第五話 秘密組織(シークレット・オーガニゼーション)
その時、ヴィルーダカは
若返った天帝は応接セットの一方に座って、興味深そうに目の前の男の話を聞いている。
話をする男も楽しそうな顔をしていたが、ヴィルーダカが天帝の眼を通じて見ている彼の瞳は、決して笑ってはいなかった。
「ヘルムホルツ共和国の
男は笑わない瞳をしながら、明るい声で天帝に告げる。
ヴィルーダカは『シャクラ』専用の共有概念と
天帝も、こと報告事項に関する情報はヴィルーダカに見せようとはしない。それは、彼女を陰惨な闇の世界に引き込むまいとする天帝の配慮だと分っていたものの、ヴィルーダカは何とはなしに悲しかった。
戦闘担当であるヴァイシュラヴァナ、ヴィルーパークシャ、ドゥリタラーシュトラも向こう側にいて、ヴィルーダカは僅かに天帝の武装妖精として彼らと連絡を取ることができるに過ぎない。
そのため、他の三人は一緒にいると何かとヴィルーダカに配慮してくれたが、ぼんやりとした疎外感はなかなか消えなかった。
それでも天帝、ヴァイシュラヴァナ、ヴィルーパークシャ、ドゥリタラーシュトラの四人だからこそ、この状況を我慢することができているのだと、ヴィルーダカは自覚している。
他のチームであれば、ここまで居心地は良くなかっただろう。
笑わない男の話は続く。
「最近になって部隊編成が大幅に刷新されました。『
「ふうん。やっぱりミッドランドから投降した新参者だから、かな?」
「いえ、そうではありません。彼らの実力はその声を消し去るほどに圧倒的です。むしろ、あまりにも格が違い過ぎるために、ヘルムホルツの叩き上げ達は物が言えなくなっています。『龍』の劉早雲に」
「ほう」
ヴィルーダカは興味深そうに眼を輝かせる天帝の様子を、執務室の片隅、天井の隙間から覗いている目を通じて把握した。
天帝の
従って、執務室にいるヴィルーダカは、天帝から受け取る情報、ピープからの情報、共有概念からの情報、他の仲間達との神経結合、そして稀に提供される『シャクラ』情報を、切り替えながら参照していた。
中でもアムラン王国の
また、たまに天帝が
天帝は直接接続ができないため、ヴィルーダカを端末として情報を閲覧することになるから、その時は結構な負荷がかかる。それでも、今までヴィルーダカの能力を超えたことはなかった。
「自分の視覚情報を持たないことが、その余裕を生み出しているかもしれない」
とヴィルーダカは考える。そして考えると哀しくなるのだが、それを表に出すことはなかった。
彼女は淡々と天帝の求めに応じて情報を処理し、彼に提示した。ヴィルーダカがやろうと思えば、天帝が閲覧可能な情報を制御することもできるだろう。勿論、彼女がそれを試みたことはない。
男の話は続く。
「確かに『訶梨帝母』は部下からも恐れられていましたが、それは彼女の戦場での攻撃力に対してであって、普段の彼女はむしろ部下に優しいかった。なので、戦場から離れた時には心から好かれていました。劉早雲は攻撃力を恐れられていると同時に、普段の規律統制が殊更厳しいことでも恐れられています。彼の指導によって、確かにヘルムホルツの生体装甲部隊は全体的に戦闘力が向上しました。大陸でもその戦闘力は上位にあることでしょう。しかし、部隊内では怨嗟の声が巻き起こっています。しかし、彼は全くそれを気にしていない。嫌ならば敵になればよい、と言わんばかりの態度です」
「双子の片割れはどうなんだい。『白蓮』は女の子だと聞いているけど」
「佐伯琴音ですね。今、劉早雲に面と向かって何か言えるのは、彼女と進藤浩二ぐらいでしょう。劉もヘルムホルツ入りを仲介した進藤には恩義を感じているようですから」
「佐伯さんは今の状況をどう考えているのかな」
「それが……実はよく分からないのです。佐伯はあまり劉や進藤以外の人間と話そうとしません。進藤配下の女性隊員、ミルドとミルドレットとすら、日常会話以上の話はしていません。むしろ――」
ここで、笑わない男が少しだけ戸惑った表情を見せた。
「どうした?」
「――いえ、佐伯は自分の世話役とよく話をしています」
ヴィルーダカには男の微妙な顔の意味がよく分った。
兵士にとって武装妖精は武器であり、道具である。戦場で自分の命に危機が迫った時には、その場に放棄するのも厭わない、ただの「もの」である。実際、視界を失った直後にヴィルーダカは見捨てられた。
その武装妖精と頻繁に話をするというのは、ボルザ兵には「特殊な趣向の持ち主」に見えるのだ。
そういう意味では天帝も特殊な趣向の持ち主なのだが、彼は人前で武装妖精と懇意にしている姿を見せなかったし、ヴィルーダカもその点は心得ていて、人前では常に後ろに下がっている。
