第七話 軍神変化(マルス・ミューテーション)

 進藤浩二は困惑していた。


「そもそもお前が連れて来たんじゃないか。それに、やつはお前には頭が上がらないようだから、お前の話なら聞いてくれるんじゃないか? だからちゃんと言ってやってくれよ」

 目の前の男は、口ではそう懇願するように言っているが、明らかに頭から湯気を上げて怒っている。進藤が軽く頭を振って、

「そんなに困っているんだったら、自分で直接言えよ」

 と突き放したように言うと、男は恨めしそうな目で進藤を睨んだ。進藤は溜息をつく。

 ――今月に入ってこれで一体何人目だろうか?

 確かに、ミッドランド攻略戦により至高の存在であった『訶梨帝母ハーリティー』を失い、俄かに弱体化したヘルムホルツ共和国生体装甲部隊に『踊る双子の死神』を連れ帰ったのは、彼である。

 高性能で知られるミッドランド王国生体装甲部隊の中でも、その卓越した戦闘力で名高い『双子の死神』がすんなりと味方になったことは顕著な功績であり、当初はそれを高く評価する声が多かった。

 しかし、進藤自身は別に何をした訳でもない。

 単に劉に「連れて行ってくれ」と言われたので連れて行っただけのことである。そして、その後の展開を予測していた訳でもない。従って、次第に高まる怨嗟の声に彼は戸惑わざるをえないのだ。


 *


 編入直後、『ミッドランドの踊る双子の死神』は『ヘルムホルツの踊る双子の軍神』と呼ばれた。

 敵にとっては死神であっても、味方にとっては軍神である。むしろ、彼らが死神であった過去のことを忘れたい。そんな集団心理の現れなのだろうか、誰が言うともなくそう呼ばれた。

 そして、その軍神の片割れである劉早雲リュウ・ソウンは、ミッドランドの残党掃討戦で桁違いの実力を存分に発揮した。

 彼はミッドランド軍の悪癖を知り尽くしていたから、その制圧に抜群の働きを見せたとしても別に不思議なことではない。ではないのだが、その際のやり口がえげつないために進藤は納得がいかなかった。

 昔の戦友が相手である。当初は「劉が土壇場で裏切るのではないか」とまことしやかに囁かれていたし、それほどではないにしても「最初に降伏勧告ぐらいはするだろう」と思われていた。

 ところが、彼はそんなまだるっこしい手段は一切とらなかった。正面突破に無差別攻撃、むしろ降伏を叫ぶミッドランド兵を蹂躙することすら厭わない。

 それはボルザ人兵士に対してだけではなく、主を失い無力化した武装妖精アーマード・ピクシー使役獣エンプロイメント・ビーストに対してもそうである。

 いや、それどころかほんの少し前までは同じ部隊で共に戦っていたはずの生体装甲に対しても同様で、相対したミッドランドの残党は等しく彼の円月刀で無慈悲に切り刻まれた。

 まるで以前からミッドランド王国そのものを憎んでいたとしか思えない彼の所業は、たちまちのうちに旧ミッドランド王国の残党に伝わる。

 それは、戦場で『ロン』の姿を目にしたミッドランドの残党がヘルムホルツ兵に庇護を求めるほどの過酷さであったから、本格的な抵抗は最初のうちだけで、後はほぼ無抵抗だったと言える。

 そして、その苛斂誅求さで劉は即座にヘルムホルツ生体装甲部隊の中での地位を確固たるものとした。

 遠藤はその過程で劉にこう問うたことがある。

「恨みは十分に晴らせたのか?」

 ところが、劉は意外そうな顔をした。

「恨み? ああ、例のおかしな噂のことね。私は別にミッドランドに遺恨なんかないよ。単にこうしたほうが攻略が早くなると考えただけだ。それに、ミッドランドに未練がないことの証明になるからね」

 そう、彼は愛想よく言い切った。

 確かに論理的に考えれば劉の言う通りなのだが、それを実践出来る者はそれほど多くはない。

 劉は進藤に恩義を感じているらしく、進藤に対しては極めて愛想良くフランクに振舞うものの、そんなこともあって進藤は劉を今ひとつ信用できなかった。


 さて、ミッドランド王国の併合が完了すると、その後しばらくの間は統治機構を整備することに国家権力はやっきになる。

 そのため侵略戦の機会が減るので、劉も実力を発揮する機会が失われることになる。従って、劉も少しは大人しくなるだろうと進藤は考えていたのだが、それは大きな勘違いだった。

