マーメイド

その1

 真っ青に晴れ渡った空の下、金の光を浮かべた海が網目状に広がっている。


 海面から吹きつける風はどこか甘く生臭い。べたべたと毛に絡みつく潮風を嫌がり、トローは広場に置かれた、もりを捧げ持つ聖人像の腕にぶら下がったまま顔をぬぐった。


 白いヴェールを押さえて、フェリは眩しい街並みを眺める。

 高台にある広場からは、鮮やかに輝く白い家々と青い海が見渡せた。


 壁に囲まれた崖上の街は要塞のように厳ついが、夏の太陽のまっすぐな光に洗われ、開放的に栄えている。防水性を考え、白い漆喰を塗られた街並みは訪れる人々の目を楽しませた。

 広場から見降ろせる漁港には、今まさに大型船が帰港したところだ。船底にしまわれた魚達が網で持ちあげられると、零れ落ちた数十匹が銀色に輝きながら甲板上を跳ね回った。

 太い縄を引く船員達の動きはきびきびとして、力強さに溢れている。


 視界いっぱいに広がる光景の全てを見回して、フェリは囁いた。


「素敵な街ね、クーシュナ。どこもかしこもきらきらしてる」

「冬になればこういう街ほど陰鬱いんうつに沈むものだがな。この海も空も天候に恵まれた日だけだろうよ。まぁ新鮮な魚介はたらふく食べられそうだが。我が花よ、魚は好きか?」

「私はタコが一番好き」

「お前のことが、ちょっとたまに我にはよくわからぬのだな」


 森を抜け、バジリスクの予言に怯えていた村を訪れた後、フェリ達は川を進む船に便乗し、日数をかけて海辺の街に辿り着いていた。夏は深まり、空は青く晴れ渡っている。


 薄暗く、静かな山々では味わえない鮮烈な光と開放的な空気に、フェリは目を細めた。そのまましばらく石畳の美しい広場で休んだ後、彼女は座っていた聖人像の台座から立ちあがった。パタパタと飛んできたトローが、そのヴェールにペトリと張りつく。彼女はナナカマドの杖を手に、傾斜が急な階段を降り始めた。


「一体どこへ行こうというのだ、我が花よ?」

「海へ。ここなら海にしかいない幻獣に会えるはずだから、海岸を回ろうと思うの」

「仕事熱心なことよなぁ。迷路のごとく、この街は無駄に入り組んではいるようだが、まぁどの階段を下っても大抵は海辺に辿り着けるであろうよ。転ばぬように気をつけることだ。まぁ、転んでもこの我には余裕で受け止められるが………ん?」


 そこで、急にクーシュナは言葉を止めた。フェリも異変を察し、耳をそばだてる。どこからか風に乗って、竪琴の音色と女性の歌声が聞こえてきた。柔らかく耳をくすぐる声にフェリは思わず呟く。


「……………なんて美しい声」


 その歌声には蜜をたっぷりたたえたただれた花か、れすぎた果実のような一歩間違えば毒に変わりかねない危うい甘さがあった。声は聞く者の耳に舌で愛撫されるかのような快感を与えてくる。刺激が強すぎたのかふらふらと酔ったようになり、トローはフェリのヴェールからずり落ちた。それをフェリははしっと受け止め、頭の上に戻してやる。


 しばらく歌に聞き惚れた後、フェリはある結論をだした。


 かんばしい酒のようなこの声は、人のものではありえない。


「マーメイドだ」


 音を追って、フェリは歩きだした。迷路のように入り組んだ階段を、彼女はひたすら降りて行く。途中三つに別れた道で迷いかけたが、音を探って歩き続けた。


 やがて階段は断崖に沿って崖裏へ回っていく、細く寂れたものとなった。左手に岩壁の迫る急な石段をフェリは辿って行く。徐々に潮の匂いが濃くなり、波音と歌声、そして繊細な楽器の音が近づいてきた。フェリは思わず首を傾げる。


「………竪琴の音?」


 人魚は人の楽器を弾かないはずだ。不思議に思いながらも、石段を降りきったところで、急に彼女の目の前は明るくなった。フェリ達の前には、三日月形の狭い浜辺が広がっている。満潮になれば沈んでしまう場所なのか、濡れた砂の上には海藻や流木、色とりどりの貝が取り残されていた。



