16 陸上自衛隊定年退職直前直後の心境と小郡市議選挙に立候補した理由について 個人的なことです。今年1月に離婚した。 鹿児島地方裁判所では、ひたすら妻に謝罪し、弁明の許された時間内で幼い頃からの極貧生活や防衛大学校時代のこと、そして陸上自衛隊勤務末期の心境を理由や福島第一事故と自己の関係、そして台湾有事や南西諸島を巡る陸上自衛隊の状況について裁判官に聞いて貰った。 最終弁明の時に妻の弁護士から、小郡市の市会議員選挙に出馬した理由を特に尋ねられ、陸上自衛隊を三佐ペッで定年退職したせいだと、その時、思わず応えたが、正確なことは今でも、自分でも分からなく、うまく説明出来ない。福島第一原発事故などを予言したと言える訳もなかったが、山形県の神町駐屯地での出来事などが腑に落ちず悶々と日々を過ごしていたのは事実である。自己の身の安全や家族の身の安全を確保するために居場所を転々と変える車中泊生活を続けながら、発信を続けたのである。しかしそのような悶々とした日々は一昨年の最高裁判決後の数カ月後に指宿観光協会の理事長の電話での「川内駐屯地に帰れなかったようですね」と言う一言で変わった。 山形県の神町駐屯地から九州の部隊に配置された理由があったのである。その頃から陸上幕僚監部や諸先輩は原発事故発生を備えねばならないと考えており、福島第一原発事故の30年ほど前の川内原発稼働に伴い川内駐屯地に移駐する前に多くの隊員の前で「原発は絶対に安全とは言えないので備える必要がある」発言した私を九州に帰し、様子を見て鹿児島川内駐屯地前に配置しようと考えたのであろう。しかしやはり、移駐前のゴタゴタが災いし、私は川内駐屯地はおろか南九州の部隊に帰ることは出来ず福岡県の部隊で定年を迎えることになったのである。 定年退職二年前の健軍駐屯地から小郡駐屯地での配置が大きな結節だったと思う。原発事故の3年半前の事だったと思う。
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