 劉は日頃の訓練の中で、圧倒的な実力差を見せ始めた。

 そしてそれは、これまでのヘルムホルツのやり方が「幼稚園児のお遊戯の練習」だと言わんばかりの圧倒的な差であった。

 さすがに力技では『訶梨帝母』に及ばないものの、『龍』の技の速さと鋭さには『訶梨帝母』と互角か、それをしのぐほどの勢いがある。

 さらに『白蓮ビャクレン』とのコンビネーションになると、なんとか動きについていくことが出来るヘルムホルツの生体装甲は、進藤の『韋駄天イダテン』とその配下の『四神獣』しかいない。

 比較の対象が『訶梨帝母』という最高峰であったがために相対的に評価されることがなかったが、実は進藤と『四神獣』はかなりの手だれである。

 特に進藤はこれまで『訶梨帝母』の副官という位置にいたために余計に目立つことがなかったものの、ヘルムホルツ生え抜きの生体装甲の中では抜きん出た実力を持っている。

 それを知る者からは高く評価されているのだが、大半の者は彼の実力を知らなかったので、常に曖昧な位置づけに収まっていた。

 そもそも進藤自身、前面に出ることを好まない。

『訶梨帝母』からは、

「あんたの実力なら、部隊をひとつ運用することも楽勝だと思うんだけど」

 と、始終苦笑混じりに言われていたのだが、

「姐さん、そいつは俺の柄じゃないですよ」

 と、切り返すのが常であった。

 一方、劉はそもそも『踊る双子の死神』として有名であり、敵軍にもその名は恐怖の感情を伴って知れ渡っている。

 加えて彼は戦場で常に前面に躍り出てくる。それはあたかも両軍の兵に、一番効果的に戦闘の成果を誇示できる位置を維持しているように進藤には見えたし、実際に最大限の効果を発揮した。

 なにしろ、本来であれば進藤が推薦されるはずの部隊長後任の位置が、自然に劉に渡っていたほどである。

 それは、新参者であっても適材適所、実績を重視する民主主義的なヘルムホルツ軍を象徴する出来事だった。


 権力を掌握した劉は、ヘルムホルツの生体装甲部隊に過酷な訓練を課すことにした。

 ミッドランド王国の生体装甲部隊は「各自の自主性に任す」という名目の放任主義をとっており、他の国の部隊も概ね似たようなものだったが、ヘルムホルツは『訶梨帝母』の頃から日々の訓練を怠らなかった。

 それゆえ集団戦闘に強さを発揮し、ヘルムホルツの領土拡張に寄与してきたのである。

 ただ、『訶梨帝母』は隊長として極めて魅力的であり、味方にはとても頼りになる親分肌の人物ではあったのだが、教育者としての才能は皆無に等しかった。

 そもそも彼女は、理論的に考えて動くことよりも、繰り返し修練して身体の隅々にまで刻み込んだ本能で動くタイプである。感覚的な天才肌であったから、それを他の者に伝えようとすると、

「まず右腕をこう、がーっと勢いよく斜めにぶちこんでだな。いやいや、そうじゃなくてこうびしっと。だからそうじゃなくて……」

 と、万事がそんな調子になる。

 しまいには言葉の前に拳が出るようになるから、それに馴れてなんとか最後までついていくことができた隊員は、進藤と『四神獣』だけであった。

 他の兵は途中で自ら断念したに過ぎないし、『訶梨帝母』も全体の能力向上よりは少数先鋭を好むから、彼らには適当に訓練メニューを与えて、直属の五名を徹底的に鍛え上げた。

