅速な反応と遂行のみが求められるので、彼の従者は常に指示待ち待機状態にあった。
名前も代々、
最初のうちは個性的な後任は、一ヶ月もすれば前任と変わりない姿に見えるようになった。
機能的で合理的なシステムである。しかし、全く楽しそうには見えなかった。
仮に劉にそう言ったとしたら、彼はこう答えるだろう。
「戦争の道具に感情はいらない。銃が自由意思を持っていたら危険じゃないか」
それはその通りなのだが、琴音は最近になって疑問を抱き始めた。
――そもそも武装妖精は戦争の道具なのかな。せめて、同じ部隊に所属する部下と思ってはいけないのかな。
戦争をするためには、そこまで感情を失わなければいけないのだろうか。
と、そこまで考えて琴音はあることに気がついた。
そもそも現役中学生から転写された自分が、どうして戦場で敵兵を蹂躙することに違和感を感じなかったのかが分からない。
初期の転写者の中には、そのハードさに耐えかねた者が続出したと聞いている。しかし、自分や自分の前後に転写された者達ではそんな話は聞かなかった。
地球では道端にある猫の死骸にすら涙した自分が、ボルザでは人間を殺傷している。いくらここが戦場で、相手は自分を殺すかもしれない敵であるとはいえ、抵抗感を抱かないほうが不自然だ。
例えば、今日掃討した相手は旧ミッドランド王国の敗残兵である。各地に散った者達のうち、恭順に応じない者達をしらみつぶしにする作戦だった。
この間まで守る側だった相手を、今では無残に蹂躙している。この矛盾を昔の自分だったら我慢できたはずがない。しかし、今の自分は自動的に殺傷している。
戦争をするために、どうして自分はそこまで感情を失うことができたのだろうか。
「どうかしましたか、御主人様」
今ではすっかり落ち着いたモミジが、琴音の顔色が悪いことを心配してそう訊ねてきた。
「いや、なんでもない。大丈夫だよ、モミジ」
琴音は強張ってはいたものの、笑顔で答える。
「そうですか。安心しました」
裏読みすることのないモミジは、言葉通りにとらえて微笑んだ。
――そう、この間合だ。
琴音はモミジの顔を見つめた。
モミジは最初のうち不思議そうな顔をしていたが、それが次第に微笑みに変わってゆく。琴音が考えていることを邪推する様子は、全く見られない。
「ねえ、モミジ。質問があるんだけど」
「はい、何でしょうか。御主人様」
「もし、私が今、貴方を食べようかなと考えていたとしたら、貴方はどう思うのかな」
「そうですね。ええと、御主人様がそんなことを考えるはずはありませんが、もし考えたとしたならば何か深い事情があるはずですよね。そして、そうすることが最終的に御主人様のためになるのでしたら――」
そこで彼女はひときわ大きく笑って、言い切った。
「食べて頂くことになる、と思います」
琴音の胸が、きしりと痛んだ。
初めてヘルムホルツ陣営で、生体装甲から外に出た時のことである。
「御主人様、こちらをどうぞ」
と言いながら、モミジが装甲の隙間に収納されていた衣を差し出してきたので、
「どうも有り難う」
と、琴音はいつもの通りに礼を言った。
すると、その会話を琴音に背中を向けて聞いていた進藤が、羨ましそうな声で質問してきた。
「なあ、ミッドランドの武装妖精は何か特別な訓練でも受けているのか?」
「そんなことしてないよ。それに、モミジは前の戦争の時に他の国の部隊から移ってきた武装妖精だし」
「おっかしいなあ……」
進藤が頭を掻く。
「もう着替えたから、こっち向いても大丈夫だよ」
「そうかい、じゃあ面と向かって聞くことにしようか」
振り返った進藤は一瞬「あれ?」という顔をした。
「子供で悪かったわね」
琴音が睨むと、進藤は顔を赤くしながら謝る。
「いや、悪い悪い。こっちの世界じゃ見た目に何の意味もないことは分かっているんだが、大抵は大人だからね。ちょっと意表を突かれたんだ」
「……まあ、仕方がないけどね」
琴音は機嫌を損ねたように横を向く。しかし、内心は動揺していた。確かに、少年少女を戦場に駆り出しているのはミッドランド王国ぐらいだ。
進藤は苦笑いしながら話を続けた。
