幻獣調査員 著:綾里けいし

ファミ通文庫

飛竜と娘

その1

 旧く、大きな森の中を一匹の蝙蝠こうもりが飛んでいる。


 季節は初夏だ。

 

 天井のように広がる枝葉は空からの光を受け、鮮やかな緑に輝き、しなやかに伸びている。それでも苔むしたたくましい木々が並ぶ森の中は、ひっそりと薄暗く、しっとりと涼しかった。葉と葉の間から零れ落ちた金色の光だけが、夏の証のように地面に雨のごとくまっすぐに射しこんでいる。

 

 風が吹くたび光はざわざわと躍り、積み重なった葉や苔、毒々しい色のキノコの上を滑った。その中を一匹の蝙蝠が羽に光を受けてひらり、ひらりと楽しげに踊っている。


 長い爪にも似た骨の間で、風を受けた飛膜ひまくが歪んだ。それを持たない他の鳥には難しい動きで強く空気を打ち、彼はえへんと後ろを振り向く。

 

 くすり、と、笑い声がそれに応えた。


 蝙蝠の目の前には白く幼い十代半ばに見える娘が立っていた。その華奢で色素の薄い体はまるで森の中に咲く一輪の花のようだ。きれいだなと蝙蝠は思った。あらゆる獣達に自慢したいほどきれいだ。彼女は蝙蝠の知識の中でこの世界で最も美しいものだった。


 昼なお薄暗い森の中、彼女はのんびりと足を運びながら、歌うように言う。


「トロー、あまりひとりで遠くへ行ってはだめよ? どうか、私の追いかけられるところにいてね?」


 甘い声だ。その声を聞くと、蝙蝠―――トローはいつもなんだかくすぐったいような、嬉しいようなそんな気持ちになる。彼が急いで少女のところへ舞い戻ると、彼女はおかえりなさいと微笑んでくれた。


 さらりと、その頭を覆う白のヴェールが揺れ動く。大輪の花の透かし模様の入れられた布地の下、短く切られた髪もまた白かった。その下の肌も同じ色だ。少女を形作る物は全て、ひとつひとつが色と質の異なる白さを持っている。


 トローはええっと、と自分の中の知識を探った。その髪は絹糸のような、肌は果実のような、しなやかで強くて柔らかくて瑞々みずみずしい。そんな白さだ。そして彼女の幼くまろやかな顔の輪郭の中、長い睫毛に縁どられた蜂蜜色の目は、トローとお揃いの色だった。


 そのことが、トローにはとても誇らしい。

 だって、それこそ彼女がトローの主であり、母である証のようなものなのだ。

 

 トローは少女に造りだされた試験管の小人ホムンクルスの亜種だった。彼は彼女の繊細な作業の下、七百四十八日前にこの世界に産み落とされた。

 彼は試験管の中で腐敗させた蝙蝠の精子と少女の血によって肉体を得ることができたのだ。けれども、試験管の小人ホムンクルスの定めとして、彼は試験管の外には生きては出られないはずだった。それなのに、彼は今ではこうして世界を自在に飛び回っている。


 トローにはそのことが嬉しくて仕方がなかった。最も、彼が自由を得ることができた理由の一つは――彼にはやや複雑なものだったりもするのだが。


「それに、用心してね。トロー」


 不意に、少女は低く囁いた。トローは知っている。彼女がこんな声をだすのは、世界に、幻獣達に異常が見られた時だけだ。少女はすんなりと長く、丈夫なナナカマドの杖をぎゅっと握った。


 花嫁のヴェールにも似た布地の下の装いは、飾り気のない貫頭衣にズボン、分厚い革靴に大きな鞄だ。旅の尼僧を思わせる服装と慣れた足取りで、彼女は積み重なった落ち葉を踏みしめる。辺りを見回して、彼女は油断なく大きな目を細めた。


「幻獣の気配がひとつもないの。地面には『妖精の輪』もないし、普通の獣すらいない。森は夏の光を受けてこんなにも元気なのに………彼らは何故逃げだしてしまったの?」


 彼女はふむと考えこみ始めた。けれども、次の瞬間、弾かれたように上を向く。

 

 ―――――――ざぁっと。

 風が、少女の顔を叩いた。


 雲のように巨大な影が、少女の頭上を高速でよぎった。それはバキバキと無残に木々を折りながら、森のすぐ上を掠め飛んでいく。固い鱗に覆われた巨大な腹が、葉にぶつかってバチバチと雹の降るような音をたてた。