 だからこそ彼ら五人の実力が、部隊の中で抜きん出ていたのである。


 劉はそうではなかった。

 彼は個人として優秀だったが、戦闘教官としても非常に(ある意味、非情に)優秀であった。

 部隊全体の能力向上を重視し、一人のミスは全体の責任として罰を科した。個人の感情や判断よりも、命令への絶対服従と確実な履行を求め、逸脱した者には制裁を下した。

 それは近代的な部隊運用として当然の事ではあるものの、そもそも生体装甲に搭乗している地球人は軍属ではない。非常識とも思えるほどの過激な訓練に、ヘルムホルツ兵は息も絶え絶えになる。

 ところが、彼らから苦情が出たことはなかった。

 なぜなら『踊る双子の死神』のもう一人である佐伯琴音が、同じ訓練メニューを楽々とこなしていたからである。

 どう見ても中学生ぐらいの年齢である琴音に出来ることが、自分には出来ない――それを認めるのは、破竹の勢いで領土を拡大している最中のヘルムホルツ兵にとっては恥である。

 時に『喰人』となる危険を侵しそうになりながらも、彼らは訓練に耐えた。


 しかし、彼らは単純な事実を知らなかっただけなのだ。


 劉や琴音の生体装甲は、ミッドランドが培った技術による機能強化が施され、さらに共有概念に過去から蓄積されてきた公式剣技が反映されている。新興国であるヘルムホルツの生体装甲にはそれがない。

 ただそれだけの差であり、違いがあって当然と言えばそれまでのことなのだが、劉は琴音にもその事実を厳重に秘匿させた。

 さらには、「ミッドランドではさらに過酷な訓練を行っていた」と思わせるためにも、劉は殊更に琴音とヘルムホルツ生え抜きの兵を競わせ、ヘルムホルツ兵の無意味な誇りを効果的に刺激し続ける。

 それで、劉に面と向かって抗議出来ない者達は、進藤に対して苦情を申し立てることになったのである。


 *


「はああ――今日も頭がおかしくなるほどきつい訓練だったね」

 ミルドは頭をタオルで拭きながら、妹のミルドレットにそう言った。

「まったくだよ。今度の部隊長様は真性のサディストだね。見て興奮しているんじゃないの」

「ああ、そうだね。しかも、その割には不能インポテンツっていう」

「いるいる、そういうの」

 二人は共通の誰かを思い出したらしく、実に楽しそうに笑い出す。進藤はその声を聞きながら、いつものように頭が痛くなるのを感じた。

 ミルドとミルドレッドは北欧出身の一卵性双生児である。進藤も、ミルドの右乳房上方にある小さな黒子以外で彼女達を区別することはできない。

 金髪碧眼に透き通るような白い肌。

 十代後半の未成熟な肢体とあどけない表情。

 一見すると妖精かそれに近い存在のような容姿であるが、性的にフリーで、別に全裸で歩き回ることをなんとも思っていない。

 黙っていればそれこそ天使にしか見えないのだが、口を開けば悪魔側の存在であることが分かる。

 今もシャワー後のほのかに色づいた身体を露出させながら、下世話な話で笑い転げている。古典的な貞操観念を持つ進藤のほうが困惑するほどである。

 それは彼女達の出自が影響しており、世の中の闇の部分を見続けてしまったがためのことであった。彼女たちは自分達の身体を商品としか思っていない大人の中で育ってきたし、その世界の共通語を話す。

 それゆえ『訶梨帝母』は彼女達を殊更に鍛えた。

 地球で過酷な人生を送ってきた二人が、この世界で更に辛酸を舐めることになることを避けたかったのだろう。その思いは双子に伝わり、『訶梨帝母』と彼女達は強固な絆で結ばれていた。

 だからこそ『訶梨帝母』が喰人化した時に、進藤は二人を戦場から遠ざけた。『訶梨帝母』が信頼した副官である彼の命令を、二人はあらん限りの罵倒の言葉と大量の涙を吐き出した後、やっと受け入れた。

