その2

 遠い昔、それこそ『闇の王様』が戦争を目撃した頃の話だ。この国は多くの小国に別れていた。複数の王達はそれぞれの冠を掲げ、長くも醜い争いを続けた。


 やがて少しずつ国は統合され、一人の王を掲げる大国となった。


 しかし、『幻獣調査官』、『調査員』は名目上、王ではなく国から任命され、国自体に仕えていた。最初に調査官を設けた賢王が、人と幻獣の間に立つ者は個人ではなく、あくまでも地に仕えるべきだと宣言したためだ。


 その性質上『幻獣調査官』の本部は、王都にありながら一定の独立性を保持している。


 同時に、調査官の要請に対し、王政側が応じることも稀だった。


 ヒュドラの出現は、それだけ国益を侵しかねない事態だということなのだろう。

 勇者に該当する少年は―――王都の施設内で―――秘密裏に育成されていたという。


 彼に会うため、フェリは幻獣調査官本部を訪れた。


 本部は王都の南方に位置する、錬金術の粋を集めた水晶宮だ。現在―――そこはヒュドラの出現に伴い―――天地をひっくり返したような騒ぎに見舞われていた。


 中央に設けられた世界樹の移植株の前では、幻獣調査官、調査員の名簿が次々と参照され、使えそうな人員の洗い出しが進められている。老錬金術師達を招いた有識者会議は、時たま聞こえる怪鳥じみた金切り声から推測するに紛糾している様子だ。荒れた外見の一群は、調査官から招かれた、本来罪人である幻獣専門の狩人達だろう。


 自然光を最大限に活かす設計をされた建物内部は、本来沈黙を尊ぶ場のはずだ。だが、今や混乱の極致とでもいうべき状態と化している。あらゆるところで、怒声と書類が乱れ飛んでいる有様だ。


 そんな騒ぎの中、案内された扉の向こう側は、とても静かだった。

 フェリもまた、その部屋に一歩入った途端、自然と言葉を失った。


 彼女の面会相手が、ひどく虚ろな目をしていたからだ。

 勇者と称される少年は、なんの変哲もない子供だった。


 歳には似合わない仰々しい服を纏い、彼は短い黒髪の似合う、色白の顔を伏せている。その目には奇妙に光がない。痩せた全身と、何もない机をじっと見つめる表情の乏しい顔に視線を走らせ、フェリは瞬時にある結論を導き出した。


(随分と情緒が未発達な子だわ………一体、どういうことなの?)


 案内役の調査官に紹介されるのを待つことなく、フェリは音を立てて少年の前の席に座った。ぼんやりと、少年は顔をあげる。彼に微笑みかけ、フェリはヴェールの上からトローを降ろした。主の意を察したとばかりにトローは大きく翼を広げ、胸を張る。


「こんにちは、お元気ですか?」


「……………」


 トローにパタパタと羽ばたいてもらい、その後ろから、フェリは明るく話しかけた。


 少年から答えは返らない。人形のように動かない彼の手に、彼女は目を走らせた。その指は節くれだっており、皮も厚い。剣を握る武人の手だ。少年の歳のものとは思えない。話しかけられても、彼はどう反応すればいいのかすらわかっていない様子だ。


(笑顔を向けられることに慣れていない。微笑みの意味を理解できているかすら怪しい。指示を待ち、その通りに動く傾向も強そうね。思考を放棄している上に情緒と感情を表現する術にも明確な欠落が見られるわ。その上で戦闘慣れしている様は、老年の兵士のよう)


「やぁ、調査員フェリ・エッヘナ。来てくれたんだね」


「どういうことですか」


 一人の女性が扉を開いた。同時に、フェリは鋭く声をあげた。


 トローは目を瞬かせた。歓迎の言葉と共に現れたということは、この女性こそ緊急連絡を送ってきた調査官なのだろう。だが、その低い声と喋り方から、トローは相手を男性だと思い込んでいたのだ。


 彼が驚く中、フェリは特に意外がることもなく、相手を見つめた。


 三十代半ば程の人物だ。丁寧に整えられた髪、金縁の片眼鏡、清潔感のあるローブとレース目の緻密なヴェールからは、研究職独特の理知的な印象が滲み出ている。歳は感じさせるものの、重ねた年齢が気品に変わっている女性でもあった。


