妖精猫の猫裁判

その1

 村外れの森の中、老人はひとり、隠れるようにして暮らしていた。


 人と会わない暮らしは気楽だ。元々、彼は偏屈へんくつ伯父おじ譲りの気質であまり人と会うことを好まなかった。昔こそ、彼は穏やかな性格の妻に支えられ、村で暮らしていたが、今では子供夫婦とも別れ、伯父の死後譲り受けた小屋でひっそりと日々を送っていた。


 家の前に広がる森は大きく、深く、狩りには最適だ。彼は定期的に罠にかかった兎を捕り、肉はスープにし、毛皮は丁寧にいで市場に持ちこんだ。また、川にも罠をしかけ、魚を捕った。彼が木で編んだには、一度入ると出られなくなる仕掛けがしてあり、大振りの魚も逃がすことなくよくとれた。


 手先の器用さは彼の自慢だった。昔はよく妻に髪飾りや鍋敷きを、子供には木の玩具を作ってやったものだった。それは今、孫に受け継がれているという。彼は孫ともあまり会っていなかったが、それでも変わりなく元気だと聞かされれば、やはり嬉しいものだった。


 今日も老人は銅製のバケツに魚を二匹入れ、持ち帰った。捕れたての魚は美しい鉄色をしていて元気がいい。くるくるとよく泳ぐ大振りの魚は夕飯に食べ、落ち着いている小振りの魚は朝食にする予定だった。


 だが、そこで彼はふと気になることを思いだした。


 最近、朝になると持ち帰った魚が消えているのだ。

 翌日の天候や食材の減りを見越して、二匹、三匹と大目に持ち帰っても、夜のうちに跡形もなくいなくなってしまう。


 老人には食べた覚えはなかった。もしも死んだ妻が夜に訪れて、こっそり食べているのなら歓迎するところだったが、妻は川魚を好きではなく、もしも食べるのならば兎の方だろうと思えた。



 今日も、この魚は消えてしまうのだろうか。

そう思い、老人は寝ずの番をしてみることにした。



 夜更かしして寝坊したところで、困るのは彼ひとりだけだ。夏の夜は寝苦しいし、たまにはこういうのもいいだろうと老人はシーツを被り、玄関先にうずくまった。これは真夜中のちょっとした冒険というやつだなと、彼はひそかに笑った。


 油断なくバケツを見張っていると、不思議と胸が高鳴ってくる。老人はお化けにおびえながらも、きることなく窓を警戒していた子供時代を思いだした。


 昔から、彼には怖いものこそ絶対にその目で確かめようとする意固地いこじなところがあった。だが、眠気と戦う老人を嘲笑あざわらうかのように、何事もなく時はすぎた。やがて、魚の跳ねる音にびくっとしながらも、彼が本格的にうとうとし始めた頃だった。



 ――――――――――キィィッ



 突然、扉の軋む音がした。老人は跳ね起き、慌てて顔をあげた。僅かに開いた扉の隙間から、暗い部屋の中に一筋の月光が冴え冴えと差しこんでいる。音もたてずに、そこから何かが入ってきた。暗闇に必死に目をらし、老人は驚いた。


 侵入者は、みすぼらしい茶色の毛並みをした猫だった。


 随分と体が小さいので、もしかしてまだ子猫なのかもしれない。猫はてとてとと歩き、バケツの前にどしんっと座りこんだ。そのまま片足をあげ、猫はじっと動きを止めた。次の瞬間、猫は器用にもパシャリと最低限の水飛沫だけをあげ、魚を弾き飛ばした。


 床をてんてんと跳ねた魚を口にくわえ、猫は得意げに鉤尻尾をゆらりと揺らした。堂々と出て行こうとする猫を見て、老人はついカッとなった。


 老人は猫を好きではなかった。妻は好いていたようだが、こそこそしたその態度がなんだかいけ好かないと、彼は常々思っていた。何よりも近所の野良猫や隣の飼い猫が、老人の顔を見るなり一目散に逃げだすのが、いつも腹立たしかったのだ。


 その不満がここにきて一気に噴きだしてしまった。


 老人はむんずと茶色の猫の尻尾を掴み、勢いよく逆さ吊りにした。

 猫はふんぎゃーっと老人の予想よりも遥かに大きな悲鳴をあげた。この世の終わりのような声に、老人は慌てて手を離した。猫は飛びあがり、壁に立てかけてあったほうきを倒し、棚にぶつかってまきを落とし、混乱のまま逃げだした。


 老人は猫を呼び止めようとしたが、弁解するまもなく猫は一目散に木々の間に消えていった。後には床の上にぴちぴちと跳ねる魚だけが残された。老人はやれやれと立ち上がり、大きく元気な魚をゆっくりとバケツに戻した。



 思わぬ魚泥棒の正体とその顛末に、なんだか老人はひどく疲れてしまった。

彼は寝台に横たわり、今度こそ眠ることにした。



 薄いシーツを胸元まで引きあげて、彼は目を閉じた。だが、どうにも寝つくことができない。その耳には猫の悲痛な声が染みついていた。このことを知ったら、妻はなんというだろうかと、老人は急に心配になった。優しかった妻のことだ。さぞかしあの柔らかく、ふくふくした頬を膨らませて怒るに違いなかった。


 あなた、いけませんよ、猫の尻尾を掴むなんて。


 悪かったよお前、と老人は思った。

 だって、あんなに痛がるなんて思ってもみないじゃないか。


 猫への詫びとして、外に魚を置いておこうかと老人は考えた。だが、猫はひどい目にあった彼の家には二度と来ないだろう。そうとも思えた。



 ――――――――――キィィッ



 その時、ゆっくりと扉が開いた。猫が戻って来たのかと老人は起きあがりかけ、動きを止めた。確かに猫は戻ってきていた。みすぼらしい茶色の毛並みの猫が鉤尻尾かぎしっぽを膨らませて部屋に入ってこようとしている。その後ろに、大量の猫がぞろぞろと続いていた。