 いや、「副官だから」という理由だけではない。

 進藤以外の言葉であれば、上官といえどもミルドとミルドレッドはその命令に従うことはなかっただろう。進藤は、『訶梨帝母』とは別な意味で彼女達から信頼されていた。

 進藤は酔っ払った二人に挟まれ、全身を撫で回されながら、こう言われたことがある。

「私たちのことぉ、最初から変な色つきの目で見なかったのはぁ、姐御とシンちゃんだけなんだよねぇ」

「そうだよぉ、だからぁ、姐御とシンちゃんだけは別だよぉ」

「ただねぇ」

「うん、そうなんだよねぇ」

 その時、二人はとろんとした目を見交わして、笑いながら言った。

「「別な意味で、変な目で見てもらっても構わないのにぃ」」

 どうして双子が自分のことを気に入っているのか進藤には分からない。地球にいるほうの彼は、今でも恋愛関係とは無縁な三流大学の非常勤講師として底辺であえいでいることだろう。


 進藤が溜息をつき、ミルドとミルドレッドが頭の痛くなる会話を続けている隣では、『朱雀』カヒミが正座をして心気を整えていた。

 彼女はアフリカ大陸中央部の少数民族出身である。

 ボルザに転写された当初、あまりの世界観の違いに混乱し、誰からも何も教えられないまま勘だけで生体装甲との生体融合バイオ・アタッチメントを成し遂げ、暴走していたところを『訶梨帝母』に止められた。

 しかも、生体装甲が身動き出来なくなった途端に、それを抜け出して全裸で『訶梨帝母』とやりあったというから恐れ入る。結局は『訶梨帝母』にぼこぼこにのされて、それ以来、彼女の忠実な部下となった。

 進藤には「副官は私と同じだと思え」と『訶梨帝母』から言われて従っている面がある。

 そのため、『訶梨帝母』が喰人化した時、進藤の指示を聞かずに飛び出すかと思ったのだが、彼はその前に『訶梨帝母』が言った「全員、至急この場から退避しろ」という指示に従った。

 今も生前の『訶梨帝母』の指示に従って、進藤の配下にいる。

『訶梨帝母』に心酔しているという点では、ミルドやミルドレッドと同じだから、三人は共通の上官のもとに結束していてよさそうなものだが、ミルドとミルドレッドはカヒミのことが苦手だった。

「あの子、変な目で見るどころか、まったく興味なさそうな目で見るんだよね」

 ミルドレッドがそう言っていたが、確かにカヒミは特定の人間以外に関心を持つことがない。

 進藤も気軽に世間話が出来る間柄ではないものの、共通の趣味に関しては別である。


 随分と前のことになるが、進藤が格納庫の傍らで小さい頃から続けている柔道の練習をしていたところ、その様子をカヒミが珍しそうに見つめていたことがあった。

 彼女が物事に興味を持つのは稀であったから、進藤が、

「やってみたいのか?」

 と訊ねると、

「はい。私が知っているものとはかなり違うようなので」

 と、これまた珍しいことに素直に答える。そこで進藤は先に釘を刺した。

「こんなものを覚えても、生体装甲同士の戦闘では殆ど役に立たないぞ」

 実際問題、生身の時に襲撃されたのであれば話は別だが、剣と魔法が主流の生体装甲による戦闘で、素手での格闘技術を習得していることはあまり意味をなさない。それは進藤自身が転写後暫くの間、戦闘のたびに嫌というほど味わっていた。

 まず、相手と組み合った途端に、後ろから魔法攻撃の集中砲火を浴びることになる。

 それに、締め技や関節技を使っても、神経結合ナーヴ・コネクトを切断されたらお終いである。

 それで、関節を外すなどして生体装甲にダメージを与えたとしても、すぐに自己修復されてしまう。

 投げ技のような悠長なやり方では、致命傷を与えることすら出来ないのだ。 

 しかし、それでもカヒミは即座に答えた。

「構いません。技そのものよりも心のありように興味があるのです」

「実用性がなくても構わないというのならば仕方がないが、しかしなあ……」

 進藤がなおも躊躇うのには理由がある。

 いかんせんボルザには畳が存在しない。一人で形の練習をするだけならば問題はないが、二人で乱取りをするとなると普通の地面か、良くて芝生の上ぐらいしかない。

 進藤は女性を地面に叩きつけることに大いに躊躇いを覚えたが、それについてもカヒミは、

「生体装甲の中に入れば、すぐに治るじゃないですか」

 と、全く問題にしなかった。

 結局、カヒミに押し切られた進藤は、彼女に柔道の手ほどきをするようになったのだが、意外にそのことが他の件で役に立った。カヒミは柔道に関することについては進藤を師匠と認識して、積極的に話しかけてくる。

