全体公開しました。
『味見』
※時系列:(ホワイトデー回)https://kakuyomu.jp/users/kurepi/news/16818093078955128096から1年後
・SideB
2年目のバレンタインプランは1年も前に決まっていた。
うちの彼女がホワイトデーに買ってきた、白いガトーショコラ。名店のケーキだけあってめっちゃ美味しかったので、あれを作ってみせるぜと宣言したのだ。
レシピが公開されてるわけじゃないし、さすがにプロの味の再現は無理無理。
けど、ガトーショコラとしては美味しく仕上がったんじゃないかって自画自賛する。
一番作り慣れてるスイーツだからだろうけどね。
「で、なにがあったん」
玄関先に立つ相方に、ひとしきりコーデを褒めちぎってから突っ込みを入れる。
彼女の右手には手首まで包帯が巻かれていた。
怪我したんなら連絡してくれと肝が冷えたけど、あいつはあたしの顔色を察してか慌てて右手をぷらぷらと振る。大丈夫アピールせんでいい。
「ちょっと火傷をしてしまって。もう病院には行ってきたし、痛みも引いている」
「病院行くレベルがちょっとなわけあるかい」
事情を聞くと、昨日の朝に淹れたばかりのお茶を手が滑ってこぼしてしまったらしい。
よくある事故ではあるけど、あたしは幼少期にお湯を入れすぎたカップ麺をぶち撒けた記憶があるから激痛を想像できてしまう。
炙られてる苦しみに一晩泣かされたからなあれ。痛くない火傷のほうがヤバいけど。
「……中止になるのが怖くて連絡できませんでした、すみません」
あいつは謝罪会見くらいの角度で頭を下げた。親にバレた小学生みたいな言い訳だ。
「延期でもいいじゃん、また作るし。その手じゃ食べづらいっしょ」
「い、いや、スプーンとフォークとレンゲで大体なんとかなる。食事だけなら問題ない」
無事な左手をあたしのコートに伸ばしてくる。
引き留めようとしている掴み方だ。玄関先でケーキだけ渡して解散されると思ってんだろうか。
怪我の具合によっては考えたけど、顔色は悪くないから痛みが引いているのは本当らしい。
そんなわけで、あたしはあるスキンシップを思いついた。
「じゃさ。帰らないし怒ってないから、ちょっとやりたいことに付き合ってもらってもいい?」
「な、なんでしょうか」
身構えたあいつにまず上がれやと伝えて、冷え切った廊下から暖房のガンガン点いた洋室へ客人を招く。
受け取ったコートをハンガーにかけたところで、あたしは距離を詰めた。
「おいで」
腕を広げて、肩を縮こまらせる恋人を絡め取る。
いつもの、しばらくはあたし主導となるもう一つの挨拶だ。
「これでも心配してんだよ。あたしもできることはサポートしたいから、頼ってくださいな」
「……自分だけで抱えてしまってすまなかった」
左手だけをあたしの背中に伸ばして、あいつは胸に顔をそっと埋めた。
背中を軽くさすり、頭に手のひらを添える。触られるのは未だ慣れないらしく、肩が毎回ぴくっと跳ねる。
体重を預けすぎないように床板に踏ん張っているつま先が面白い。
こうやって甘えてくるようにはなったけど、彼女は誰かを頼ることに極端に遠慮してしまう子だ。
なのであたしが言ったとこで我慢してしまうだろう。
「……ところで、ええと、やりたいことって」
「あたしにとってはご褒美で、君にとってはある意味罰ゲームかな」
困惑するあいつへと、うぇへへへとキモい声で口角を上げる。
脳内麻薬が分泌されるみたいに、口内に甘味が満ちていくように錯覚した。
「はい、あーん」
定番の台詞を放って、小さく切り分けたガトーショコラをあいつの口元へ持って行く。
淡い桜色に潤んだ唇が器用にケーキを挟んだ。
あまり噛んでないのか数口で喉が動く。
幼児にするやりとりを、ケーキを切り分けてからずっと続けている。
食べさせるには絶好の機会じゃないですか。この機会を逃してはなるまいと、下心マシマシであたしはお願いした。
罰ゲームと少し強い表現を使ったのであいつはもっと恥ずかしいプレイを想像していたらしく、それくらいならと許可はあっさり下りた。
下りたけど、三口目くらいで空いた口がどんどん窄まっていったので『あーんしなされ』の合図が加わったのだ。
「人が食べているだけの光景のなにが楽しいんだ」
「飽きないよ。子犬に餌付けしているみたいで」
強制力はないから耐えられなかったら止めていいのに、茹でダコで口を必死に開けてくれるのがとてもかわいい。酸欠のタコにも見えてくる。
一口も胃に入れていないのにお腹いっぱいの気分だ。
ご馳走様と良いものを見たときに言う人間の気持ちがわかった気がした。
「あの、美味しい。とても。クリームがさらっとした口溶けで、ほろ苦さがあるからしつこさがまったくなくて。フルーツも入っててさっぱりした甘さだからどんどん食べられる」
「そ。砂糖の代わりに愛はどっさり注ぎ込んだからいっぱい食べて」
羞恥で頭がいっぱいだったのを切り替えたらしく、ご丁寧に感想を述べてくれるのも良き良き。