 困惑した様子で、彼女は軽く首を傾げた。


「失敬。私は調査官のクレメンス・アービーという。今回は私の招集に応じてくれたことに感謝しよう。だが………その、どういうことかとは、どういうことだろうか?」


「この子のことです。通常、勇者の器に値する人間は存在を確認され次第、専門の教育係が就くものと聞いています。一体この子にどのような教育を施してきたのですか?」


「落ち着いて欲しい。その件に関しては、私も君と同意見だからね………勇者は国の宝、教育もそちらの担当なんだ。幻獣調査官は一切の関与をしていない」


「あっ………そう、ですか………これは大変な失礼をしてしまいました」


 慌てて、フェリは頭を下げた。首を横に振り、クレメンスは彼女に賛同の意を示した。


「いや、君が怒るのも無理はない。私から見ても、残酷なことをしたものだと思う………彼の才能の開花は弱冠三歳、村を襲ったワームを切り殺してからだそうだ。以来、専門の武人や歴戦の古強者ばかりが、その教育係に就いてきた。母親から引き離す時期が早すぎたように思うね。人も幻獣も、適切ではない時期に親元から奪うのは頂けない………しかし、今となっては不当な判断だったと批判はできないのが辛いところだ。だからこそ、ヒュドラの出現に間に合った、とも言えるのだから」


 そう、クレメンスは頷いた。ヴェールをさらりと揺らし、彼女は労わるように少年の細い肩に手を置いた。彼は全く反応しない。だが、クレメンスは構うことなく続けた。


「この子はまだ幼い。だが、勇者としての働きには期待ができるそうだ」


「待ってください。このような幼い子供と共にヒュドラと戦えと? お断りします。私は人間全体だけではなく、個人も守る者です。勇者とはいえ、この歳の少年に危険は負わせられません。絶対に」


 フェリは断言した。その判断は早計だというかのように、クレメンスは首を横に振る。


「まさか、私達もそのような無茶を強いはしないとも………調査員、フェリ・エッヘナ。ここに来るまでに、君の報告書には目を通した」


「………いかがでしたか?」


「申し訳ないが、恐らく君も予測済みの答えしか、こちらは返せない。ヒュドラの討伐には幻獣の火が必要とのことだが、該当量に達するだけの火蜥蜴は本部にも報告がなくてね。今動かせる範囲の火を吐く幻獣では、ヒュドラの首を全て焼き切るには厳しいだろう………竜種については………彼らの面倒さは君も把握しているはずだ」


 皮肉気な笑みと共に、クレメンスは本部側の情報を語った。条件の過酷さを再認識し、フェリは顔色を曇らせる。だが、クレメンスは思わぬ言葉も続けた。


「しかし、条件に該当する幻獣が一体だけ存在する」


「本当ですか?」


「あぁ、我々が長く調査を進めてきたある幻獣こそ、ヒュドラに対抗可能な存在と推察される。今こそ勇者に該当する少年を連れ、君達にはその場に向かってもらいたい」


 クレメンスの指示に、フェリは首を傾げた。納得いかないと、彼女は問いかける。


「ある存在、ですか? なんとも曖昧な話ですが。それに、何故、私と彼に?」


「その幻獣ならば、ヒュドラに敵うだけの炎を確実に持つだろう。だが、同時に、彼もまた世界の敵になりかねない存在なんだ………実は、この一件の前から、該当の幻獣と接触するため、我々は勇者の派遣を国へ要請し続けてきた。だが、訴えは悉く却下されてね。ヒュドラの出現により、我々はようやく機会を得られたんだ。調査官では彼に該当の幻獣を捕獲してもらい、その火でヒュドラを倒すことを考えている」


「それでは、彼にヒュドラの相手をさせることと危険度に変わりがありません」


「安心してくれていい。恐らく、その幻獣には人語が通じるんだ。もしも、相手方に敵意がなく、協力を仰げるようならば、その時点で障害はなくなる………単に、幻獣のいる城に着くまでに、勇者の力が必要だというだけの話だからね。後は君の交渉次第だ」