 進藤は『訶梨帝母』の副官として、どうやって取り付く島もないカヒミと良好な関係を築けばよいのか困っていたので、それが柔道を通じて達成できたことが有り難かった。

 ただ、カヒミは柔道の素質があったらしく、暫くすると彼女のほうが実力は遥か上になってしまった。進藤が教えることは何もなくなってしまい、組み合っても投げられるのは進藤のほうだけになる。

 そうなると、さすがのカヒミも遠慮するようになり、一緒に練習することは少なくなってしまった。

 たまに疑問点を訊ねてくることはあったが、通常、彼女は彼女なりの極意を見出すべく修行中で、今もその工夫をあれこれと頭の中で考えているに違いない。

 それに、カヒミには現在、柔道以外にも興味を引かれているものがある。

 その稀有な存在が、控え室のドアを開けて中に入ってきた。


「いやあ、まいった。盛大に嫌味を言われてしまいましたよ」


『玄武』アーノルドである。

 米国公認会計士の資格を持つ彼は、裕福な黒人家庭に生まれて、有名大学を卒業し、四大会計事務所の一つに就職して、高給を稼ぎ出していたところを転写された。

 普通、そうなると己の不幸を呪いそうなものだが、生まれつき楽天的で享楽主義者の彼は、即座に現状を受け入れて、生体装甲部隊の女性はおろか、ボルザ人の女性にまで声をかけまくった。

 さらには武装妖精にまで愛を囁きかねない勢いであり、いつ使役獣の雌に手を出すか進藤が危ぶむほどである。先日の戦いで、進藤がアーノルドに対して彩との会話を禁じていなかったら、彼は戦場で彩を口説こうとしたに違いなかった。

 そのため、あちらこちらから苦情が山のようにやってくるのだが、彼は全く動じなかった。

「だって、それで上手くいったらラッキーじゃないですか」

 彼が昔、進藤に対して言い放った言葉である。

 今日もその件で劉に呼び出されて、今まで注意を受けていたらしい。劉の辛辣な物言いに全くダメージを受けない人物を、進藤はアーノルド以外、見たことがない。まるでカーボンナノチューブ並みの強靭な神経である。

 どうしてこんな軽率な男にカヒミが興味を持つのか分からないが、戦闘状態になっていない時にアーノルドから声をかけられると、カヒミは面白いほどに挙動不審になる。

 共有概念のどこからそんな可愛らしい仕草を仕入れたのか分からないほどの恥じらいを見せる。

 だから、二人の周囲にいる人間は、

「いっそのことさっさとくっつけばいいのに」

 と思っていたのだが、それについてアーノルドはこう言い放った。

「だって、簡単すぎるのもつまらないじゃないですか」

 それを直接聞いたミルドとミルドレッドは大いに憤慨していたが、進藤の見解は異なる。

 アーノルドはその場にカヒミがいないことを充分にわきまえて、そう発言したように進藤は感じた。

 そして、その発言により周囲の人間がカヒミに対して、

「あんな馬鹿はやめておきなさい」

 とアドバイスするであろうことを期待しているように見えた。むしろ、あまり身近すぎる存在と親密な関係になることを、アーノルドは意図的に避けている節がある。

 その点について、『訶梨帝母』は常々こう言っていた。

「アーノルドは女好きの癖して、自分が好きな女を泣かせるのが大嫌いなんだよ。だから、自分が先に死んでも誰も悲しまないように、ああやってせっせと声をかけまくっているんじゃないかな。本当に繊細で不器用な男だよ」

 進藤も実際はそんなところだろうと考えている。


 アーノルドはミルドとミルドレッドに睨まれていることを毛ほども気にすることなく、嬉しそうに二人のほうを凝視しながら、進藤に言った。

「で、進藤さん。劉さんがお呼びですよ」

「――なんで?」

「俺が知るわけないじゃないですか」


 *


 劉がいる隊長室に向かって歩きながら、進藤は以前から気になっていたことを改めて考えていた。

 専門が国文学である彼は、ボルザで自分達が話している言葉が気になって仕方がない。

 転写された地球人達は、概念共有で言語変換がシームレスに行われていると考え、違和感を受けることもなく馴染んでしまっているが、そんなことはありえないのだ。

 例えるならば、それはいきなり辞書を渡されて「さあ、もう外国語を喋ることができるよね」と言われているのに等しい。逐語訳は出来ても概念が理解できなければ、会話は成立しないのである。

