その4

 翼を強く下に打ち、飛竜は堂々と空に舞いあがった。


 彼が翼を上下させるたび、森の木々は大きく円状にしなる。まだ飛竜と村との距離は遠いにも拘わらず、その尋常ではない力は簡単に伝わってきた。それでも目の前の光景を見て、フェリは嘆くように首を横に振った。彼女は迷い子を見るような、痛ましい視線を飛竜に注ぐ。


「………やっぱり、まだ子供ね」 


 数百年を生きる竜種の中では、目の前の飛竜は幼体にすぎないのだ。

 

 白いヴェールをはためかせ、フェリはぎゅっと細いナナカマドの杖を握った。その足元には、焼け落ちた家の土台が残されている。

 

 彼女はひとり、村の入り口の廃屋跡に立っていた。万が一火炎の放射を受けたとしても他の無事な家屋は巻きこまないで済む位置だ。村人達は全員、彼女の指示通り家の中に隠れている。


 トローも村長の家で待っていた。今、この場にいるのはフェリひとりだけだ。けれども、その隣に別の影が並んだ。


 今度は兎の頭部を隠すことなく、クーシュナは堂々と彼女に寄り添った。彼はすらりとした耳を自慢げに撫で、ピンッと固いヒゲをひねると、フェリに問いかけた。


「で、手加減は?」

「殺さないで」

「他は?」

「できれば傷も」

「わかった。相変わらず優しいことよなぁ」


 二人は端的な会話を終えた。そのままクーシュナは両腕を組む。だが、彼は耳をピクリと動かして、ちらりとフェリの横顔を盗み見た。彼女はどこか強張った真剣な顔をしている。

 

 ふむっと鼻を鳴らして、クーシュナは手を伸ばした。フェリの白い髪に手をぽんっと置き、彼は小さな頭をぐるぐると回すように撫でる。


「わっ、クーシュナ?」

「我はそんなお前を実によいと思うぞ。うむ、よい。そんなお前はよい。だが、それほど思い悩むな。人の申請がなければ飛竜には手がだせず、人の申請を受ければ飛竜は自由を奪われる。ひどい矛盾よな。しかも理由は、なんともくだらない、人の都合ときたものだ」


 クーシュナはそう肩をすくめた。ヒゲをもう一度ひねり、彼は真剣な口調で続ける。


「だが、全ての竜種のためにもあのまま迷わせてはおけぬだろう。まぁ、高慢ちきの竜族など、我からすれば何かと面倒ごとばかり起こすくせに、決して自らは動こうとはせぬ腐れ貴族にすぎんのだが………なに、止めるのは我よ。苦悩など捨ておけ。なんならそこで、我のために歌でも歌ってくれていてもいいぞ」


「そういうわけにはいかないの。決めたのは私だから」

「まったく苦労する性分よなぁ。それでこそではあるが、我のお前は不器用な生き物よ」


「あと、私は歌が下手よ?」

「ハッハッハッ、なに気は心だ。下手だろうが何だろうが、心地よく聞いてみせるのが我の甲斐性よ、っとぉ」


 フェリの鞄から、何かがクーシュナの顔に飛んできた。こっそり潜んでいたトローが鼻先で蓋を開け、滑り出てきたのだ。彼はパタパタと羽ばたき、クーシュナの顔を叩く。


「トロー。あなたったら、待っていてと言ったのに」

「こら止めろ、小僧っ子。近すぎるとか今言うことかっ! なんだ、こんなところまでついてきおって。臆病者がいっちょまえに雄を見せるか? んん? こらつつくな!」


 トローはクーシュナに精一杯嫌そうなイーッをすると、くるりと反転した。彼は風に揺らされ始めているフェリのヴェールに張りつき、それが飛ばされないよう全身で押さえる。クーシュナはやれやれと顔を撫でさすり、飛竜に向き直った。


 既にその巨体は近い。


 風圧がクーシュナの毛とフェリのヴェールを揺らした。怒りに満ちた視線を受け、クーシュナはバキボキと軽く肩を鳴らした。だが、一転して彼は真剣な口調で囁いた。


「主よ、言葉を」

「お願い、クーシュナ」


 そこでフェリは一度瞼を閉じた。息を吸いこみ、彼女はゆっくりと蜂蜜色の目を開く。


「――――――あの子を止めて」

「お前の望み通りに、我が花よ」


 クーシュナは優雅に一礼した。顔をあげ、彼はトンッと足を鳴らす。

 同時に、地面に大きく影が広がり、爆散した。

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