 そして間近で寄せては砕ける波の上には、裸体の乙女が横たわっていた。



 海に半ば隠されたその下半身には、虹色にきらめく魚の尾がついている。その隣で、岩に腰掛けた青年が竪琴を弾いていた。栗色の前髪のかかった焦げ茶の目は、愛しそうに人魚マーメイドに向けて細められている。だが、彼はフェリ達に気づくと動揺したように弦を弾き、演奏を止めてしまった。彼はじっとフェリの蜂蜜色の瞳を見つめる。


「君は………」


 急に若者は黙りこみ、恐ろしい勢いで立ちあがった。彼は竪琴を胸に掻き抱き、砂浜を蹴る。若者はフェリの横を危うくすり抜け、階段を駆けあがっていった。

 その反応に戸惑いながらも、フェリは残された人魚に顔を向けた。美しく豪奢な金髪を揺らし、人魚は不機嫌にフェリ達を見返した。宝石のような青の目をいらだたしげに歪め、彼女は肉厚な唇を開いた。


「日に焼かれていない肌に、海風に洗われていない髪をしているのね? 私の豊かな水から遠い地の者が、ここに一体何をしに来たというの? あなたのせいで、私のいい子が行ってしまったわ」

「失礼しました。決して、お邪魔をするつもりはなかったのです。私は幻獣調査員のフェリ・エッヘナ。あなたは美しき海の歌い手、人魚マーメイドとお見受けします。よろしければ、この海での生活について少し………っ」


 フェリが言い終わる前に、人魚は意外なほどの力強さで尾をしならせ、激しく海面を叩いた。彼女はフェリの顔に大量の海水を跳ね飛ばすと、唇を尖らせた。


「知らないわ。さっさと行ってしまいなさいな…………あら?」


 驚きに、人魚は大きく目を見開いた。彼女は意外だとでも言いたげな表情を浮かべる。

 フェリの前には、小さく薄い闇の盾ができていた。兎頭の異形、クーシュナが表面に油膜の張ったような複雑な輝きを見せる黒色を掲げている。不機嫌に細められた彼の赤い目を見あげ、人魚はくすりと笑った。


「あら闇の王様。あなたがただの少女をかばっているなんて、まぁなんておかしなこと」


 白い手を胸に添え、わざとらしく恭しいお辞儀をするとマーメイドは身を翻した。彼女は尾を力強くしならせ、青く輝く波間に潜っていく。


 人魚がいなくなったのを確かめると、クーシュナは指を鳴らした。紙が破けるような音をたてて盾は消滅する。ある意味兎らしく不機嫌にカツカツと足を鳴らす彼を見あげ、フェリは礼を言った。


「ありがとう、クーシュナ」

「うむ、まぁ当然のことよ。礼などいらぬわ」

「あなたって有名だったのね?」

「まぁ………うむ、それなりに、な。うむ。広まっておるわ。まぁ、だが、別に気にすることではないぞ。我は有名であろうとなかろうと、変わらずに我故な。我は我で、お前は我のお前で、小僧っ子は小僧っ子だが………ところで、知らぬうちに貴様はどうやら大惨事であるな?」


 クーシュナがそう声をかけると、空中を羽ばたいていたトローは不機嫌な顔で振り返った。盾の前に飛びだしたせいで、彼はずぶ濡れになってしまっている。その首筋をひょいっと摘みあげ、クーシュナは呆れた声をあげた。


「そんな顔をするな。盾の前に飛びだされて、どうかばえと言うのか………うむ、見事な濡れ蝙蝠こうもりよ。おい、怒るな、怒るな。故意に貴様だけをかばわなかったわけでは決してないぞ。顔面に小さい脚で蹴りを入れてくるでない。おいこらっ、いたいわっ」

「ごめんね、トロー。私をかばおうとしてくれたのね。うーん、べたべた。宿屋で水とふく物をいただけるといいけど………ほら、こっちにおいで」


 フェリはトローを掌に載せ、クーシュナを伴って歩きだした。彼らは狭い階段をゆっくりと昇っていく。後には、濡れた灰色の砂浜と、寄せては返す青い波だけが残された。

 

