少なくとも私や家族は幸せな人生を歩めなかった。重すぎる問題を抱え過ぎていた。
父を嫌い、会おうともしなかった。今は後悔している。私がどの様な苦しい人生を歩んだとしても、父の元に嫁ぎ苦労し続けた母には叶うまい。彼女はそれぞれ二歳違いの弟と妹が他界するのを見送り、妹の他界後、直後に他界した。二人の死に様も普通と言えなかった。弟は私が六十歳の時に他界した訳であるが、出稼ぎ先で急性肝硬炎で急死した。妹は私が六十二歳の時に、やはり五十八歳で他界した。乳癌であったが、家族で御金を出し合い一度は、癌の摘出手術を行なったが、抗癌剤治療を拒まれ他界した。為す術もなかった。長く生きることも、生かされることも望まない死に様であった。母とともに島から出て来た四名の兄弟の内、今、生きているは私と十歳ほど歳の離れた末の妹だけである。
私は果たさねばならない役割があると信じて生き長らえている。
苦しい人生だったが、何とか生き長らえている。
最大の難所は以下の「柵の中にて」と言う章で描く出来事であった。当時、ハ施設大隊という部隊は北熊本駐屯地に駐屯地に駐屯しており、鹿児島川内原発の稼働とともに新設された川内駐屯地への移駐を控えていた。その直前の出来事であり、私も心に毒を盛られ倫理観、人生観も揺さぶられ、打ちのめされてしまうことになった。
ファミリーヒストリーとは直接、関係ない出来事かあった出来事かはっきりしない出来事のようにも思われるが、次章の「柵の中にて」という小説や福島第一原発事故にも関係していることであるので前もって書いておいた方が良いと思う。
陸上自衛隊を定年退職する前の希望する任地や家族の事情を考慮して任地を決める定年配置という制度がある。私の場合は本来は川内原発のある川内駐屯地に配置され、原発事故対応について内々に陸上幕僚監部の指導を受けつつ、情報を集める役割が用意されていた筈だと、今になって九州の部隊に配置されてからの自分の体験から確信している。
https://kakuyomu.jp/works/1177354054882844058/episodes/16817330655909142148