第五話 課題
講演が終了した後、生徒会役員と神条との懇談会が準備してあった。校内新聞や市民タイムスへのネタの提供という大義名分を準備してあったが、もちろん最終目的はそれではない。
冒頭で早速私は謝る。
「さきほどはすいませんでしたぁ」
神条はにこにこと私の平謝りの姿を眺めている。
「謝る必要はありませんよ。むしろ、高校生なのによく長野県内の登山者数なんか即答できたものだと感心しました」
「この子は”山の安全の申し子”なんです」
生徒会長が茶々を入れる。
「ほう。なかなか素晴らしい呼び名ですね」
「今年の生徒会の活動方針として、長野県を訪れる登山客の安全について考えることになったのは、彼女の発案なんです」
「そうですか。それは私どもとしてもありがたい限りです」
そう言いながら神条は私のほうを向いて言った。
「まさか、あんなに小さかった御嬢さんが、こんなに立派になっているとは思いませんでした」
部屋の中が一瞬静まる。
私も唖然とした。
「あ、あの、ご親戚かなにかですか」
常に冷静沈着な副会長が、一番先に正気に戻って言った。
「いえ。まったく血のつながりはないと思いますよ。質問に答えて頂いてから、ずっと引っかかっていたのですが、やっとさきほど思い出しました。四年ほど前に救助活動中のドライブインで挨拶した御嬢さんでしたね」
驚きの声があがる。今度は会長が突っ込んだ。
「あの、まさかと思いますが、お会いになった方はすべて記憶されているのですか」
「いえいえまさか。全員は無理ですが少しでも会話したことがある方ぐらいでしたら」
そう言うと、神条は澄ました顔で冷たい麦茶を飲んだ。
私は下を向いて、必死になってうれし涙が浮かびそうになるのを抑え込んでいた。わき腹が少し痛かった。
*
懇談会は和やかに進み、終了予定の時間が近くなってきた。途中、さすがに一年生という立場とこれまでの所業を弁えて、私は殆ど発言をしなかったのだが、最後の最後に会長が私に、
「なにか質問ある?」
と、とても優しい声で囁いた。私は一番聞きたかったことを声に出した。
「あ、あの、すいません。長野県の山岳救助隊に入隊したいのですが、どうすればよいので――」
力が入りすぎて語尾がかすれる。
なんだか周囲の視線が優しい。実は後で聞いたのだが、私を除いたその場の全員が「神条の講演会」を実現させるために私がすべてを仕組んだらしいことに気がついていたらしい。
神条も微笑んでいたが、姿勢を正すと、真顔になって言った。
「長野県警の山岳遭難救助隊員になるためには、もちろん長野県警の警察官採用試験に合格する必要があります。また、採用されてすぐに山岳遭難救助隊に配属されることはありません。例えば大学を卒業してから採用試験に合格した場合を考えてみましょう。最初に警察学校に入校します。それから六ヶ月間は初任科研修を受けることになります。その後、警察署で三ヶ月間の職場研修。再び警察学校に戻って二ヶ月間の初任補修科研修、再び警察署での四ヶ月間の実戦実習と、合計で十五ヶ月間の採用時教養を受けることになります。高卒の場合はこれが二十一ヶ月間ですね。その後、交番勤務となります。ここまでは全員共通です。この後、山岳救助隊志願者は、警察署地域課の実務経験後に機動隊に配属されます。機動隊の中で山岳救助隊員に指名され、ロッククライミング等の山岳救助訓練を実施しながら、数年の山岳救助経験を経た後に航空隊や各警察署に配属されます。もちろん、希望すればなれるというものではなく、欠員が出て、それまでの実績がないと指名されません。希望者多数で、しばらく交番勤務ということもあります。また、勤務先に一時間以内で到着できるところに住む、休日も行き先を届け出るなど、日常生活にも制限があります」
予想以上に厳しい。
さらに神条は続ける。
「さきほどはあまり生々しいことは言いませんでしたが、長野県警察山岳遭難救助隊の活動費予算は、年間二百万円程度です。登山用具は消耗品ですし、不具合が生じる前に買い替えなければなりません。安全性とスピードを考えれば、最新装備が望ましいこともあります。ところが、活動費だけでは装備さえ充分に揃いませんから、隊員は自腹で必要な用具を購入することがあります。また、新人が先輩からのお下がりを使っていることはよくあります。これが現状なのです」
神条は真剣な目で私を真正面から見つめた。
「もちろん、体力的にも相当ハードです。並みの根性では耐えきれませんが、それでもなってみたいですか」
私はおなかに力を入れて言った。
「なりたいです。私は神条さんのような、人を助ける正義の味方になりたいです」
(あれ)
そう話しながら、私は少しだけ違和感を受ける。
神条は少しだけ表情を曇らせた後、すぐにあの日の面影と重なる表情で笑った。
「ずいぶんと高く持ち上げられてしまいましたね」
恥ずかしそうな顔をする。そして、制服から何かを取り外すと、
「それではこれを差し上げましょう」
と言って、差し出した。私は勢いで神条が差し出したものを両手で受け取る。ころんとした感触。置かれた小さな金属の塊を見つめると--山岳救助隊の隊員バッチだった。
「えっ、こんな大切なもの受け取れません」
「あ、心配しなくてもいいですよ。古いのをずっと使い続けていたら怒られて、新しいものに交換することになっていたんです」
「でも――」
「ずいぶんとよく勉強しているようですし、意志も固そうなので、私からはさほど付け加えることはないのですが。そうですね――」
神条さんはそう言って少しだけ黙り込む。
「――それならば、少し考えて頂きましょうか」
「はい。なんでも結構です。頑張ります」
両手を握りしめて勢い込んだ私を見て、神条さんはまた、ごく僅かに寂しそうな顔をした。
が、すぐにいつもの重厚な笑顔に戻ると、言った。
「カンビュセスの籤について、考えて頂けますか」
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