 黒に赤毛、灰色に三毛猫、虎にブチ、デブにやせっぽっち、ありとあらゆる猫が列を成している。彼らは皆滑稽こっけいなほどに真剣な顔をして、鳴き声ひとつたてずに歩いてきた。

 

 月光に照らされた猫達を見て、まさか仲間を連れて復讐しにきたのかと老人は凍りついた。だが、次の瞬間、彼は恐怖も忘れて思わず首を傾げた。



 猫の列に、明らかにおかしな生き物が混ざっていた。

 ヴェールを被った白い少女が、しれっとまぎれこんでいるのだ。



 よく見ると、彼女のヴェールの上にはあからさまに偽物にせものな白猫の耳もつけられていた。老人の視線に気づいたのか、彼女は顔をあげた。お構いなくとでも言うかのように、少女はぺこりと頭を下げる。いや、下げられてもと老人は思った。 

 一体君は誰で、これは何が起こっているんだ。だが、この状況で少女に声をかける勇気は老人にはなかった。


 やがて、猫達と少女は部屋の床に車座になった。


 なぁご、なぁご、なぁご、なぁご、なぁご、なぁお


 猫達は一斉に鳴きだした。すると耳障りな声に導かれたかのように、扉からではなく部屋の最奥の暗闇の中から、犬のような大きさの猫が現れた。胸元に白い斑点の散った黒猫は他の猫達とは一線を画する威厳いげんを放っている。


 その姿を一目見て、老人は自然と察した。この猫は妖精猫ケット・シーであり、恐らくこの猫達の頭領なのだ。一体、今から何が始まるというのだろう。


 ごにゃぁっ、ごにゃぁっ、ごにゃぁっ、ふぎゃあっ


 妖精猫は低い声で何かを宣言した。すると、さっきのみすぼらしい茶色の毛並みの猫が頭を低く下げ、円の中心に進み出た。猫は二本の足でふらふらと立つと、持ちこんだらしいねずみの死体をさっと足元から掴みあげた。猫は鼠の尻尾を乱暴に振り、離した。哀れ鼠の死体は、ぽとりと床に落ちる。猫は床に崩れ落ち、うにゃーと鳴いた。どうやら老人に逆さ吊りにされたことを訴えているらしい。


 車座になった猫達はざわざわとざわめいた。非難の眼差しが、一斉に老人へ向けられる。言葉はわからないが、どうやらまずい展開らしいと老人は息を飲んだ。その時、おかしな少女がすくっと立ちあがった。


「うにっ、うににっ、うにゃーっ、うみっ!」


 彼女は両手を猫のように丸め、可愛らしい身振りでバケツを示した。そして空中から何かをくわえだすような仕草をすると、首を横に振った。どうやら、魚を盗んだのがいけないのだと言っているらしい。先ほどの猫が不満げにうにゃっと立ちあがった。少女は両手を丸めたまま、にゃごっと応戦のポーズをとる。


うにゃ「うにゃにゃ」にゃっむ「にゃにゃっ」にーっ「にゃごうっ」うなーっ!


 ひとりと一匹の白熱した応酬は続いた。老人には、今どちらが有利な展開なのかさっぱり見当もつかない。茶色の猫は逆立ちし、白い少女は作り物の尻尾を揺らして踊りを披露した。茶色の猫はバク転し、白い少女は何やら影らしきものに支えられて天井付近まで舞いあがった。だが、流石さすがにそれは自分の目の錯覚だろうと老人は思った。


 場の空気はいよいよ白熱し、興奮した周りの猫達もうにゃうにゃと口々に何かを訴えだした。議論は混沌の域に達し、いよいよ収拾がつかなくなる。その時、妖精猫が太い尻尾で床を打ち鳴らした。


 ――――――ゴンッゴンッ


 裁判官が鳴らす木槌に似た音に、猫達はしんっと静まり返った。沈黙の中、妖精猫は前に進み出ると前足を振りあげた。白い少女と茶色の猫は緊張した面持ちで尾を揺らす。


 そのまま、妖精猫はぽかんっと茶色の猫の頭を叩いた。


 んにーと鳴いて、猫はうずくまった。その首を噛んで持ちあげると、妖精猫は出て行った。他の猫達もやはり神妙な顔で頷くと後に続いた。少女も立ちあがり、出て行こうとしたが、不意に足を止めた。老人を振り向き、彼女は深く頭を下げた。



「ケット・シーによる猫裁判確認できました。どうもお邪魔しました」



 尻尾を揺らし、少女は再び出て行こうとした。だが、そこで足を止めると振り向いた。



「あっ、無罪だそうですよ。おめでとうございます」



 どこか妻に似た優しい微笑みを浮かべ、それではと、今度こそ少女も出て行った。

森の中へ、彼女は猫達の後を追うように歩いて行く。頭に飾られたその猫耳の間に、どこからか飛んできた蝙蝠が乗るのが見えたような気がした。


 後にひとり残された老人は呆然と呟いた。



「……………一体、今のはなんだったんだ?」



 彼がそう呟いた頃、その窓辺にようやく朝の光が差しこんだ。



 翌日、彼は大きな魚を網で香ばしく焼き、皿に載せて玄関に置いた。

 そして、久しぶりに子供夫婦に会うため村へ向かったという。



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