このガトーショコラ、見様見真似では本家に敵いっこないのであたしなりのアレンジを加えている。
色が映えるチョコホイップをデコレートして、生地に茶葉を練り込んで、高かった大粒の苺をスライスして。
……あたしの味で上書きしたい、そういう大人げない対抗心もあるけど。
残りひとくちサイズになったところで、あいつが左手を隔てるように突き出した。
弱々しい指先がフォークを示す。
「その、最後は……それ、使わないでほしい」
「どゆこと?」
自分の手で食べたいのかと思いきや、耳までほこほこに湯だったあいつが決意の息を吸った。
もじもじと頭と体を揺らしながら、“お願い”を絞り出す。
「手で、運んでほしい、です」
まさかフォークであーんよりも雛鳥じみたことを言ってくるとは思わなかった。
世話を焼かれることによって頼みやすくするつもりのプレイでもあったけど、さっそく実践してくれたらしい。
もちろん、あたしに拒否る権利なんてない。
引っ張っていくのはあたしであっても、主人はいつだってこの子だから。
「大胆になったねえ、君も」
おしぼりで拭った指でケーキをつまみ、皿に残っていたクリームをサービスにたっぷり絡めて口元へ持っていく。
あ、やべちょっと手についた。
最後のひとかけらがゆっくりと吸い込まれて、右手首があいつの左手に抑え込まれた。
「んぇ?」
唇といっしょに、生温かい感触が押し当てられた。
柔らかく湿ったそれが指を這い回り、クリームが舐め取られていく。
味わうよりもマーキングしているような、丹念でねちっこい動きだ。
動物にぺろぺろされたら微笑ましさが先にくるけど、恋人から不意打ちで食らえば息の根が止まる。
硬直して放心するあたしへ、彼女は詫びる顔つきで手を合わせた。
左手で器用に汚した部分の肌をおしぼりで拭い、負傷している右手を重ねる。
「……すまない。勝手なことをして」
「い、いえいえあたしにはご褒美の追加サービスでして謝ることはなにひとつ」
「どうしても、触れたくなって」
満足に触れられないことがこんなにもどかしいなんて思わなかった、なんて弁明の爆弾を口走られた。
包帯をしている間は、つまり。
利き手であたしに触れる具体例を連想してしまう。就活も春になれば本格化するから、いちゃこらできるのは今のうちだけなわけで。
さらに旅行も控えてるしで、いまの反動を考えてしまってなおさら思考が疚しい方向へ向かおうとする。
ぐいとコーヒーを呷った。
目の覚める香りと苦みで煩悩を鎮めようとする。無駄だったけど。
ある意味禁欲中の状況を相方も自覚していたことに、頬も脳もカラメルに焦がされていく熱さを覚えていた。
「……えっと、あーんでスイッチ入っちゃった感じ?」
「…………はい」
首がものすごく控えめに縦に動く。
その後にものすごい勢いで今はもちろん無理だと分かっているあなたのせいじゃないと捲し立てられた。
やべえ、まったくその気はなかったけど髪洗ったげよっか? なんてあいつが暴走しなかったら無自覚に言うとこだったわ。
高校時代でも負傷してたこの子にドライシャンプーしたげたことがあったから。
衛生とかの問題で一線を超えるわけにはいかないので、姿勢を正してあたしは手を握り直した。
恋人の行動を正当化するため、声に出す。
「ちゃんと治ったら、ちゃんと……しよ」
「あ、ああ」
「えと、だから、これは味見ってことで」
あいつの口端についていたクリームを拭って、指先を口に含む。
喉が焼けるような劇的な甘味が広がっていき、心臓を大きく鳴らした。
重い鼓動からじわじわと、欲望が這い出てくる。
だめだ、足りなくなってくる。
鼓動がどんどん大きくなって脳を揺さぶる。
直に味わいたいって、舌が糖分を欲してくる。
無意識に近づけていた顔は、両頬を押さえ込まれたことによって鼻先数センチの距離で止まった。
「これ以上は……戻れなくなる」
耐えているように唇を引き結び、物欲しそうな目で囁かれた。
ぎりっと、心臓が鷲掴まれるような甘苦しさを覚えた。
本能にぼやけた思考が一気に引き戻される。
「ご、ごめん」
「いや、こちらこそ……もとは私のせいだ」
寸止めしたままだった頬から両手が離れ、左の人差し指がゆっくりと唇に触れる。
「……今日はあなたの手料理の味を覚えていたい、から。こっちは取っておきたい」
あいつは、ゆるゆると引いた指を自身の口元へと当てた。
間接キスから遠回しに予約すると言われて、沸騰しかけていた情緒が一気に吹きこぼれを起こす。
うぉぉぇう、なんてどこから発声してるのかわからん呻きが漏れた。
君ね、止めておきながら再着火するんじゃないよ。
唇がまた意思を無視する前に、手つかずだった自分のケーキをばくばく送り込む。
せっかく美味く出来たと思ったのに、強烈な供給に肥えた舌では味がよくわかんなくなっていた。
その後、傷が癒えるまであいつは定期的に呼び出してきた。
もちろん、どんなに食べづらそうでも食事は見守るだけに留めておいた。