「実は、さっきの戦闘でミッドランドの『神白狼』が動けなくなった時、やつの従者が御主人様の指示なしで、勝手に防御態勢を整えちまった。しかも、御主人様を守るために必ず一人ずつ喰われて時間をかせぐように、だとよ。泣かせる話なんだが、武装妖精がそうまでして御主人様を守ろうとした話は聞いたことがない。俺は、言わなきゃ何もしないのが武装妖精だと思っていた。安藤彩が『彼の従者は特殊だ』と言っていたけどよ。あんたの従者も言う前から自分で動くじゃないか。だから、ミッドランドの従者は特殊で、他の国にそのノウハウを隠しているのかと思ったんだよ」
「ああ――」
琴音は絶句した。
進藤は、琴音の表情の変化に慌てる。
「あ、何か不味いことでも言ったかな。いや、極秘事項だったら無理に言えとは――あ、俺は一応敵だったっけ? それとも今は味方だから問題ないのか?」
混乱する進藤を見て、逆に琴音は我に帰る。彼女はくすりと笑った。
「だから、秘密なんか何もありません。ただ、この子は暫く雄一君の傍にいたことがあるんです」
「ああ、だから縁を切るとか何とか、そんな話をあいつはしたのか。ふうん、何か失敗でもして従者契約を解除されたのか? 見たところ気の利く武装妖精だけど」
進藤がモミジに向かって質問をしたので、琴音は慌てた。モミジは正直だから、あったことをそのまま話しかねない。
「いえ、そんなことはないんです。ただ傍にいただけなので」
「ふうん。その慌てようは怪しいなあ。しかも、天下の安藤彩があんなに熱心に後ろを追いかけているのに、あの男は気がつきもしない。ひょっとして変態か? 妖精に悪戯するとか――」
「雄一様はそんなこと致しません!」
琴音が制止する余裕すらなかった。
そう断言したモミジが力を失って落下する途中で、琴音はやっとのことで受け止める。進藤はあまりのことに唖然としていた。
「おい、やっぱり何か隠しているんじゃないのか」
そう思われても仕方がない。契約外の御主人様に口ごたえする武装妖精なんて、前代未聞だ。
琴音は劉がやってくるまでの間、しどろもどろになりながらの受け答えに追われて、重要な点について考える暇がなかった。
劉が進藤を「雄一君は実は動物に好かれるタイプでね」等々、上手く言いくるめてくれたので、琴音は安堵した。
途端に先程の進藤の言葉の中に捨て置けない部分があったことを思い出す。
「それはそうと、あなた、さっき聞き捨てならないことを言ったわよね」
琴音の態度が急変したために、進藤は後ずさりながら言った。
「お、おう。そうだったっけ?」
「い・い・ま・し・た。何ですか、AAが雄一の後を追いかけているなんて実に失礼です!」
モミジを衣の懐に大事に収めながらそう言い切った琴音は、再び前を向いて驚いた。
劉と進藤が同じような顔をして、驚いている。しかも二人は同時に言った。
「「何、お前気がついていなかったの?」」
*
――どうも今日は、思考が行きつ戻りつして定まらない。
琴音は自室の布団に寝転んで、ぼんやりと天井を眺めた。ボルザに転写された途端に生理がなくなったので、思考の混乱はそのせいではない。
そういえば『訶梨帝母』は出産寸前だったというから、生理がなくても妊娠はできるんだなと考える。やはり、思考にまとまりがない。途切れがちな集中をかき集めて、原因を考えてみる。
答えは簡単に出た。
雄一だ。いや、正確には劉だ。
彼が転写された途端に、琴音の生活は激変した。それまでは劉の指示に従っていれば、何も心配することなく生きてこられた。面倒なことは何もなかった。
雄一がやってきた直後から劉の様子が変わった。彼は強引に事を進め始め、琴音からモミジを借り受けるとボロボロにして戻した。そのことを謝罪する様子はなかった。それで気がついた。
――劉さんは私が役に立つ存在だから大事にしているんだ。
恐らく、琴音が要らなくなったらたやすく棄てて、劉は他のものを探すに違いない。
そんな疑心暗鬼が琴音の心に巣食い始めたのは、それからだった。
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