第十二話 四月朔日の休日

 東京都世田谷区に、国内有数の小児科専門病院がある。

 病院の他に、研究機関と寄附によって建設された保護者宿泊施設が併設されており、国内の難病患者の受け入れを行なっている。

 四月朔日は病院に一番近い私鉄の駅と病院の間に住んでおり、平日の朝は駅側、休日の朝は病院側に歩いた。その日は一般的には平日だったが、今度の土日に別件が入ったために四月朔日は代休を取っていた。

 足は自然に病院側に向かう。

 威圧的な壁のない、非常に開放的な病院の敷地に入る。建物のエントランスまでの間は花壇が整備されており、これから待ち受けている現実を和らげようと努力している。

 エントランスから入っていつも同じことを考える。

(どうしてこんなに病気の子供が多いのだろう)

 平日の病院は、患者である子供たちと付き添いの親であふれかえっている。この病院に通院が必要ということは、多少の差こそあれ、全員が何らかの重大な疾患を抱えていることになる。

 例えばクレチン症。これは早期に投薬治療を開始すれば、その後は疾患があることが見た目では全然分からない。しかし、投薬治療を怠ると甲状腺の機能障害が牙を剥く。

 成長ホルモンが分泌されなくなるため、以降の成長が抑制されるのだ。

 病院で知り合った母親は、出産一か月以内の血液検査で疾患が発見され、生後一か月の頃から通院を始めたという。

「まだ乳児だった娘が、血液採取されるたびに泣き叫ぶのが辛かった」

 と、既に小学生となり、クラスでも背の高いほうだという娘と顔を見合わせていた。

 シリアスな病気になると、それはもう際限がない。

 

 *


 四月朔日は高層階にある入院病棟へと向かった。

 エレベータを降りるとすぐ目の前に受付と扉がある。記名してロッカーの鍵を受け取る。

 扉の向こうはロッカーになっており、外から着てきた衣類はすべて脱いで収納する。化粧も不可。全裸のままでシャワー、滅菌槽、乾燥という行程を経て、やっと室内着と帽子を渡される。

 それに着替えて、やっと娘――四月朔日琴美のところに行くことができるのだ。それでもクリーンルームの外までが限界だが。

「ママ、こんにちわ」

「こんにちわ、コトちゃん。今日はいかがかしら」

「悪くはないわ」

 クリーンルーム内の琴美は、一切の外出が認められていないために肌は白いものの、それ以外は至って健康そうに見える。しかし、実際は外の世界ではまったく生きることができない。

 原発性免疫不全症の中でもきわめて稀なケースである。保育器から我が子を出すことができないどころか、病院から出すことすらできない。

 通常は母体内で死亡することが多いが、娘の場合は次第に免疫力を失っていくタイプであり、生まれはするものの外の世界では生きていけない。

 ――そう説明された時、私は医師がなにを言っているのか全く理解できなかった。

「ママ、今回は覆面怪盗ショコラ・デ・トレビアンと特級探偵スノウ・マウンテンの出会いを語りましょう」

「出会うのですか」

「そうです。二人は出会ってしまうのです」

 娘はまだ六歳。普通ならば小学校に通学している年頃だ。それなのに狭い世界の中で物語だけを楽しみに生きている。

 物語の構成を見ていると、知能の発達は非常に優れており、感受性も豊かで、実体験できない世界を想像力だけでなんとか体験して補い続けている。

 外への渇仰――これは覆面怪盗の盗み出す隠された財宝の数々に投影されているようだ。

 四月朔日は彼女が興奮しながら語る姿を微笑みながら見つめる。赤らんだ頬や大きな黒目は、彼女がとても楽しんでいることを表している。

(これでは足りない)

 贅沢なことだとは理解している。難病認定されていることで、入院費用や生活にかかる費用の大部分が国費負担となっている。

 でも、これで満足しろというのであれば断固として抵抗する。こんなもので満足なんかするものか。いつか娘をこの手で抱いてみせる。

 そして思うのだ。

 こういう休日も悪くない、と。

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