 ――――――――――ぱしゃりっ


 不意に、水面から美しい顔が覗いた。長い金髪を海藻のように漂わせながら、人魚は晴れの日の海と同じ青い瞳で、じっと遠ざかるフェリ達の背中を見つめる。



 ――――――――――ぱしゃんっ

 そして、彼女は再び波間に消えた。


                   ***


「すみません、この子が海で濡れてしまって。水とふく物をいただけませんか?」


 フェリがそう頼むと宿屋の女将は金ダライと水差し、布をこころよく渡してくれた。


 フェリは客室の床に金ダライを置き、トローを載せると丁寧に真水をかけた。彼女は白い指で優しくトローを洗っていく。だが、すすぎ終えると、今度は一転して力強く、子供の髪を乾かすように布でふいた。目を回し、トローは床の上にぱたりと倒れる。


 フェリは微笑み、室内を見回した。海の匂いのする部屋は、まるで難破船の客室だ。開けっ放しの窓からは爽やかな光と海風が入ってくる。黄色く色褪せたカーテンや壁、床はどこもかしこも細かな砂でざらついていた。


 不意にギィッと耳障りな音をたて、湿気で膨らんだ木製の扉が揺れた。フェリが顔を向けると宿屋の子供達がキラキラと輝く瞳でトローを見ていた。トローに目配せで許可を取り、フェリは彼らを手招いた。


 わっと駆けこんでくる子供達に、トローは得意げに空中旋回を披露した。


 しばらくしてフェリはお腹が空いてきた。だが、トローはまだ子供達と遊ぶという。

 フェリはひとり、昼食をとりに一階の酒場へ降りることにした。


 二階の宿屋の受付を通過し、一階に向かうとざわめきが近づいてきた。吹き抜けから見降ろせる店内は褪せた赤色に塗られ、本物のイカリや珊瑚が飾られている。昼間から酒を酌み交わす海の男達で店は繁盛していた。


 フェリは混んでいる奥の席は避け、カウンターへ向かった。背の高い椅子によじ登り、さてと彼女は壁にかけられた品書きを眺める。銅板の魚の看板が掲げられた店は、やはり魚料理が自慢らしい。だが、字の汚さに困り果て、フェリは店主に声をかけた。


「すみません。何か手頃な価格で、オススメの料理はありませんか?」


 ビチビチと動く鯛の頭をドカンッと切り落とし、店主はじろりとフェリを睨んだ。タコの入れ墨の刻まれた禿げ頭を見て、フェリは思わず口を開いた。


「………かっ」

「かっ?」

「かっこいいですね?」

「………そっ、そうか。嬢ちゃんはそう思うか?」

「えぇ、タコは好きなんです。見事なタコですね」

「お、おうよ。あんがとよ………で、なんだった?」

「あっはい、何か手頃な価格で、オススメの料理はありませんか?」

「………ありあわせに俺のお任せでよけりゃ、最高に美味くて安いもんをだしてやるが」

「それでは、そちらでよろしくお願いします」


 フェリがそう微笑むと、店主は短く頷いた。彼は照れたように鼻を掻き、次々と魚をさばいていく。しばらくして、数種の魚とイカと芋と野菜のぶつ切り、大粒のタコを陶製の器に入れ、香味油で焼いた料理が出てきた。切り身を作った余りを全て回してくれたのか随分と具材が豊富だ。器はまだ熱く、金色の油はぶしゅぶしゅと煮たっている。


 フェリはフォークで厚みのある魚を刺し、口に入れた。魚肉の甘みを、塩のみの単純な味つけが引きたてている。ニンニクは香りよく、野菜にもいい出汁が染みていた。


「…………美味しい」


 彼女が心から呟くと、店主は再び乱暴に鼻を掻いた。


 フェリは大粒のタコを口に放りこみ、ぷりぷりの食感を噛みしめた。

 その時奥で誰かの倒れる音がした。振り向こうとしたフェリに顔を寄せ、店主は酒焼けした声で囁いた。


「止めときな、嬢ちゃん。見たって気持ちのいいもんじゃねぇよ。それに、どうせいつものことさ」

「海の化け物のお情けで生きてる腰抜けがよぉっ!」

 

