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バレンタインネタ 『私は普通の恋人になれない』の場合

 ※時系列:本編から1年後


 会議室のテーブルには、お茶菓子が店を広げていた。
 ラングドシャの箱と、口直しの塩せんべい。『ご自由にお取りください』と張り紙を添えて。
 昨日、私と毬子さんが近所のヨー○ドーで買ってきたやつだ。

「そういや今日ってバレンタインだっけ」
「わざわざ用意してくれたんだ? なんか悪いね」
「いえいえ。単なるお菓子の差し入れだと思っていただければ。もちろんお返しなどは不要です」

 集まった社員さんが手を伸ばして、次々とお菓子を取っていく。
 今は15時の休憩タイム。偶然にも今日は本社の人が視察に来ており、結果的に社内バレンタインっぽくなった感じだ。
 狭山さんいわく昔はあったらしいけど、お返しが面倒だと声が上がって廃止になった。義理チョコにお返しする必要ないと思うんだけど。

「いま、ココアを淹れますね」

 人数分の紙コップに封を切ったココアの粉を入れ、お湯を毬子さんが注いでいく。
 できた端からおぼんに載せて、私は配膳に周った。

「ココアにしては甘さ控えめなんだね」
「お菓子がすでに甘いですからねー」

 花咲さんがコップに口をつけて、砂糖代わりのマシュマロの袋に手を伸ばした。ココアの水面が見えないくらいにぷかぷか浮かべている。けっこう甘党なのかな。

 半分くらい配ったところで、残りはわたしがやるわと毬子さんに配膳を切り上げられてしまった。お湯を注ぐ係と交代なのかと思ったけど、それも自分でやるみたいだし。

 妙な怪しさを感じつつ、お菓子を取って席につく。隣の空席に毬子さんが戻るのを待ちながら。
 バレンタインの行事も、既婚者と中高年ばかりの席であってはちょっとお菓子が豪華になったに過ぎない。

 昨今はバレンタインはセクハラだー、って価値観の古さを指摘する声も出てきたし。
 いずれはチョコを食べまくる日くらいに薄れそうだな。お菓子メーカーも売り出そうと必死なんだろうけどさ。

「おまたせー」

 二人分の紙コップを手にした毬子さんが戻ってきた。濃厚な甘い匂いが漂ってきて、胃の中で食欲が動く。

「あれ、これって」
「しー」

 コップの中の違和感に口を開きかけて、毬子さんが人差し指を突き立てる。内緒よ、とでも言うようにウインクを飛ばして。
 悔しいほど様になってるな、この歩く二次元め。ド美人でないと決まらない仕草だ。

「箱詰めだと忍ちゃんはプレッシャーありそうだし、かと言ってバラのお菓子はしょぼいじゃない? なのでこういう形にしてみたの」

 ささやきながら、ココアにしては色が濃いコップの中身について毬子さんは補足してくれた。
 つまるところ、ホットチョコレートだ。
 チョコレートドリンクのスティックをお湯と溶かして、マシュマロとクラッシュアーモンドを添えたもの。

 ああ、お茶じゃなくココアをみんなに振る舞ったのは匂いをカモフラージュさせるためか。

「これ初めて飲んだけど、濃厚な口当たりなのに苦味もあってすっきりしてるね」
「わたし、チョコはビター派なのよね。苦さは大丈夫だった?」
「私も甘すぎるのは苦手だから、これくらいがちょうどいいかな」
「忍ちゃんもビター寄りなのね。覚えておくわ」

 にしても、美味しいなこれ。カカオの芳醇な香りが鼻に抜けて、引き締まった苦味と包み込むようなクリーミーな味わいがほどよくお腹へ沈んでいく。

 後を引くほろ苦さを、溶け出したマシュマロを飲み下して中和する。
 ゆるふわ美人だけじゃない顔をもつ毬子さんみたいな味だなって、なんとなく思った。
 けっこういいやつ使ってるのかな。あんまり食べられない私に配慮して、一杯で満足度が高いものを考えてくれた毬子さんに感謝だ。

「お返し、これと釣り合うのだと何がいいかな」
「そんなに身構えなくていいわ。わたしは忍ちゃんとの時間を独り占めする口実に行事を利用しているに過ぎないもの。ホワイトデーもわたしと過ごしてくれれば、それで十分よ」
「じゃあ当日は、駅前にできたカフェ行く? あのどんどん奇抜なサンドイッチ作ってるとこ」
「ええ、忍ちゃんが勧めてくれるならどこへでも」

 お偉いさんも交えて和気あいあいと雑談を交わす中、ふたりでこっそりとささやかなバレンタインを満喫する。
 形式にとらわれず、個人が好きなように過ごせる行事に変化しつつあるのは良い世の中になってきたんじゃないかなと思う。

 さて来月を楽しみに、明日もお仕事がんばりましょうかね。

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