『随分と都合のいいことよな。なんのかんのと誤魔化してはいるが戦闘となれば危険度はほぼ変わるまい。しかし【世界の敵】に【城】とは………また聞き覚えのある話だ』


 闇をざわつかせ、クーシュナはフェリだけに届く声で囁いた。彼女は微かに頷く。

 その間も、クレメンスは滔々と言葉を続けた。


「現在、王政の人員が本部に頻繁に出入りしているため、調査官は下手に動けない。だが、調査員に依頼しようにも、獣害解決の成功報酬に執着する者が多くてね………金に囚われない君が最も適任だ。ちなみに、君が断っても勇者を派遣する決定は覆らない」


「………なるほど、よくわかりました」


 フェリは蜂蜜色の目を細めた。彼女が断れば、少年を一人で―――あるいは、彼を武器扱いする者と―――行かせることになるだろう。


 この瞬間、フェリからは同行以外の選択肢が奪われた。


 過大な責を負わされかけているにも拘わらず、やはり少年は沈黙したままだ。

 彼に一瞥もくれることなく、クレメンスは該当の幻獣の情報を並べた。


「相手は紅い蜥蜴の頭を持つ、人型の幻獣だ。彼は廃墟の中に居を構え、内部に残された肖像画を真似するかのように紅服で身を包み、人の訪れを拒んでいる。他の何者

とも違う生き物だ―――従来の生態系を覆す存在となる可能性が極めて高い」


 それこそ、どこかで聞いた覚えのある話だった。フェリは目を見開く。彼女の影と共に、クーシュナは机の下でざわざわと蠢いた。クレメンスはトドメのように続ける。


「彼のことを、私達は『火の王様』と呼んでいるよ」


                 ***


『昔々、あるところに、ひとりぼっちの闇の王様がいました。

 彼は黒い茨を越えてやって来た、白い少女と出会いました』


 フェリとクーシュナ、二人の全てはそこから始まった。

 だからこそ、フェリ達には『火の王様』の話を放っておくことはできなかった。


『火の王様』の根城とされる場所は、王都から遠く離れている。


 まず、フェリはよく知る森に立ち寄り、大鴉に協力を仰いだ。かつて、彼女は群れから逸れた瀕死の老体を助けたのだ。以来、彼らは頻繁の助力を約束してくれている。


 フェリの話を聞き、今回も若く気力に溢れた雄が快く進み出てくれた。


 その背に乗り、空高く舞い上がっても、少年は歓声一つあげなかった。腰に剣を刺し、荷物を背負った姿で、彼は大鴉の首筋に無言で掴まっている。


「どうですか? 空を飛ぶ気分は? 風が気持ちよくありませんか?」


 そう、フェリが話しかけても応えはなかった。相変わらず、黒い目の中には感情が希薄だ。それでも、フェリは少年を労わりながら旅を続けた。


「一旦休みましょう。急に王都から外に出て、あなたも疲れたでしょうから」


 休憩時間を設け、フェリは大鴉から降りると―――普段は湯だが―――甘い香りの茶を沸かし、彼に渡した。少年がちびりちびりと飲む間に、彼女はゆっくりと語りかけた。


「何か辛いことや嫌なことがあったら、直ぐに言ってくださいね。そして、『火の王様』に無事会えた際には、私の後ろに隠れてください。私はあなたを連れて行かなければなりませんが、本当は同行してもらいたくなどないのです。いざとなったら、あなたは逃げて、何があったかを人々に伝える役目をしてください、約束ですよ?」


 フェリの言葉に、彼は―――わかっているのか、いないのか怪しい調子で―――こくりと頷いた。じわりと胸に悲しみが滲むのを覚え、フェリは微かに目を細めた。


 少年の名前を呼んであげたくても、彼女には口にすることができなかった。


 少年は自分自身の名前を忘れていた。元の名は、人を超える器を見出され、国に強制的に召し上げられた際に奪われている。その身には勇者にふさわしい名が―――授与という形で―――新しくつけられたようだが、少年はそれを上手く認識できていなかった。


(なんて、残酷なことを)


 まさしく、彼は勇者だった。

 ただ、それだけの存在なのだ。



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