 バシャリッと何かに飲み物のぶちまけられる音が響いた。店主の制止を振りきって、フェリは後ろを向き、軽く目を見開いた。頭から酒を浴びせかけられ、床に倒れている人物は、昼間にフェリが浜辺で会った青年だった。彼の前では一仕事を終え、昼をとりに来たらしい日焼けした漁師達がにやにやと笑っている。


「お前の親父もじい様そうだったぜ。お前たちの一家は、水の女にイカレちまった腰抜けだ。陸の男の風上にもおけやしねぇ」

「漁にも出ねえで人魚の投げた魚に生かしてもらってんだろ? いいご身分だよなぁ。化け物女に飼われるってのはどういう気分なんだ? えっ?」

 

 下卑げひた笑い声があがった。青年は下を見つめ、唇を噛み締める。だが、ひと言も言い返すことなく、彼は立ちあがろうとした。その瞬間、涼やかな声が場に割りこんだ。


「人魚は人を飼いませんよ?」

「あっ?」

「何か誤解があるようですが、人魚には人を飼育する習慣はありません」


 漁師達は一斉に顔をあげた。店主はやれやれと言うように片手で顔を覆った。床まで届かない足をきちんと揃えて座り、フェリは物怖じすることなく彼らの視線を受けとめた。口を挟んできたのが思わぬ子供だったことに、男達は戸惑いながらも言い返した。


「なっ、なんだ。急にどうしたんだ、嬢ちゃん。アンタは知らないだろうがな。この腰抜けは、働きもしねぇで毎日俺達の何倍もの魚をあげてくるんだ。人魚様のご機嫌取りをして、情けなくへこへこ腰を振って、海の女に貢いでもらってるんだぜ?」

「そのうち、指の間に水かきのあるガキが産まれるかもしれねぇな?」

「ぼっ、僕と彼女はそんなんじゃないっ!」

「うっせぇな、お前は黙ってろ」

「人でないものは、人からの親切に時に加護や祝福で報います。それに何か問題が?」


 再び全く空気を読もうとしない声が響いた。男達はまた一斉にフェリを見る。やはりちょこんと椅子に腰かけたまま、彼女は心から不思議そうな表情で首を傾げた。


 男達は思わず顔を見あわせた。中のひとりが、しかめっ面をしながらも言葉を続けた。


「どうっ、て………いや、海の女にへつらってよう」

「幻獣は時に人からの『小さな親切』に惜しみなく応え、気にいらない行動には災厄を与えます。『妖精種』に分類される幻獣ほど、特にその傾向は強く見られますね。それが彼らの摂理です。それにより、その相手が幸福を得るのもまた自然の摂理でしょう」

「自然の? そんなもんが自然なわけがねぇだろ。本当ならな、人間様は毎日働いて」

「人と関わりを持つタイプの幻獣にとってはそれこそが自然な行動です。彼らの恩恵を受けるか受けないかは対象となった人間の決めること。断らなければならないという法は現時点でどこの地域にも存在していません。それとも彼が人魚の恩恵を受けたことで、あなたがたに何らかの問題が発生しているのですか?」

「それは………」

「具体的に何か問題があるというのなら、私が対処しますが………」

「さっきからうるせぇぞ、クソガキ。いちいち大人の話に絡んでくんじゃねぇっ!」


 堪忍袋の緒が切れたのか、赤ら顔をした男が叫んだ。子供の言うことだと、初老の漁師が後ろから彼を止めようとする。だが、男はじっと見つめてくるフェリの蜂蜜色の瞳が癇に障ったらしい。肩を押さえる染みだらけの手を払い、彼はいらだたしげに続けた。


「その生意気な目はなんだっ! あぁんっ、余所者よそものの小娘が俺達を舐めてると痛い目に」



 ―――――――――ビィィイイイイイイインッ

 その頬を掠めて、フォークが壁に突き刺さった。



 間抜けな音と共に、フォークは細かく震える。数秒後、男は恐る恐る後ろを振り向いた。壁に張られた店主お手製のダーツ板の中心を、フォークは見事に根元まで貫いている。人間の腕力では、作りだすことは到底不可能なはずの光景だった。



