福島第一原発事故前の政府と各電力会社の津波対策についての学者たちを巻き込んだ激しいやり取りを知り、山形県神町駐屯地から九州の部隊に帰ってからの出来事や遠い四十数年前の八施設大隊の川内駐屯地移転直前の事を振り返ると私には果たすべき役割があったと感じるのである。
陸上自衛隊を定年退職する前の者に対して希望する任地や家族の事情を考慮して任地を決める定年配置という制度がある。私の場合は本来は川内原発のある川内駐屯地に配置され、原発事故対応について内々に陸上幕僚監部の指導を受けつつ、情報を集める役割が用意されていた筈だと。当時の陸上幕僚監部の様子は防災訓練に参加し、原発事故に対して真剣に取り組もうとしていたと思う。
特に新潟沖地震で柏崎原発が緊急停止した半年後に共産党国会議員の質問に対して故安倍晋三首相が、「原発事故は起こしません」という回答後、一層、熱が入った筈である。そのせいだと思うが、女川原発と東海原発は津波直前に改善策を講じて難を逃れたのである。東京電力だけは柏崎原発が停止し赤字だと旧通産省の指導を突っぱね続けていてのである。旧通産省官僚で私と同じように原発事故に対して大きな遺恨を持つ方から陸上自衛隊は防災訓練に参加して原発事故に訓練にも非情に熱心に取組んでいたということも聞いている。しかし陸上幕僚監部は空回りしたのであろうと推測するのである。陸上幕僚監部の担当者が東京電力をカウントパートナーとし選び、事故が起きた際の陸上自衛隊の対応について助言を貰おうとしても、「事故は起きません」と門前払いに会ったことは間違いない。私が陸上幕僚監部の現場の駒となり密かに川内原発や九電から、旧通産省の意向を頑なに拒否する東京電力の事情や立場を説明し、原発事故の際に陸上自衛隊が出来ることを聞き出せる役割を担うことが出来ていたら、原発事故を回避出来たか、事故の規模を縮小出来たと思う。原発事故が起きる数年前に8施設大隊関係者の中で起きたことや、陸上幕僚監部で起きていたこと、そして中間の西部方面総監部、8師団司令部で起きていたことを調査し裁判で明らかにすべきである。
「柵の中にて」という小説に登場する関係者や、その周囲に群がる者たちの間でテロが起きクーデターに発展したと確信し、その上で原発事故弁護団に実名で送り、また国内の主な報道機関にも調査をするように通報を続けています。
このテロ、クーデターは私たちのファミリーヒストリーにも直接、関係があった出来事だったと思う。それだけでなく多くの被災者、日本人全員、ウクライナ戦争で犠牲となっているウクライナ国民のファミリーヒストリーにも関係していると思う。テロリストの仕業のせいで幸せだった筈の多くの家族のファミリーヒストリーが不幸な方向に歪められたのである。
https://kakuyomu.jp/works/1177354054882844058/episodes/16817330655909142148