 特にカヒミのような少数民族の言葉であれば、概念共有に必要な語彙が蓄積されるまで時間がかかるはずであり、それによって進藤が話を理解できるようになるまでは、さらに時間がかかる。

 にもかかわらず、カヒミは転写されてすぐに『訶梨帝母』と言葉を交わした。今では英語を自由に話すことが出来る。さら、ヘルムホルツの共有概念に接続を切り替えた劉と佐伯も、最初から違和感なく英語を喋った。

 つまり、概念共有が通訳しているわけではなく、頭の中に概念を含めた言語体系そのものが伝達されていると考えられるのだ。

 ――だとしたら、とんでもない話だ。

 情報インフォメーションだけでなく知性インテリジェンスを伝えることが出来るということは、洗脳が可能だと言っているようなものである。


 そこまで考えたところで、進藤は劉の部屋の前に着いた。

 思考をそこで切り上げると、嫌々ながらドアをノックして、中に入る。

「お忙しいところわざわざお呼び立てして申し訳ございません」

 劉は、言葉通りの申し訳なさそうな顔で出迎えた。

 進藤はそんな劉の対応を眼にするたびに、

 ――こいつ、絶対にわざとやっている。

 と感じずにはいられない。それほど進藤に対してのみ殊更にフランクに接してくる。

「アーノルドから、あんたがお呼びだと言われたんだが」

 進藤のほうは逆に、ぶっきらぼうに応じた。これはわざとである。劉のペースに付き合うつもりはないという意思表示だ。

「はい、実は進藤さんに是非お願い致したいことがありまして」

 劉はまったく動じることなく、余計に下手に出てくる。

「実は、情報屋から耳寄りな話が入ってきたんです。なんでもミッドランドの残党を見つけた、とか」 

「ミッドランドの残党? 俺には直接関係ないじゃないか」

「それはその通りなんですが、まあ、ちょっと話を聞いて下さい。私が個人的に情報屋を雇って、ミッドランドの残党狩りをしているのはご存知ですよね」

「……まあ、噂は」

「噂ではなく事実です。それで、そのうちの一人から情報提供がありました。ただ、その情報屋というのが斡旋業者も素性を知らない連中らしく、実績も全くないらしい。そこで『情報の真偽のほどが分からないうちは、報酬を払うわけにはいかない』と伝えて貰ったところ、『それなら事実確認のために誰か派遣しろ』と言われました」

 そこで劉は話を区切った。進藤は全く意味が分からない。

「やはり話が見えない。だから、何で俺なんだよ」

「その相手が、どうやら安藤彩らしいのです。確か進藤さんは安藤さんと面識がありましたよね」

 劉は表向き楽しそうに笑っているが、その目が笑っていないことを進藤は確信していた。これは劉の牽制に違いない。喰人騒動の時のことは何でも知っているぞ、という意味だろう。

 進藤は顔色を変えないように意識しながら、劉の問いに答えた。

「話をした程度の間柄だよ。まあ、見たら本人かどうか分かると思うがね。しかし、だったらお前か双子の片割れが行けばいいんじゃないか?」

「私と佐伯さんでは問題があるのですよ。考えてもみて下さい。旧ミッドランドの人間同士が密かに会っていたなんて話になったら、どう利用されるか分からないじゃありませんか。その点、進藤さんなら問題はありません」

「にしてもだ、安藤彩なら他にも知っている奴は大勢いるだろう?」

「それはそうですが、今回は進藤さんが適任なのです。なにしろ、場合によっては安藤さんと直接話をする必要があるのですから」

「……お前、一体何を企んでいるんだ?」

「そんな、企みだなんて――」

 劉は、悪魔が人間に契約を促すような調子で言った。

「――私はこれでも人助けのつもりなんですよ。違いますか、進藤さん」

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