大当たりジャックポットだ。で、余所者の娘がお前を舐めると、一体どうなると言うのだ? ん?」



 陰鬱な声で快活な響きの言葉が紡がれた。いつの間にか、フェリの隣には長身の影が座っている。顔を黒布で覆い、山高帽を被ったクーシュナは尊大な態度で堂々と足を組んでいた。その態度と見た目は、まるで街の酒場に殴りこみをかけた放蕩貴族のようだ。


 異様な気迫に飲まれながらも、男が口を開きかけたとき、ひとりの老婆が慌ただしく店に駆けこんできた。隈の目立つ憔悴しきった顔で、彼女は辺りを見回す。老婆はハッと顔を強張らせるとニシンの酢漬けと酒を交互に貪っている太めの男に駆け寄った。


「オルトン先生っ! あんたまたこんなところで飲んだくれて! 娘が肺病なんだ。昨日から咳がひどくなって………とにかく急いで来ておくれよっ!」


 吊りズボンに支えられた腹を揺らしながら、医者らしき男は老婆に引っ張って行かれた。漁師達がそれに気を取られている隙に、人魚と共にいた青年も走りだした。彼は閉じきっていない扉に転がるようにぶつかり、外に飛びだした。


 扉がバタリと閉まった後には、なんとも言い難い沈黙が広がった。場をとりなすように、フェリに絡んだ男を止めようとした初老の漁師が口を開いた。


「肺病ねぇ……最近多くてかなわんな。東海岸に停まった船のせいじゃねぇかってもっぱらの噂だ。あそこの船員と関わった娘が多くやられてる。ヨーキのところの娘もって話だ」

「本当かよ、そりゃひでぇな」

「………アイツ、また逃げやがって」


 赤ら顔の男はそう吐き捨てた。彼はもうフェリとクーシュナに絡むことは止めたらしい。代わりに、彼は逃げた青年にいらだちをぶつけるかのごとく酒を呷った。その肩を初老の漁師が落ち着けと言うように叩く。


「お前もそう絡むな。アイツの父さんも爺さんも、結局は人魚に愛想をつかして、ふらっと旅に出た。で、嫁さんとガキを連れて戻って来たんだ。アイツも今にそうなるさ」

「けっ、やっぱり人魚のアソコは具合が悪いのかねぇっ、おぉっとぉっ!」


 再び男の頬を掠め、今度はナイフが飛んだ。フォークと並んで、ナイフは円の中心を射抜く。クーシュナは颯爽と立ちあがり、姫の手を取るようにフェリの掌に指を添えた。


「帰るぞ我が花よ。我のお前に聞かせるにはここの会話はいささか品がなくてならんわ」

「待って。具体的に何か問題があるのか応えてもらっていないの。問題があるなら私が」

「問題なぞあるかっ! ただ単につまらん嫉妬だか男の矜恃だかが理由だ。放っておけ」

「あとね、まだタコが」

「ええい、タコでもイカでもまた夜にでも食いに来いっ! そのための路銀が必要なら稼いでやるわ! サーカスの真似事でもしてやるというにっ!」

「それはいらないけれど………うん………そうね。そう、行きましょうか」


 不意に思い直したのか、フェリはクーシュナの手を借りて床へ降りた。彼女が口笛を吹くと、開いたままの客室の扉からトローがふらりと飛んできた。彼は酒場の天井を旋回しながら一階に降り、フェリのヴェールの上に着地する。階段まで追ってきた子供達に、彼はバイバイと言うように羽を振った。


 フェリは座席の下に置いていたナナカマドの杖を握りしめた。彼女は男達と店主にぺこりと頭を下げ、酒場の扉へ足を向けた。


「どこへ行く気だ、我が花よ? 宿へは戻らんのか?」

「うん、少し行かなくちゃいけないところがあるから」


 クーシュナの問いに、フェリはそう応えた。彼女は勢いよく扉を開き、夏の街へ出る。熱く海の匂いのする風が、その体に吹きつけた。白いヴェールを揺らし、フェリは囁く。



「人魚のところまで、行かないと」

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