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人生は金太郎飴のようだった。「ファミリストーリー」に追加しました。

ところが、ある日、沖縄からおかしくなって帰った竹は私の前から姿を消した。 恐らく私が3歳から4歳の頃であろう。というのは昭和32年当時、三波春夫の「オーイ 船方さん」と言う歌がリリースされていたのであるが、祖母は私の手を引き、恐らく自分の故郷の村に小さな旅行をしたことかあった。奄美大島の北端の笠利崎と私たちが住んでいた今井崎の間に挟まれるように名も無い小さな岬があるが、その根本に 芦徳と言う集落があり、その集落に行くには龍郷湾の奥を通るか、龍郷湾を渡る渡舟を利用する方法があった。祖母は渡舟を使う道を選んだ。丁度、西郷南洲が奄美大島に遠島蟄居を命ぜられた折に船のもやい綱を結んだと伝えられる西郷松のある付近が船着場になっており、そこで私と祖母は渡舟を待った。その時、祖母は私に大声で船方さんを呼ぶように言ったのである。私は祖母の言う通り、「オーイ 船方さん」と何度もなく大声で叫んだ。最後は涙を浮かべていた。祖母は、少し慌てて、「もう良い」と言って、私を制止したことかあったのである。祖母の故郷での記憶は不思議と欠落しているが、その夜は瀬戸の祖母の友人の家で泊まった。着いた時には暗くなっており、心細いローソクの灯りの元て祖母は長く話していた。ひどく貧しい家で主人は居ず、祖母の友人と娘の二人暮らしであった。その夜は板床のない土間で寝たような気がする。ローソクの灯が消えるのを待ち寝たような気がする。その祖母は私たち家族が奄美大島から引き揚げて一年ほどして病になり鹿児島で私の母に看取られて亡くなった。六十五歳になっていたと思う。祖母か私の手を引き自分の故郷に小さな旅をしたのは祖母が五十五歳の頃だと思う。その頃に竹は鹿児島市の病院に入院したと思う。 竹が居なくなり、平穏な日々が続いたのか、その頃の記憶はない。

https://kakuyomu.jp/works/1177354054882844058/episodes/16817330655909142148

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