そのため、『シャクラ』所属の配下ですら彼とヴィルーダカの関係を理解していなかった。
配下ではない者になると、影でこんなことを言う輩もいる。
「目が見えないから、覗き屋にはいろいろと都合が良いのだろうよ」
この『覗き屋』というのは、天帝を嫌悪する者達が彼につけたあだ名である。
*
笑わない男が退出した途端、天帝は伸びをして足を前にあったテーブルに投げ出した。
「彼もまだまだだね」
と言って、彼はヴィルーダカにむかって微笑む。その「見えてる」ことを前提とした仕草が、ヴィルーダカにはとても嬉しい。
「必要な感情を自然に表に出すことが出来ていないし、必要のない感情を自然に消すこともまた出来ていない」
「そうですね。私にもそれが分かりました。有り難うございます」
ヴィルーダカは礼を言った。なぜなら、彼女は自分が望むものを自由に見ることができないからだ。
あの男の瞳の件も、天帝がわざわざそこに注目していたから分かったことである。それに対する礼だった。
そして、天帝はそのような礼を受け止めて、軽く受け流してくれる。
「ああ。それで、ヴィルーダカは今の話のどこが気になった?」
陰惨な話からは極力遠ざけようとする割に、さほどでもない話の時には意見を求められることが多い。ヴィルーダカは少しだけ頭を傾げると、
「お話の中では佐伯さんのことが少し気になりました」
と、思ったことを素直に口にした。これは、天帝の世話係になってから出来るようになったことで、それ以前は自分の意見を表現することがなかったし、求められたこともない。
「僕もそうだよ。もしかしたら彼女も気がついているかもしれないね」
天帝はそう言うと、再び大きく伸びをした。
しばらく二人がとりとめもない会話をしていると、執務室のドアがノックされた。
「失礼します」
男がドアを開けて中に入って来る。
外見は旅の商人。中年に差し掛かった顔はすっかり日に焼けており、人懐っこい笑顔が浮かんでいる。
「ご無沙汰しておりました」
男はそう言うと、天帝の前にある椅子に腰を下ろした。
天帝は脚の上に肘を置き、両拳を握り合わせると、上体を前に倒して言った。
「やあ、ギルモット。そろそろ来るころじゃないかと思っていたよ。どうだい、アルスメニアの住み心地は?」
「なかなかですね。さすがに金のある国は余裕があっていいです」
男は背中を椅子の背もたれにあずけて、にっこり笑う。
「特に食べ物が美味いのがいい。長居すると太りそうです」
「そうかい。そいつは結構なことだね」
天帝も笑いながら言った。
表面上は極めて当たり障りのない会話だったが、ヴィルーダカの拳に力が入る。
先程の笑わない男とは違い、ギルモットは非常に優秀で、表に見える彼の表情は完璧に内面を覆い隠している。
言葉通りのことを考えているとは限らないものの、それが外見からはまったく窺い知れない。
天帝直属の部下の中でもひときわ優秀な男。
ボルザ人として天帝に仕えている工作員の中で、最も天帝が信頼を寄せている男。
「ギルモット」という名前すら本名かどうか定かではない、得体の知れない男である。
ヴィルーダカは部屋の隅の方に移動し、彼からは死角になる位置で止まった。恐らくギルモットはそのことを察知しているはずだが、やはり表情には何も現れなかった。
「それで、歩き回っている最中に面白い話を聞きつけたんですけどね」
ギルモットはのんびりとした声で言った。
「アルスメニアの旧ミッドランド王国国境線沿いに、ホーニアという村があるんです。小さな、特にこれといった特徴のない村なので、いままで我々の探索の網にかかったことがなかったんですが、そこに娘と一緒に住んでいる男がおります。どこか他のところからやってきた男で、無口で愛想がないものだから、あの閉鎖的な国の中では逆に自然に景色の中に溶け込んで、今では警戒されている訳でもなければ、受け入れられている訳でもないんだが、まあそこそこ真面に生活を営んでいます」
「ほう。そいつは面白い」
天帝の目が輝いた。
「でしょう? で、その男の娘が街でよく買い物をするようになった。まあ、日用品が主なんですけどね。いままで自給自足が中心で、めったなことでは買い物をしなかった親子が、マーケットで布を大量に買い込んだそうです。それこそ三人分の服が作れそうなぐらいの量で、中には値の張る布地もあったそうです」
「ますます面白い」
「私はそれを村の外れにある食堂にいた時に耳にしました。旦那持ちの布屋の女将が、情夫である仲介人相手に『もう少し上物の布は手に入らないかしらね』と言っていましたよ」