 その立派な体躯からは、腕の代わりに二対の翼が生えている。それがはためくたび、切り裂かれた空気が悲鳴のような音をたて、嘘のように森が波打った。

 木々の間に垣間見えた大小の角を備えた顔には、トカゲによく似た瞳孔の細い目が光っている。


「――――――ワイバーン」

 少女は低く呟いた。同時に、しなった飛竜(ワイバーン)の尾が幹の上部をへし折る。

「………………あっ」


 最初、折れた木は小さな黒点にしか見えなかった。だが、それは一瞬で空気を切り裂きながら落下し、少女の頭上に迫った。

 トローは迷うことなく彼女の真上に飛びだし、翼を広げた。だが、ひとりと一匹を押し潰す直前、それは空中でぴたりと止まった。


 ざわざわと揺れる葉が、トローの鼻先を撫でる。少女は小さく息を吐いた。


「…………よかった」


 彼女はゆっくりと手を伸ばし、力つきてぺとっと落ちたトローを受け取った。彼女はトローを抱き締めると、静止している木に向けて微笑んだ。


「あなたね? クーシュナ、いつもありがとう」


 その名前を聞いた途端、トローはぴっと全身の毛を逆だて顔をあげた。見れば、折れた木にはびっしりと黒色が絡みついている。百頭の蛇のように木を締めつける黒色は少女の影から伸びていた。


 影はせーのと勢いをつけ遠くへ木を放り投げると、そのままにゅうっと持ちあがった。トスッと軽い音と共に、は地面に降り立つ。その口から暗く陰鬱な声で、快活な響きの、矛盾した言葉が溢れだした。


「ふむ、怪我はなさそうで何よりだ、我が花よ。なに、礼などいらぬぞ。我はいつでも無敵に不敵なそなたの騎士であるからしてな。ううん? して、そこな小僧っ子は、何を不機嫌な顔をしておるのだ? 我がいなければ、お前なぞ今ごろぺらっぺらの蝙蝠トーストだったのだぞ? ほれ、もうちょっと嬉しそうな顔をしてみせぬか。ほれほれ」


 ソレの声に、トローは精一杯不機嫌な顔を返した。ソレは案山子かかしのようにすらりとした体を――筒のように細く黒一色の、上等だが人の手では仕立ての不可能な――夜会服に包んでいる。獣にしても人にしても奇天烈な装いだが、何よりもおかしなのはその頭部だった。


 クーシュナと呼ばれたソレは、人間と似た体と兎の頭をもっていた。


 半人半獣の幻獣はトローも何体か知っていた。だが、これについてはそのどれとも違っていて得体が知れないのだ。何よりもそのおちゃらけた仕草と主への絡み方に、トローは常にいささか不満を覚えていた。今も主への距離がちょっと近すぎるような、そうでもないような………やはり近い気がとてもする。


「んっ、なんだ、なんだっ? こら止めんか。顔に飛んでくるでないぞ。我が花に傷がないか確認して一体何が悪………いや、それは流石に言いがかりというものよ。よく聞け、我は変質者の類いでは決してないぞっ!」

「二人は相変わらず仲良しね。うらやましいくらい」

「断じて違うっ! というか、我のお前は時たまどこに目がついているのだ。ん?」


 不意に、クーシュナはその動きを止めた。彼はピンク色の鼻をひくひくと震わせ、長い耳をぴんっと空に伸ばす。器用にそれを左右に動かし、彼はふふんと笑った。


「我は気づいたが、『伝わった』か? 我が花よ?」

「ええ、わかったわ。急がないと」

「抱きあげて行くか?」

「駄目。森の中に逃げている人もいるかもしれない。あなたに会えば驚くから」

「そうだな。とりあえず、我は隠れている方がよさそうだ。何かあれば出ようぞ」


 クーシュナはするりと少女の影の中に溶けこんだ。少女は地面を蹴って走りだす。トローはその横に並び、羽を動かした。しばらく進むと、空気に物の焦げる匂いが混ざり始めた。少女は更に速度をあげる。彼女は緊張した声で囁いた。


「………急がなければ」


 ヴェールの下の目で森の先を見つめ、彼女は低い声で続けた。


「急がなければ、人が死にそう」



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