そこでギルモットは堪えきれないといった様子で笑った。
「脛に傷もつ身の二人は、色恋沙汰以外になると日頃の反動か、大きな声になるもんですな」
「それで、確認はしてみたのかい」
「いえいえ、急いては事を仕損じるというやつです。とりあえず今回は放置して、服が出来上がった頃合いになったところで、探りを入れてみます」
「さすがだね。普段と違うことをした相手は警戒しているのが常だからね」
「お褒めに預り光栄です」
そう言って二人は笑った。
と、そこでギルモットの右腕が無造作に振られる。
同時に天帝が組んでいた拳を解いて、左腕を軽く外側に振る。
小型のナイフが光を反射しながら、壁に突き立った。
「相変わらず反応が早いですなあ」
ギルモットが感心したように笑う。
「君の動きもこの前よりはよかったよ」
天帝が笑う。
この、一見暴挙にも見えるギルモットの振る舞いは、従前からの約束によるものである。
ギルモットは、何時いかなる場所であっても天帝の隙をついて攻撃してよいことになっていたし、それによって天帝を斃した暁には彼がシャクラの長官に就任することが決まっていた。
天帝は、同じ約束をシャクラの他の工作員三名と結んでいる。そしてこれは、国王も承認済みの案件である。
「いえ、私もまだまだですな。ではこれで」
ギルモットは椅子から身軽に立ち上がると、ヴィルーダカのほうを向いて一礼し、口笛を吹きそうな様子で部屋を出ていった。
「ヴィルーダカ」
天帝が彼女の名を呼んだ。その声は配慮に満ちていた。
「毎度のことながら心配させてごめん」
「……大丈夫です。それに、これは御主人様が必要だと考えてお決めになったことですし」
そう言いながらも、ヴィルーダカの身体は僅かに震えていた。
彼女は約束の存在を天帝から教えられた際に、同時に「僕が斃されても決して報復はしないように」と命じられていた。しかし、もし本当に彼に少しでも危害が加えられた時、ヴィルーダカは
その思考の余波が残って、彼女は軽い禁忌抵触の症状を示していたのだ。
「本当は隣の部屋で待機してもらったほうがよいのだけれど、それはそれでヴィルーダカには負担だろうし。さあ、こちらにおいで」
ヴィルーダカはピープの視点を利用して天帝のほうに漂ってゆく。彼は両の掌をあわせて待ち受けていた。ヴィルーダカはその上に静かに舞い降りると、ゆっくりと横になる。
天帝の掌から温もりが伝わってきた。
いつもと変わらない彼の生を感じる。
ヴィルーダカの心は次第に落ち着きを取り戻していったが、彼女は頬を天帝の掌に押しあてたまま、しばらく身動きしなかった。
天帝は何も言わない。しかし、彼が微笑んでいることをヴィルーダカは確信する。
二人だけの時間が穏やかに流れていった。
*
その翌日から、天帝は生体装甲『インドラ』への搭乗を日課とするようになった。
これまで、国家間の本格的な戦争の場合には『インドラ』をフル活用していたものの、それ以外の時には触りもしない有り様で、メンテナンスも完全に
そのため個蟲の補給すら不十分である。以前緊急出動した際には定期補充の狭間であったため、装甲の一部が剥離したことがあると、ヴィルーダカはドゥリタラーシュトラから聞いたことがあった。
「ただ、その状態でも敵を一切寄せ付けませんでしたよ」
と、ドゥリタラーシュトラは自慢げに補足していた。
世話係のヴィルーダカとしては、天帝の身体が毎日万全な状態になることを意味しているので喜ばしい限りなのだが、一方でその必要性のことを考えると心が重くなる。
なぜ毎日『インドラ』に乗るのか――それはどう考えても先に待つ戦闘に備えるためだ。
天帝自身は好戦的な人物ではない。自ら進んで戦場に赴くことは殆どなく、むしろ諸般の事情で巻き込まれて行かざるをえなくなることのほうが圧倒的に多い。
その天帝が自らの意思で戦闘準備を始めたことに、ヴィルーダカは不安を感じる。つまり、相手は準備が必要になるほどの強敵だからだ。今まで、そんな相手はいなかった。
今日もヴィルーダカの目の前で、巨大な生体装甲が立ち上がる。
(じゃあ、ヴィルーダカ、行ってきます)
「お気をつけて。御主人様」
すっかり
ヴィルーダカはその後ろ姿を見送る。
陽光の中に足を踏み出した『インドラ』は、一瞬の輝きを放つ。
それはいかにも神々しい姿だったが、ヴィルーダカは悲しげな顔で呟いた。
「まだ神様になるのは早いです……」
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